「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」によせて
原田ひ香さんの「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」という小説を、読み終えました。
家族から送られてくる「小包」や、家族宛に送られてくる曰くつきの「小包」など、様々な事情が詰まった「小包」を軸にした短編集で、特に「擬似家族」という話が面白かったです。
愛情に恵まれた家庭環境を装うため、実家から送られたものという設定で、農家さんから定期的に、米や野菜の入った小包を購入する女性が主人公。
ネットには、毒親や毒家族など、問題家庭トピが当たり蔓延し世間では普通のように思われますが、現実的には、そんなことを話題にすれば引かれることも多く、結果口にするのも憚れるものです。
愛する人のそれとは対極の、後ろ暗い自分の本来の家族の姿を、結婚前に打ち明けるか、それとも隠し通せないか、と心が揺れ続ける主人公の気持ちが、切なかった。
いきなり暗めムードになってしまいました。
原田ひ香さんの小説は、身近な生活アイテムを中心に据えていることが多く(私見です)、読むたびに、忘れていた出来事や、その時の気持ちを掘り起こしてくれることが多いです。
なので、ページをめくるたび、楽しみつつも、ちょっとした心構えをしながら、読み進める自分がいます。
私の小包に関する話になるのですが、大学入学数か月後のある日、実家で食べ慣れたお菓子や袋ラーメンが入ったダンボールを、京都の小さなアパートで受け取りました。
よくある大学生活の一場面、という体験をしてみたかったので、私が母親に頼んで送ってもらったものです。
本当に届いた時は、1人部屋の中で「これだ!」と心躍りました。
しかし帰省したその夏、母親から提案がありました。
送料が勿体ないし、同等品や、それより良いものがそちらでいくらでも買えるだろうし、そして必要なものは自分で揃えるようになって欲しい。
だから、お手製小包はそれで最後にして欲しい、と。
私の家人は、皆合理的で、ドライな性格。
それに対して昔から寂しさを感じていましたが、確かに手間や費用がかかるし、甘えて迷惑をかけてはいけない、と幼いころから思っていた私は、「わかった」と返事をしました。
だけど、母親チョイスの、渋いお菓子とか、底冷えを心配してのババシャツ(ヒートテックが登場する随分前です)が入ったりの所謂ダサい小包に対して、いつも愚痴を言う友人の姿が、なんだか現実味がなく、ドラマの登場人物が語っているようで、とても眩しくカッコよく見えました。
誰かの当たり前にある日常は、誰かの非日常的な憧れだったりするのです。
しかし、もう荷物は送らない、と決めたにも関わらず、その後母親は、何故か再度予告無しに、ダンボールを送ってきました。
開封すると、その中には、所狭しと並べられた、地元産の旬の果物。
私宛ではなく、お世話になった方に配ってね、という意味でしたが、到着したのは、期末試験も終わりに近づき、帰省する人がちらほら出はじめた時期。
大量のこの果物、余っては処分に困ると思い、大慌てて学校で出会う友人に配ること、数日。
そしてその残り(といっては失礼ですが)は大家さん宅にまとめて差し上げたりして、何とか冬の帰省前には全部捌けることが出来ました。
配り終えた夜、こんな時期に送られても困るので、今度から荷物は、一度連絡を入れてから送るよう、実家の母親に電話で伝えました。
が、どうやらそれが気分を害したよう。
その後は、何か送られてくることは、ありませんでした。
こういった親子の気持ちのすれ違いは、昔から今まで現在進行中です。
今の私は、家族オリジナルの小包を、受け取ったり、あるいは送ったり、ということが滅多になくなりました。
一方、義母は未だに他県在住の娘家族に、海産物や手作り料理などを贈っているようです。
そして、近所に住む自営の長男家族には、孫のためにもとせっせと手作りした料理をはこぶ日々。
ついでだからと、なんとアラフィフ我々夫婦にも、そのお裾分けをくれるのです(いつも車で突然やって来ます)。
ゲンコツみたいなおにぎりや、揚げ物や煮物、夫と彼の兄弟は、この味で大きく育ってきました。
「今更もう、食べ飽きた」なんて夫は言いますが、暖かさを感じさせ、なおかつたまには外の人が作った料理が食べたい、という願望を満たしてくれる、義母の差し入れが、私は大好きなのです。
結婚するまでの私は、心にいくつも隙間を作ったまま、生きてきた感覚だったのですが、こんな年になって、その隙間が少しづつ埋められていくような、そんな経験をするとは。
義母の愛情表現は、いつまでたっても小さな子どもに与えるようにストレートで、それはまさに、恥ずかしながら、私がずっと求めていたものなのです。
対して、私の実の母親は、私が物心ついた頃から、子どもに寄り添うというよりは、一歩引くような子育てをするような人でした。
だけどそれも、私が一人前の大人になるための、訓練みたいなものだったのかな。
幼い頃からその意図は汲み取っていたつもりだったのですが、あれが実の母親なりの愛情だったのでしょう、と大分時が流れ、母親が子育てする年齢に私も達した今なら、理解できるような気がします。
同じことを繰り返してしまいますが、やはり原田さんの小説は、掘り起こしてくれることが多く、大好きです。