わが青春思い出の記 1 出会い

 10年を "ひと昔" というならば、これから書き出す話はそれよりさらに「ひと昔」も前のはなしである。しかし、書き出すわが身にとっては、10年とはいえども、いまでも忘れることのない思い出である。

その日、自分が馬の餌用草を刈り集めて帰ってくると、家の中から賑やかな笑い声が聞えてきた。
―お客さんかなー。
玄関を見ると、見慣れない靴が二足並べてある。靴は女性のものらしく、一足は大人の靴で、もう一足は形・色からして子供のものらしい。お客は二人連れでそれも女の客らしい。
「智か」
母親の敏子が、刈ってきた草を置き、馬に水を飲ませるため、馬小屋から馬を連れ出そうとする自分を呼んだ。
「こちらに来て挨拶しなさい」。
自分は気が重かった。昔から引っ込み思案で、恥ずかしがり屋であることを自認している。学校のクラスでも誰とでも仲良くなれるタイプではない。本当に気心許せる友達は三、四人もおればそれで十分と思う人間であった。

初対面の人に、そつない挨拶をするのが苦手だったし、緊張を隠すために無理して愛想良く振り舞う自分を、客観的に見るのも嫌だった。だからといって逃げるわけにもゆかない。呼ばれた応接間に行った。

応接間には、母親の敏子と、見知らぬ女性二人が向かい合って座っていた。母親くらいの年令でやや太り気味。もう一人は、小学校六年生か中学生くらい。黒い髪の毛を短く刈り、オカッパ髪である。目が大きく、チャーミングなお嬢さんである。お嬢さんというよりからだつきは大人にも見える人である。
「えっー、この子が智さんねえ、まあー・・・」、
母親らしい女性が、口と目を大きく開けて自分を見上げた。
「大きくなったわねえー。もう馬の世話も出来るようになったの?」。
その女性は、自分の頭のてっぺんから足先まで見て、「本当に大きくなったのねえー。しばらく見ないうちに」と、ジロジロ見ながら驚いている。

自分は、相手が誰だか分らない女性に、頭のテッペンから足先まで、ジロジロ見られて照れくさいやら恥かしくなり、早くその場から逃げ出したい気になった。そして母親の鈍感さにも腹が立ってきた。
母親は、その女性の驚きぶりを面白がって見ているようで、紹介もしてくれない。母親がお茶を入れ代えるため、台所に立っている間も次々と質問をかけてくる。
「五年生でしたわよねー。学校は面白い?、クラスは何人?、いま学校ではどんなことがあるの?。智さんの得意な学科は何?」。
執拗とも思われるほど、次々と質問を浴びせてきた。

「国語です」
自分は応えた。そしてすぐさま後悔した。相手が誰かもわからないのに、いきなり得意な学科を聞かれ、それに素直に応えてしまった自分に恥ずかしさも覚えていた。そして、庭につないだままにしてある馬に気づき、失啓しようとからだの向きを変えると、その気持ちを察したのか
「あ、あ、ごめんなさい。智さん、びっくりするわよねー、いきなりいろいろと聞いたりして・・・」。
母親らしい女性は、「座って・・・」と手招きした。肌色白く上品な感じのする婦人である。
自分は、彼女の娘らしい女性と向かい合わせの形で座った。娘らしい女性は、顔が丸くて色白。まつ毛が長く上向きにカールしていて目が大きく、パッチリと開いて可愛らしい。その娘、さっきから一言も話さず、こちらの話ばかり聞いている。そして時々、こちらをジーット見つめている。自分は頬が火照っているのがわかった、そして、大きくまんまるい目で、ジーット見られるたびにどこかで見たような気がするがなかなか思い出せない。

「私はね、佐々岡シゲ子。智さんのお母さんの姪。つまり智さんのお母さんと私の母は姉妹。で、この子は私の娘でヨーコ。だから、智さんとは又イトコ同士になるわね。イトコって知ってる? あ、あ、もちろん知っているわよねえー。私ったら、赤ちゃんのころの智の面影がちらついて、つい子供扱いしちゃって。ごめんなさいね」。シゲ子はそう言って肩をすくめた。
母に姪がおり、離れた町に住んでいることは聞いたことがある。しかし、戦争やら戦後の混乱で、会うこともなければ行き来もなかった。ましてや、ヨーコと呼ばれる娘とは通う学校も違うのだから知る由もなかった。イトコ同士でありながら今日が初対面となったのである。ヨーコと言われた娘ははじめて口をきき、
「ヨーコデース。五年生デース」と、挨拶した。
自分はびっくりした。はじめて見たとき、中学生か一歩譲っても六年生と想像していた人が五年生。自分と同学年と聞いたからだ。背が大きく、よく見ると顔立ちはまだ幼な顔をしているが、からだつき、態度は大人に負けないくらい堂々としていたからだ。それに較べて何と自分は幼稚なのだろう。自分の幼稚さをさらけだしたような気持ちになり、ますます恥ずかしくなった。

「智(さとし)です。」
自分は緊張して頭をさげた。
挨拶も済み自己紹介も済んだ今、「仕事が残っているから」と、席を外したければ、それもよかったのだが、ヨーコの存在には席を離させない何かがあった。何か話したいような、何か聞きたいような大きな目、そして潤んでいるようにも見える黒い瞳。その大きく、クリッーと開いた目を見るとどこかで見たような気がしてならない。考えれば考えるほどなかなか思い出せなくなる。
母親の敏子が茶菓を持って現れた。それを機に自分は庭につないであった馬を引き連れ、裏の沼まで水飲ませに行った。
沼は家のすぐ裏手にあった。距離にして二百メートルたらずのところである。馬に水を飲ませてからゆっくり戻ったとしても、三十分もあれば戻れる距離だ。しかし、その日はお客もあり、そのお客が帰った後に戻った方が何も聴かれずに済むと思い、一時間近く遊んでから戻った。

お客はまだいた。しかも前よりも一層賑やかに話したり笑ったりしている。
ヨーコは座敷まで上がり込み、腹ばいになって自分が今日、友達から譲り受けてきたばかりの「少年クラブ」を読んでいた。二カ月遅れの月刊誌ではあるが、自分にとっては新刊本と同じ。今日、急いで馬の草を刈り、水まで飲ませたのも、誰からも文句を言われず、ゆっくりこの少年クラブを読むためであった。それを自分より先に他人が読んでいるのを見て少し腹が立った。
「今日買ってきたばかりだから汚さないで・・・・」つい本音を言ってしまった。
「・・・・・」
ヨーコは黙っていた。
自分はヨーコの前まで行き、その雑誌を取り上げた。

ヨーコは唖然としながら、「ケチねー。その本は汚れたり、途中のページは破れているよ」。
「知ってるよ」。自分も負けずに言い返した。
「今日、買って来たばかりと言ったでしょうに?」。
「そうだよ」。
「だって、その雑誌二カ月前のものだよ」。
「知ってるよ、それくらい」。
「私、この続きの本読んだんだ。そして話の続きがどうなったかも知っているよ」、
と、言い捨てながら応接間へ去った。

自分はこの人は自分が知らないところまで知っている。はじめてコンプレックスを感じた瞬間だった。同時に、この一言で自分がこれまで持っていたプライドが一瞬にして吹っ飛んでしまった。悲しかった。そして腹が立った。自分は皆がいる応接間には行かなかった。

応接間では暫く話し込んだ後、帰りの支度をはじめる気配がした。自分はやれやれと思った。ところがそのまま帰るのかと思っていると、シゲ子という伯母さんとヨーコが自分のところへきて、
「智さん、二学期からヨーコも同じ小学校になるから仲良くしてね」
と、言った。
自分は何のことか分らなかった。転校して来るのかな、とその時は思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?