「教科書が読めない子どもたち」鹿児島大学法文学部後期2019年
(1)問題
次の文章を読んで設問に答えなさい。
1
① 近年,大学でも高校でも「アクティブ・ラーニング」の重要性が頻りに強調されています。アクティブ・ラーニングはご存知でしょうか。文科省の用語集では,「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり,学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって,認知的,倫理的,社会的能力,教養,知識,経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習,問題解決学習,体験学習,調査学習などが含まれるが,教室内でのグループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワークなども有効なアクティブ・ラーニングの方法である」と説明されています。「学修」という用語が文部科学省らしいところですが,文科省または中教審の基準では,高校までが「学習」で,大学は「学修」なのだそうです。
② つまり,教えてもらうだけではなくて,自分でテーマを決めたり自分で調べたりして学習したり,グループで話しあったり議論したり,ボランティアや職業体験に参加したりというのがアクティブ・ラーニングだということです。
③ なんだかとても魅力的に聞こえます。でも,ちょっと待ってください。教科書に書いてあることが理解できない学生が,どのようにすれば自ら調べることができるのでしょうか。自分の考えを論理的に説明したり,相手の意見を正確に理解したり,推論したりできない学生が,どうすれば友人と議論することができるのでしょうか。「推論(論理や常識を用いて文章を読解できるか」)や「イメージ同定(文章と図表が対応しているか)」などの高度な読解力の問題の回答率が少なくとも七割ぐらいは超えないと,アクティブ・ラーニングは無理だろうと私は考えています。
2
① 先日,テレビでこんな光景を目にしました。海水浴場でタレントさんがビキニ姿の女の子にクイズを出題しています。問題は「〇〇は熱いうちに打て。さて,〇〇に入る言葉は?」という諺の穴埋め問題でした。女の子は四人組です。口々に「え~,知らな~い。何だろ?」「あ,釘かも。釘だよ,きっと」「釘って,熱いっけ?」などと,頓珍漢(とんちんかん)なことを笑いながら言い合っています。
② そんな流れの中で,一人の女の子が「悪じゃない?」と言ったんです。それに他の二人が反応して,「悪?」「どうして?」「どういう意味?」と,その突拍子もない珍答に関心を示しました。「悪」と言った女の子は続けます。「だって,悪い奴はさ,出てきたなっていうところでガーンとやってやんなきゃ,しばくとかしないとダメじゃん」――。もちろん,漫才師のように,笑わせるためにぼけたわけではありません。どちらかと言うと,〈私,今,いいこと言ってる〉と誇らしげです。
③ 私は,バカバカしい,と思ってリモコンに手を伸ばしました。そのとき,一人の女の子が「そうかも」と同調したのです。びっくりです。伸ばした手が縮みました。すると,他の二人も「あ,それだ,悪は熱いうちに打てだよ」「そうだ,そうだった」と納得してしまい,四人声を揃えて「せーの『悪』と元気よく答えました。驚愕です。
④ 驚愕なんて,大袈裟な。若い女の子の常識なんてその程度だと思われましたか。私が驚いたのは,「悪は熱いうちに打て」という珍答にではありません。答を知っている者にとっては珍答である解答が,それを知らなかった四人にとって,一番確からしい解答になっていく過程に驚いたのです。つまり,「推論」が正しくできない人ばかりが集まってグループ・ディスカッションすると,このような事態に陥ってしまう危険性が高いことを思い知ったのです。
⑤ もう一つ,思い当たることがあります。娘が小学校四年生のときのことです。理科の授業で星の光について勉強したそうです。先生は「星は今光って見えるから,今輝いているように見えるかもしれないけれど,遠いところにある星の光が地球に届くまでには時間がかかります。だから,今,見ている星の光は何万年も前に輝いた光なのです」と説明しました。ついでに,一年に光が進む長さを一光年ということも勉強しました。
⑥ クラスの生徒たちが「ふ~ん」とわかったようなわからないような微妙な反応を示しているときに,娘は先生に質問しました。「太陽はどうですか?」
⑦ 先生はちょっと困ったような表情をされたそうです。すると,場の空気を読むことに長けた男の子が,「ば~か,太陽の光はいま光ったに決まっとるじゃろー」と言ったのです。その大声を機にたくさんの生徒が口々に「そうじゃ,そうじゃ,太陽は今に決まっとる。さっきのは星の話や」と言い出し,結局,太陽は今光ったことに「決まった」そうです。もちろん,間違いです。太陽の発した光が地球に届くのには八分ぐらいかかります。アクティブ・ラーニングはこんな危険性を孕(はら)んでいるのです。
⑧ もちろん,アクティブ・ラーニングは,必ずしも,正解に辿り着くことを目標としていないことは知っています。正解に辿り着く方法を身につけさせるのが主眼なのでしょう。たまには結論が間違っても構わない。また,他者と討論したり,グル一プで議論したりすることで,自然と社会性も身についていく。それも狙いなのかもしれません。現代の社会の中で上手く生きて行くには,場の空気を読むことは非常に大切で,論理的に正しいことや,正しく推論するとそうなるに違いないことを主張し過ぎると,窮地に立たされることがあることを,私も知っています。
⑨ ですが,正解に辿り着く,あるいは正解に,辿り着く手法を身につけさせるためにアクティブ・ラーニングを教育に取り入れるのであれば,少なくとも議論をした後で,事典やなんらかの手段,せめてウィキペディアなどで調べて,何が正しかったのか,確認できなければしょうがない。でも,ちょっと待ってください。彼らはウィキペディアを読めるでしょうか。なにしろ教科書が読めないのですよ。せめてRST(1)の正答率が八割以上にならなければウィキペディアを読むのは無理でしょう。ネットに「正解そのもの」は書いていないかもしれない。だとしたら,正しい情報から正しく推論して,どの答が正しいかを判断しなければならない。RSTが測っている「推論」や「具体例(定義と具体例が対応しているか)」の問題を遥かに超える能力を前提としているのです。RSTの二万五〇〇〇人を超えるデータから断言できます。意味のあるアクティブ・ラーニングを実施できる中学校は,少なくとも公立には存在しません。高校でも,ごく限られた進学校だけです。
➉このような絵に描いた餅が学校現場に導入された責任は,文部科学省よりもその方針を決定した中央教育審議会,そしてその構成員である有識者にあります。私のような一介の数学者がRSTを発明するまで,なぜ「中高校生は教科書を読めているか」という事実を考えようとも,調べようともしなかったのでしょうか。なぜ,数十年前に卒業した中学校の記憶と,自分の半径五メ一トル以内にいる優秀な人たちの印象に基づいて,こんな「餅」の絵を描いてしまったのでしょうか。
⑩ 教育は国家百年の計,とよく言われます。ならば,もっと科学的な設計が必要です。RSTは教育ビッグデータの上で,確率と統計を駆使して結論を導きました。まさに,ビッグデータに基づくサイエンスを教育に適用したのです。もっとも私は誠実な数学者なので,これを「世界初のAI(人工知能)による読解力診断」などと名付けたりしませんけれど。
3
① 中高校生の読解力については,現場の教員のみなさんが,最も敏感にそれを察し,危機感を抱いておられます。高等学校の先生からは,「板書ができない」という悩みを打ち明けられました。板書をしても,書き写せない生徒が増えているからだそうです。筆記試験が難しくて普通免許が取得できない卒業生や,折角,板前修業しても,調理師免許が取れない卒業生も少なくないそうです。
② RSTにご協力いただいているある過疎地の高等学校では,正答率がランダム率(2)以下の生徒がクラスの半分以上を占めました。鉄道も廃止となり,地元にこれといった産業のない地域に,普通免許の筆記試験に合格できる程度の読解力を身につけずに卒業する子たちが大勢いる――その事実をつきつけられて私は頭を抱えました。
③ 教科書が読めなければ,予習も復習もできません。自分一人では勉強できず,ずっと塾に通わなければなりません。けれども大学には塾はありません。社会に出ればもちろんです。勉強の仕方がわからないまま社会に出てしまった人たちはどうなるのか。運転免許が取れなかったり,調理師になれなかったりするだけではありません。AIに仕事を奪われてしまいます。
④ 私は中等教育の専門家でも教育行政の専門家でもありません。数学者である私が今なすべきことは,東ロボくん(3)の挑戦を通して明確になってきた現状のAIの実像や,RSTを通じて判明した日本の,そしておそらく世界の中高校生の読解力の実態を広く社会のみなさんにお伝えすることだと思っています。
⑤ けれども,東ロボくんとRSTによる読解力調査の双方に深く関わった者として,これだけは言っておきたいと思います。
⑥ AIと共存する社会で,多くの人々がAIにはできない仕事に従事できるような能力を身につけるための教育の喫緊の最重要課題は,中学校を卒業するまでに,中学校の教科書を読めるようにすることです。世の中には情報は溢れていますから,読解能力と意欲さえあれば,いつでもどんなことでも大抵自分で勉強できます。
⑦ 今や,格差というのは,名の通る大学を卒業したかどうか,大卒か高卒かというようなことで生じるのではありません。教科書が読めるかどうか,そこで格差が生まれています。
⑧ 経済界には「小学生のうちから英語を」「中学高校の授業でコンピュータープログラミングを」などと,主張されている方々が多くおられますが,現場を知らないから,そのようなことが言えるのだと思います。
⑨ 現場の教員の方々は,それを皮膚感覚で感じておられます。私たちが実施しているRSTは,文科省や教育委員会などがスケジュールを確保して上意下達で実施する学力調査ではありません。そのような調査に学校が協力することは,とても異例なのだそうです。学校の授業や行事の年間スケジュールは,年度初めにびっしりと決定されていて,イレギュラーなイベントが入り込む余地はありません。受験に関係のない調査などもってのほかです。東大や京大の教育学部でさえ,なかなか学校現場には調査依頼に協力してもらえないそうです。ところが,私たちのRSTには僅か一年半の期間に,全国で一〇〇以上の学校や機関が協力してくださいました。奇跡だと言われました。協力していただけたのは,このテストで問おうとしていることが,現場の危機感を体現していたからだと思います。現場の教員や教育委員会の方々も,「生徒は本当に読めているのか」を知りたかったのです。
⑩ 協力してくださったのは中学や高校だけではありません。日本を代表する一流企業数社にもご協力いただきました。安全マニュアルや仕様書が読めない,ビジネス文書を書けない,個人情報保護法などが新しくなったときeラーニング(コンピューターを利用した学習)で勉強させても最終テストをパスできない,あるいは具体的な場面での判断に使えないといった社員が多くなったという実感をもつ企業が増えているからでしょう。
⑪ 稀に見る低い失業率を達成できている日本は,他の先進国から羨望の眼差しを向けられています。一方で,採用したい人が採れないという悩みをしばしば耳にします。クリエイティブで交渉能力が高く,直観力に優れている「トップガン」な人材が不足しているという意味ではありません。そういう人材は残念ながら確率的にしか生まれないので,人口が減れば人数も減ります。そうではなくて,仕様書を正しく理解して,手順書どおりに作業をし,いわゆる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」がきちんとできるあたり前の人材が,いくら人事にコストをかけても採れていないというのです。進学率一〇〇%の高校の「推論」のランダム率が三割を超え,その能力が中学卒業以降伸びているとは言えない状況を考えると,致し方のないことかもしれません。
⑫ 多くの人が成人するまでに教科書を正確に理解する読解力を獲得していない――この状況をなんとかしなければ,AIと共存せざるを得ないこれからの社会に,明るい未来予想図を描くことはできません。それは,個人にとっても,社会全体にとっても同じです。
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① では読解力を養うにはどのようなことが有効なのか。残念ながらそれを解明する科学的な研究は今のところありません。
② もし,今回の本を「数学者が考案! 世界初のAIに基づく読解力向上法」と銘打って,「こういうドリルをすれば,こういうことをすれば,あなたの読解力は劇的に向上します」というものにしたならば,とても売れるに違いありません。ドリルを作ってタイアップで売ったら何億円も儲けられたかもしれません。
③ でも,ごめんなさい。私はそんなことはしません。科学的に検証されてもいないことを「処方箋」として出版するほど倫理観は欠如していません。
④ 私たちの研究グループでは,協力校とともに,「どのような読解能力値の生徒は,何をすればその能力を伸ばすことができるか」を,一つずつ科学的に検証しています。「係り受け(語句間の修飾・被修飾関係などの理解)」と「照応(指不語や省略された主語が何を指すか)」については,どうすれば能力が上がるかの教育方法も考え,それが正しいかどうかの調査にも着手しています。けれども,「係り受け」と「照応」はAIにもできてしまいます。人間に期待するのは,AIにはまだ難しい「同義文判定(二つの文が同じ意味か)」,AIには不可能と思われる「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の能力です。そうでなければ,「AIにできないことができる」人材とはならないからです。なんとしても,全中高校生の平均で七割程度の正答率となるような,教育方法の確立か求められます。次の本では,一つでも二つでも,科学的根拠に基づいた処方箋を提供できるように努力します。
⑤ でも,落ち着いて考えてみてください。
⑥ 今まで,「画期的な教育法」と呼ばれるものは,山のように提案されてきました。その中には,デジタル教科書のように政府の支援を受けて,導入が進んでいるものも少なくありません。それにもかかわらず,今回お伝えしているような読解力の状況なのです。
⑦ 多分,読解力の向上にはダイエットのような簡単な処方箋はないのです。
読めない人には,それぞれ理由があります。ドリルに頼りすぎたとか,わからない単語があると飛ばして読んでしまうとか。記述に矛盾があっても,活字になっていると信じてしまうとか。さまざまな偏りのタイプがあります。それを診断するために私たちが考案したのがRSTなのです。
⑧ 実際に,一流企業の社会人の方,学校の先生,あるいは「読む」ことが仕事の編集者や記者の方に試しにしていただいても,意外に間違えたりします――そういう方たちは,読むのに自信があるので,最初は「教科書の書き方がよくない」とか「問題に曖味性がある」とかさまざまな批判を口にします。けれども,RSTがいかに精緻に設計されているかを理解すると,別の感想を漏らすようになります。「自分は数学が苦手だから文系に行ったつもりだったけど,そもそも数学の教科書が読めないタイプだったのかもしれない」,「読めない部分は読み飛ばして,なんとなく全体をわかったつもりになっているだけだったのかもしれない」……。
⑨ ところで,私自身の話で恐縮ですが,読書は苦手なほうです。大学時代から,多くても年間五冊くらいしか本は読めません。活字を読むのは好きなのですが,そんなに早く読めないのです。でも,自分でない赤の他人が何年もかけて書いた本を理解するためには,著者が書くのに要した時間の倍はかかって当たり前だと思いませんか? 数学の本や哲学書を一年に三冊以上きちんと読める人は本当にすごいなと思います。デカルトの『方法序説』は大変薄い本ですが,大学時代から二〇回は読んで,自分の科学的方法のほとんどをそこから学びましたが,それでもまだわからない部分があります。
➉もしかすると,多読ではなくて,精読,深読に,なんらかのヒントがあるのかも。そんな予感めいたものを感じています。(『AI vs 教科書が読めない子どもたち』新井紀子著,東洋経済新報社,二〇一八年])
※出題にあたり注を付けて原文の一部を改変し,小見出しは漢数字に置き換え,常用漢字表を参照して一部にルビを加えた。
【注】(1)著者らが開発した,基礎的読解力を調査するための「リーディングスキルテスト」の略称。なお,参考までにRSTの問題例とその正解を以下に掲載している。
例題1
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
Alexandraの愛称は( )である。
① Alex ②Alexander ③男性 ④女性
例題2
(2)選択式問題で,ランダム(無作為)に回答して得られる正答率(例:四択なら二五%)を上回らない受験者の割合。ただし,この箇所では,ランダムに回答して得られる正答率の意味で同語は使用されており,後出のものとは意味が異なっている。
(3)人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」で使用されたAIの名称。
設問1 本文の内容を要約しなさい。(四〇〇字以内。ただし,句読点および改行のために生じる空白も解答文の字数に含みます。)
設問2 著者の主張を踏まえつつ,自分の経験に照らして,読むことについてのあなたの考えを,具体例を挙げながら述べなさい。(六〇〇字程度。ただし,句読点および改行のために生じる空白も解答文の字数に含みます。)
(解答欄は七〇〇字)
(2)考え方
設問2
高校生が「自分の経験に照らして」書く、ということであれば、もはやSNS
の話題に触れざるを得ないだろう。
現代の若者が文章を正確に読めなくなった背景として、SNSの普及によって短文の文章に慣れてしまったこと、そして、若者の読書離れも指摘しておきたい。
ネット掲示板の例もいろいろと使えるネタが満載だ。
今回のテーマは受験勉強ばかりでスマホを持たない優等生や文学少女タイプの生徒よりも、半ばネット中毒のいまどきの高校生のほうが自分のことをそのまま書けるので、ネタ探しに苦労しないかもしれない。
そのまま書くと言ったが、やはり簡潔にわかりやすい文章で書かなければ合格点がもらえない。
(3)解答例
設問1
近年学校でアクティブ・ラーニングの重要性が強調されているが、推論やイメージ同定などの高度な読解力の問題の回答率が七割ぐらいは超えないと無理だろう。ディスカッションは有効な方法であると説明されているが、推論が正しくできない人ばかりが集まってこれを行っても一人の誤答に他の人も同調する危険性が高い。アクティブ・ラーニングは必ずしも正解に辿り着くことを目標とせず、辿り着く方法を身につけさせるのが主眼であるが、そうであれば議論をした後で調べて正解を確認できなければ意味がない。だが子どもたちは教科書が読めないのでそれが叶わない。教科書が読めず勉強の仕方がわからないまま社会に出た人たちはAIに仕事を奪われる。AIと共存する社会で多くの人々がAIにはできない仕事に従事できる能力を身につけるための教育の最重要課題は中学校を卒業するまでに教科書を読めるようにすることである。今や教科書が読めるかどうかで格差が生まれる。
(400字)
設問2
S N Sが全盛である。ネット掲示板は「やばい」「ムリ」などの単語のオンパレードで、「よろ(よろしく)」といった単語ですらないものや「ww(笑い)」などの記号や絵文字なども多用されている。私は日常の生活で友人との連絡に際してはショートメールで一言書けば用が足りている。S N Sでは長文で書かれた文章には「乙(お疲れ)」などの言葉で返される。労をねぎらうのではなく、長文は無駄な努力であるばかりか、自己顕示欲とみなされて蔑まれる。若者達に見られるこうしたネット文化の風潮が子どもの推論や同義文判定などの読解スキルが育たない温床となっている。
手紙もほとんど書かなくなった。新婦が両親に読む手紙が結婚式でのクライマックスの定番となっていることからもうかがえるように、手紙自体がもはや非日常的な意匠を施された存在となって久しい。手紙はメールと違って単なる情報伝達のツールとしての機能を持つだけではない。いきなり本題から入るのではなく、時候の挨拶から始まって、徐々に核心に向かいながら、ここぞというところで盛り上げる仕掛けが施されている。これは小論文などの文章も同様で、つまりは起承転結のしっかりとした論理の構造があって初めて成り立つ芸当である。
人を納得させて感動させる文章を書きたい。この一念で私は小論文の勉強を続けている。巧い文章を書くためには、まず名文を読むことが必要である。学ぶは「真似ぶ」に通じる。何より巧い文章表現を真似ることから始まる。今度の日曜日、晴れたらスマホを置いて、公園に行こう。木陰のベンチでドストエフスキーを手に取り、思い切り背伸びをしてみることが文章上達の第一歩なのかもしれない。(699字)
今回はエッセー風に書いてみた。
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(4)参考資料
高校教科書検定 国語の科目再編は無理がある 読売新聞2022/03/30
思考は言葉に支えられており、国語教育には人間形成という重要な側面がある。若いうちは「論理か文学か」の二者択一ではなく、様々な文章に触れる必要がある。
文部科学省は来春から使う高校教科書の検定結果を公表した。新学習指導要領に対応した2、3年生向けの選択科目が対象だ。
新指導要領で、国語は「論理的・実用的」か「文学的」かで科目が分けられ、評論や実用文を扱う「論理国語」や小説などを学ぶ「文学国語」など、四つの新科目が検定を受けた。
だが、結果は、「論理」と「文学」を分離することが、いかに無理であるかを物語っている。
原則として文学作品を扱わないとされた「論理国語」の教科書は、申請された13点のうち2点が夏目漱石の「こころ」などの小説を扱い、どちらも「関連資料」との位置づけで合格した。
一方、「文学国語」は、合格した11点すべてが評論文を盛り込んだ。こちらも「文学に関連している」と判断された。
これだけを見ても、論理と文学を明確に区別することができないのは明らかだ。国の基準もあいまいで、頭を悩ませた教科書会社が多かったという。
現場では、大学受験に出題されやすい「論理国語」を選ぶ学校が多くなるとみられる。文学界からは「文学の軽視につながる」と懸念する声が出ている。
しかも、科目の選択は高校が行うケースが多く、生徒に選択の余地がないことも問題だ。
昨春検定があった1年生向けの「現代の国語」は原則、文学作品を扱わないとされたが、あえて小説を載せた教科書の採用数が全国トップになった。教員の間に「評論も小説も学ばせたい」という意向が強いことを示している。
若者の読解力低下が指摘されている。実用的な文章を読み、論理的に書く力の育成は重要だが、その力は文学作品などに触れることで高まるのが普通だ。「実用的・論理的」な文章能力というものが別個に存在するわけではない。
学校現場では、論理と文学を無理に切り分けず、バランスよく学ばせることが大切だ。
また、地理歴史と公民では「従軍慰安婦」の用語は単に「慰安婦」とするのが適切だとする政府の決定を受け、表記を統一した。
誤解を招く表現を改めるのは当然だ。18歳は4月から成人になり、社会的責任を負う。正しい歴史を伝える教科書の役割は大きい。