なんのために学ぶのか
今回は池上彰さんの著書「なんのために学ぶのか」について読書感想文を書いていこうと思います。
皆さんは「勉強する意味」について考えたことはありますか。自分は「その内何かの役に立つだろう」とか、「資格や受験の為」という感じでしか考えたことがありませんでした。その為大学に入る理由も次のステップである就職の足掛けぐらいにしか考えていませんでした。そんな時テレビで日々話題になる環境問題について興味を持ち、大学院に行って深く学ぼうと思いました。そんな中で勉強していくと「もし落ちたら今までの勉強は無意味になるな〜」とか、「時間を無駄にした事になるな〜」なんて思う事もあります。
しかし、この本では「学ぶというなはどのようなものなのか」。「教養というのはどのようなものなのか」。「大学や大学院にいく意味は何なのか」を教えてくれており、「勉強とは何なのか」という心のもやもやを晴らしてくれる。そんな本になっております。
自分としては、特に今回この本を読んだ事により、「教養」という言葉の誤解を解消できたようにも感じます。正直自分にとって美術や音楽、昔の作家の本を読む事などは趣味の範囲であり、教養とはまた違うものだと捉えていました。そんな風に捉えていたため、「その作家も知らなの?」と言われても、恥ずかしいという感情も湧かず、知っていると何の役に立つのぐらいにしか感じていませんでした。確かに、物事を知らないというだけで恥ずかしいという感情が湧き出てくるというのは、正しい感情なのかは分からないですが、太宰治や夏目漱石、森鴎外など日本人なら知っていて当然の作家の本を読んだことがないというのはいかがなものかと。そう思うと恥ずかしいという感情もあながち間違いではないのかと。
その感情だけで物事を学ぶのはどうかと思うが、様々な本を読んでおり、芸術にも疎くなく、歴史や科学、数学などある程度の内容を勉強している人の方が、多くの視点を持ち、学びを怠ってきた人とは生きていく中で違いが出てくるように感じます。
考えてみれば、一緒に飲みに行こうとなったとき、様々な事に疎い場合、会社や学校の愚痴やら思い出話が話題になるが、教養がある人同士ならば、芸術の話や、政治の話、科学や数学、作家のことなど話す内容も多いし、意見交換にもなり発見が多くなる気がする。発見があれば人間自ずと成長する気もする。
そんなこんなで「教養」とは何か(本にはもっと分かりやすく書かれています。)や「学ぶ意味」、「知ることの面白さ」など様々なことが書かれているので是非読んでみてください。
この本に出会って欲しい人
・学ぶ事に意味がないと感じている人
・「教養」という言葉をより知りたい人
・勉強に躓いている人
・学校の先生
・池上彰さんの苦労とそこからの学びを知りたい方