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【本】浅田次郎「壬生義士伝」感想・レビュー・解説

死ぬ理由がある、というのは、羨ましいことなんだと思う。
それは、生きる理由がある、ということと同じだと思うからだ。

大体の日本人にとって、「死」というものには特別な意味はない。いや、「特別な意味はない」というのは、決して「死」が普通でありきたりのものだと言いたいのではない。僕が言いたいことは、「死」というものに特別な意味を付随出来ない世の中に生きている、ということだ。つまり、「どう死ぬべきか」という問いが成り立たない時代だ、ということだ。

今の世の中で、「死」というものが意識されるのは、年齢を重ねて死が近づいて来ている老人か、あるいは死ぬことでしか現実の問題を解消出来ない人だろう。前者にとって「死」とは、やがてやってくる当たり前のものであり、「どう死ぬべきか」という問いは、仮に成り立ったとしても、「周囲に迷惑を掛けないように」程度のものでしかない。

後者の場合、「どう死ぬべきか」などという問いはそもそも成り立ちようがない。「死」というものが、現実から逃避するための手段として意識されているだけなので、「どう死ぬべきか」などと問うても仕方がない。

そういう世の中も、良いんだろうと思う。別に、悪いと思いたいわけではない。誰もが「死」というものを殊更に日常的に意識することはなく、「どう死ぬべきか」など考えなくても前に進んでいける世の中というのも、もちろん、それはそれで素晴らしい。命というのは、一度喪われてしまえば取り返しがつかないものなので、それを喪わせる状態である「死」というものに対して、「どうあるべきか」などと問うことは、愚問であるのかもしれない。

ただ、「どう死ぬべきか」が問われない世の中であるということは、同時に、「どう生きるべきか」がぼやけてしまうことにもなる、と僕は感じる。

それがどんな生き方であっても構わない。僕自身は、他人に迷惑を掛ける生き方は良しとはしないが、とりあえず今はそれも措いておこう。とりあえず、どんなそれがどんな生き方であっても、「自分はこの生き方を貫くことが出来ないのなら死ぬ」という何かがあることは、生き方として僕は素晴らしいことだと思う。

『あの人はね、まちがいだらけの世の中に向かって、いつもきっかりと正眼に構えていたんです。その構えだけが、正しい姿勢だと信じてね。
曲がっていたのは世の中のほうです。むろん、あたしも含めて。』

時代の大きな流れに逆らうことは、とても難しい。世の中の当たり前に歯向かって生きていくことは難しい。多くの人が、そういう大きなものに流され、そういう自分を良しとして前に進んでいくしかない。もちろんそういう生き方を否定するつもりはない。生きていく、というのは、単純なものではないからだ。ただ、自分の正しさを信じて、貫いて、貫き通せなかった時に死を選ぶ、という潔さは、「生きる」ということを積極的に選び取っていることだと僕には感じられる。無闇矢鱈に死を望めばいいわけではないけど、こうあるべき自分を曲げずに貫いて、それで死んでしまうのであれば、それは良いんじゃないかと僕は思う。

もちろん、こんな意見にも賛成だ。

『だから私ァ、今でもあの人のことを男の中の男だと思う。男の責任てえやつをね、とことん果たしたんだから、誰も文句は言えねえはずでがしょう。
そんならひとつお訊ねいたしやすが、そういう立派な男を殺さにゃならなかった武士道ってのは何なんです。そこまであの人を追い詰めちまった世の中は、どこか間違ってやしませんでしたかい』

そう、確かに、武士道「なんか」に殺されるのはアホらしい。でも、それは、後世の人間が判断してはいけないことなのだ、と僕は感じる。その時代を生きた人が、あまねく背景を知った上でそう言うのであれば、それは意見の一つとして正しい。でも、僕らの時代にはもう、武士道なんてものは存在しない。彼らが生きてきた世の中とは、全然価値観が違っている。そんな僕らが、「武士道なんかに殺されるのはアホらしい」などと言ってはいけないんじゃないか、と僕は感じる。

『わしは脱藩者にてござんす。生きんがために主家を捨て、妻子に背を向け、あげくには狼となり果てて錦旗にすら弓引く不埒者にござんす。したどもわしは、おのれの道が不実であるとは、どうしても思えねがった。不義であるとも、不倫であるとも思うことができねがったのす。
わしが立ち向かったのは、人の踏むべき道を不実となす、大いなる不実に対してでござんした。
わしらを賊と決めたすべての方々に物申す。勤皇も佐幕も、士道も忠君も、そんたなつまらぬことはどうでもよい。
石をば割って割かんとする花を、なにゆえ仇となさるるのか。北風に向かって咲かんとする花を、なにゆえ不実と申さるるのか。』

彼は、時代が「正しい」と要請する様々な価値観に背を向けた。多くの人は、「正しい」価値観に沿って生きていた。理由は様々だろう。それが当然で疑問など感じなかった人もいるだろうし、疑問を感じつつも背を背けることなど出来ないと思っていた人もいるだろう。

そういう中にあって彼は、自分が正しいと信じる道を貫き通した。

『能力だけを認められて、藩校の助教や藩道場の指南役を仰せつかり、内職をする暇もない。奥様は労がたたって病に伏し、子供らは飢えるとなれば、いっそ飼い殺しになるよりは脱藩をして、江戸や京からひそかに送金をしようというのは、一家の主としてはむしろ当然の選択であったのではなかろうか。すべては、幕末という暗い時代のもたらした、理不尽のせいであります』

彼は、どう生きるかを考え続けた。考えて考えて、時に人を傷つけながら、時に人を裏切りながら、それでも、自分が正しいと思う生き方を真っ直ぐに進んだ。

彼には、「時代に抗う」という意識などなかった。彼にあったのは、正しく生きたい、という想いだけだった。しかし、彼が思う正しさは、彼が生きた世ではほとんど実現出来ない。ならば、何がなんでも貫き通さねばならぬ正しさのみを追い求め、そのためにあまねく間違いを引き受ける生き方を選んだのだ。

『武士はその出自がすべてじゃった。いや、あの時代には、生きとし生くる人間の一生が、すべてその出自によって定められていた。

そうした時代にあっても、武術なり学問なりの教育が行き届けば、突然に身分不相応な才というものが出現する。武に秀で学に長じ、しかも貧しさの分だけ情のこまやかな人物がの。
才を持ちながら、もしくは才を持ったがゆえに世の中の仕組に押し潰され、抗うべくもない世の流れに押し流される。吉村貫一郎はそうした矛盾の雛形じゃった』

時代は大きく変わった。価値観も大きく変わった。しかし、彼のように理不尽・矛盾に絡め取られながら生きている人は、今の時代にもたくさんいるはずだ。時代さえ違えば、英雄とは言わないまでも何か成し遂げることが出来ていたかもしれない人が、時代が違うが故に押し潰されようとしている。そんな人は、今の時代にだってあらゆるところにいるだろう。

そういう時、そう生きるべきか。その判断は、とてつもなく難しいだろう。

『たしかに強情っぱりには違えねえ。でもね、私にァはっきりとわかりやした。なぜ吉村さんがその握り飯を食おうとはしなかったのかが。
御蔵屋敷の米は、南部の米でござんす。そりゃあ、あの人にとっちゃあ南部の御殿様からいただくお代物だ。父祖代々、ずっと頂戴してきた南部の米でござんす。
あの人はそれを、どうしても口にすることができなかったに違えねえ。脱藩者であるかぎり、それを食っちゃならねえと思ったのか、さもなけりゃあ、脱藩せずばならなかった貧乏足軽の意地にかけて、その米だけは食いたくねえと思ったんでがしょう』

傍から見れば、彼の行為の多くは、馬鹿馬鹿しく見えたことだろう。そんな意地を張る必要がどこにある。まして、まさに今から時代が変わろうという、まさにその瞬間に生きているのだ。旧来の価値観で物事を判断することに意味などなくなる―多くの人がそう考えるようになってもそれは自然なことのはずだ。

それでも彼は、自分の生き方・考え方を貫いた。

それを曲げてしまっては自分ではなくなってしまう、という感覚は、彼ほどではないけれどもたぶん僕の中にもほんのちょっとはある。そういう自分は、ほとんど表に顔を出してはこないけど、たまに出てくることがある。自分でも、めんどくせぇな、と思う。でも、その自分を無視してしまえば、後で後悔することは分かっている。自分が自分でなくなってしまう。命は継続していても、生きていることの意味が減じてしまう。

そういう自分は、確かに僕の中にもいる。

だから僕も、無駄な意地を張りながらこれからも生きていく。たまにそういう自分について人に話す機会があると、そんなに背負う必要はない、そんなに重く考えることはない、と言われる。もちろん、僕だって、そんなことは分かっている。分かっているんだけど、でもそうせざるを得ない。

窮屈だな、とは思う。でも、だからこそ、彼が貫きたかった生き方のことが強く理解できてしまう部分もあるんだろうな、と思う。

内容に入ろうと思います。
『慶應四年旧暦一月七日の夜更け、大坂北浜過書町の盛岡南部藩蔵屋敷に、満身創痍の侍がただひとりたどり着いた。』
本書は、そんな一文から始まる。
ここにたどり着いた侍が、南部藩を脱藩し新撰組に入隊、後に「鬼貫」とまで呼ばれるほど人を斬りまくった吉村貫一郎だった。
三日に戦端を開いた鳥羽伏見の戦いは既に大勢が決しているという状況の中、命からがら戦いを潜り抜け、故郷の家紋の入った提灯を目にしてやってきたボロボロの侍を、蔵屋敷の面々は持て余した。
というのも、塀を隔てて隣り合う彦根藩が、薩長長州の軍に加わっているからである。ここで、薩長の敵である新撰組の残党を手助けしたと彦根藩に知られれば、厄介なことになる。
当時、蔵屋敷を預かっていたのは、かつて同じ寺子屋で勉学に励んだ幼馴染である大野次郎右衛門である。しかし彼は、土下座しながら命乞いをする吉村に向かって、「腹ば切れ」と冷たく言い放つ。
そんな吉村貫一郎のことを、誰とも知れぬ聞き手が、御一新から50年後の時代に聞き歩いている。かつて新撰組の隊員だった者、大野次郎右衛門の周囲にいた者、吉村貫一郎の親族などなど。
話を聞かれる側は、一様に驚く。なんだって吉村貫一郎なんざの話を聞きたいんだ、と。講談なんかで話の主役になるような人物ではないし、歴史に名を残すような男でもない。なんでそんな男の話を聞きたいのか、と。
それでも話し手は、時には重い口を開きながら、それでも皆吉村貫一郎について話をする。

『本当のことを言うとな、俺ァ吉村貫一郎ってやつは、好きじゃなかった。
なぜかって、いじ汚ねえやつだったからよ。そりゃあ剣は立つ、学問もある、とりわけ筆は達者だった。だが何てったって、銭に汚かったんだ』

そんな風に嫌悪されながらも、しかし一方で、多くの人間が吉村貫一郎を一角の人物として語る。

『こいつだけは殺しちゃならねえって、土方歳三は考えていたんだと思います』

『一見して矛盾だらけのようでありながら、奴はどう考えても、能うかぎりの完全な侍じゃった』

『誰が死んでもよい。侍など死に絶えてもかまわぬ。だが、この日本一国と引き替えてでも、あの男だけは殺してはならぬと思うた』

何が彼らにそう言わせるのか。南部藩の蔵屋敷で、無残な姿を晒しながら、それでも命乞いをし続けた侍らしからぬこの男のどこに、修羅場を潜り抜けた男たちは惹かれていたのか。


『人の器を大小で評するならば、奴は小人じゃよ。侍の中では最もちっぽけな、それこそ足軽雑兵の権化のごとき小人じゃ。しかしそのちっぽけな器は、あまりに硬く、あまりに確かであった。おのれの分というものを徹頭徹尾わきまえた、あれはあまりに硬く美しい器の持ち主じゃった』

激動の時代を、その生き様を以って多くの人の記憶に鮮明に残り続ける、一人の高潔な男の生涯を、様々な人物の口を借りながら描き出す作品。

凄い作品だったなぁ。凄かった。とにかく凄かった。

正直に言えば、読み始めはよく分からなかった。まあ、これはしょうがない。何故なら、最初の方は、「いかに吉村貫一郎がダメな人間だったか」が描かれるからだ。もちろん、良い側面も描かれる。しかし、本書での吉村貫一郎の描かれ方は、最初の方は悪い印象が募るものが多かった。

とかくそれは、金にまつわる話が多かった。とにかく吉村は、金の亡者のような男だった。もちろん、新撰組などそもそも寄せ集めのような集団だったのだから、食い詰めてどうにもしようがなくなって流れ着いた者も多い。だから、金のために新撰組にいる、という人間ももちろんいただろう。

しかし、当時の感覚は、新撰組の隊士の一人の口を借りればこうだった。

『こいつはいってえ、何のために生きてるんだ。誰のために人殺しなんぞするんだ。こんなことを続けていたら、早晩叩っ斬られるか切腹させられるかして命がなくなるってえのに、そりゃあお天道様が東から昇るぐれえわかりきったことなのに、何でまたお命代の給金をいちいち国に送ったりするんだ。
当たり前だよ、亭主が女房子供を養うのは。だがよ、あの日あのときのあいつが、真正直にそんなことをしてるってのがな、俺にはどうともやりきれなかった。
その気持ちばかりァ、同じ暮らしをしていたやつにしかわかりゃしねえ。俺ァまったくやりきれなかった』

もちろん、言っている内容を見れば、むしろ吉村の良さが浮かび上がってくるような話なのだけど、最初の内は色んな話が、「吉村は悪く見られていた」という方向から描かれるので、物語に入るのに時間が掛かった。冒頭の、大野次郎右衛門に「腹ば切れ」と言われた話も、そんな印象を補強する。吉村が「竹馬の友」と呼ぶ大野次郎右衛門に「腹ば切れ」と言われるこの男の印象が良くなろうはずがない。

しかし読み進めていく内に、吉村貫一郎という男の印象がどんどん変わっていく。吉村が何をして何をしなかったのか、ということが徐々に明らかになっていくに連れて、どんどんと吉村貫一郎像が変質していくのだ。そして、そういう話の展開を理解することで、冒頭で何故吉村が悪し様に描かれていたのかも理解できた。要は前フリなのだ。吉村貫一郎を悪く見せることで、変化が劇的に感じられるようになる。

彼の人生は、追えば追うほど真っ直ぐだ。多くの人間が、時代や時代の変化に合わせて、自分自身の姿形や考え方まで変えてしまうのに、吉村貫一郎はそれを良しとしなかった。自分が何をしているのか、それがどんな罪であるのか、その罪と引き換えに何を得ているのか、そうするだけの価値がどこにあるのか―彼は、常にそういうことを考えていた。時代がどうとか、周りからどう見られるとか、そういうことは考えなかった。

その潔さに、多くの人が惹かれるのだ。

誰もが、こんな風に生きられれば素晴らしいだろうな、と感じる生き方を、吉村貫一郎はしていた。多くの人にとって、彼は理想だったし、希望だった。しかし、理想であり希望であるにも関わらず、彼の人生は、時代にそぐわなかったというだけの理由で苦しいものとなった。

そんな背負って余りある理不尽に気丈に立ち向かって、一人の男として真っ直ぐ生き続けた男の生き様は、読み進める毎に凄みを増していって、読み始めた頃の印象など吹き飛んでしまうほどだ。

こうありたい、こう生きたい、という理想を貫くことは本当に難しい。守るものがあったり、手放せない状況があったりすれば余計にそうだろう。時には妥協も必要だし、いずれにしても死ぬより生きる方がずっとマシ、というのも確かだとは思う。

しかし、多くの人間が、これだけ吉村貫一郎という人物について語りたくなってしまう、その背景には、やはり彼に対する憧れがあるだろうし、自分にはそんな風には生きられなかったという悔恨みたいなものがあるのだろうと思う。って、なんだかノンフィクション作品を評するような書き方になってしまったけど、なんだかそう感じてしまうぐらい、彼らの語りは生々しいし、「そこ」にいるような感じがするのだ。

彼が正しいか正しくないか、などという問いは無意味だし、問う価値もない。吉村貫一郎という男がこういう風に生きたのだ、ということそのものに価値があるのだと思う。そう思いたい。

人生全部を吉村貫一郎のようには生きられないかもしれない。でも、人生の内のどこか一時、あるいは一瞬でもいい、彼のような潔さで以って世の中と対峙することが出来ればいいな―そんなささやかな希望を胸に抱きながら、この作品を読み終わった。


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長江貴士
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