【映画】「ホース・ソルジャー」感想・レビュー・解説

そうだよなぁ、アメリカが日本を守ってくれるわけないよなぁ、とこの映画を観て思った。というか、戦争映画を観ると、よくそう思う。

アメリカ軍の兵士たちは、何のために戦っているのか。もちろん、いろいろあるだろう。しかし、彼らの中には、確実に何かはある。その何かは、「上官から命令されたから」だけではない、もっと個人に根ざした何かだ。

自国を守るためという大きな気持を持つ人もいるだろうし、家族のためというより個人的な理由である者もいるだろう。そういう何かがあるから、彼らは、絶望的な状況でも戦うことが出来る。はっきりと、守るべきものが見えているからこそ、彼らは戦うのだ。

ニュースなどで、日米同盟や自衛隊の話が出る。日本は、アメリカの核の傘の下にいなければならないのだ、と。まあそうなのかもしれない。そもそも日本の場合は島国だから、兵士たちが日本の地で地上戦を展開する、という展開はあまり想像しにくい。だから、この映画からの類推で日本の現状を語るのも間違っているのだろう。日本がアメリカに守られるという場合、それは長距離弾道ミサイルを撃ち落とすというような、ボタン一つで行うことが出来、アメリカ側に直接的な被害が出なさそうな状況を指すのだろうから。うん、そうであれば、アメリカも、何か日本がピンチに陥った時に助けてくれるかもしれない。

でもなぁ、と思う。確かにそれは、技術的には可能だけど、感情的にはどうなんだろう、と思う。

日本は、憲法9条を前面に出して、戦闘に関わらない国であると謳う。それは良いことだと思う。しかしそのためには、日本は、世界から戦争をなくす努力を積極的にしなければならないだろう、とも思う。それをしない、ということは、「どっかで戦争してるの知ってるけど、ウチは関わらないよ」と言っているだけになってしまう。まさに、絵に描いた餅ではないか。

もちろん、戦争というのは様々な理由で起こり、原因は複雑に絡み合っている。戦争以外の問題解決手段を模索すべきだと、恐らく世界中の多くの人が考えているはずだが、それでも戦争はなくならない。

戦争という問題解決手段は最悪手だと思う。思うが、しかし、現実にそれは起こっているのだし、誰が始めたにせよ、そこには犠牲者が多く生まれている。

そういう中で、戦いに身を置くことを選ぶ者が多くいるのがアメリカという国であるように思う。もちろん、アメリカが仕掛けたり、アメリカが原因だったりする戦争も山程あるだろう。そういう意味では自業自得とも言えるのかもしれない。しかし、手段としての善悪はともかくとして、少なくとも世界の戦争に対して、自らの身を以って立ち向かうことを選ぶ国民が、アメリカにはたくさんいる。


そういう中にあって日本は、自国民を戦争に参加させない。是非の問題ではなく、そういう態度をアメリカの国民を良いと考える理由が僕には思い浮かばない。技術的には可能でも、感情的に「日本人を助けたくない」と考える国民が多くいても、僕は不思議だとは思わない。

戦争映画を観ると、そういう気持ちが強くなる。彼らが立ち向かっている現実は、少なくとも、現代を生きる僕ら日本人には想像出来ないものだ。確かに、一昔前とは戦争のルールが大きく変わった。現代では、戦闘機や基地からピンポイントで爆撃することが出来る。彼らも、その支援は受けている。しかしそれでも彼らは、銃弾や砲弾が飛び交う中を馬に乗って全力疾走するという、戦国時代に近いような肉弾戦を繰り広げているのだ。

戦争の良し悪しの問題は置いておいて、現実に戦争というものがそこにあるのだから、なんとかするしかない。そしてその「なんとかする」に、日本人はほとんど関わることがないのだ。そのとてつもない差を、映画を観ながらずっと感じていた。

内容に入ろうと思います。
アメリカは度々、ビンラディンによるテロ攻撃にさらされてきた。そしてあの日、2001年9月11日、世界貿易センタービルに航空機が突っ込んだ。訓練中、そのテロのことを知ったネルソン大尉は、すぐさま陸軍へと戻り、現場復帰を申し出た。しかし、デスクワークを希望したのはお前だと言って却下される。しかし、ソマリアの内戦や湾岸戦争をくぐり抜けてきた歴戦の猛者が間に入り、ネルソンは仲間と共にアフガニスタンへと飛んだ。
そこで彼は、タリバンに占拠されているマザーリ(マザーリシャリーフ)を奪還する作戦を命じられる。ネルソンが率いるアメリカ陸軍特殊部隊チームODA595のメンバーは12人。彼らは北部同盟の一角を担うドスタム将軍と合流し、彼の信頼を勝ち得て作戦行動を共にするように言われる。ドスタム将軍らとタリバン兵の拠点に接近し、その座標を伝えることで航空支援によって爆撃する。そんな風にして、険しい山岳地帯を馬で移動しながら、マザーリ奪還を目指すのだ。

上官から6週間と言われたが、ネルソンは3週間でと返した。というのも、同地域で戦ったソ連軍が、冬の時期は山岳地帯の移動が困難になると何かで書いていたのを読んでいたからだ。陸軍の作戦立案者は、マザーリの奪還に2年掛かるだろうと想定していた。それを、たった3週間で。
必ず帰る、と妻と約束したネルソンは、出発前日の夜、手紙を書かないことに決める…。
というような話です。

このODA595というのは実在したようで、長らく機密扱いになっていた事実だそうです。ただ今では、世界貿易センタービルの跡地に、彼らの異形を称える銅像が立っているのだとか。

凄い話でした。実話を元にした話というのは、「実話である」という説得力しかなくて、物語としてはさほど面白くないことが多いです。まあ、それは当然と言えば当然で、現実なのだから物語のように分かりやすく起伏があったりするわけがありません。ただこの映画は、もちろん「実話である」という説得力の強さの他に、映像的な強さがあり、映画としても十分楽しめる作品でした。どこまでが事実なのか、こういう映画を観る度に判断が難しいですが、戦闘シーンの迫力や残虐さみたいなものは、当然実際の方がさらに上なのだろうと思います。

とはいえ、戦闘シーンの迫力は凄まじいものがありました。こういう戦争とか戦闘の映画を観る度に、どうやって撮ってるんだろうなぁ、と思うことが多いですが、この映画でもやはりそう感じました。僕の目には、本当に戦ってるようにしか見えなかったです。しかもその戦闘を、アフガニスタンの険しい山岳地帯でやるわけです。映像に惹き込まれてはいるんだけど、同時に、馬は本物だよなとか、これホントに中東で撮影してるのかなとか、そんなことを考えてしまいました。

とにかく物語としての要素は単純で、一歩も引かない「勇敢さ」と戦闘の「壮絶さ」がほとんどで、あとは家族との関わりとか、仲間の助け合いなんかが描かれていきます。物語としては、特にトリッキーな要素はありませんが、やはり「実話である」という説得力と、戦闘シーンの迫力でグイグイ惹き込まれていく映画だなと思いました。

僕は、戦争になったら可能な限り逃げようと思うし、誰かを殺してまで生き延びようとも思っていません。だからそんな人間が言うべきことではないわけですが、しかし映画を観てやはりこうも思いました。日本も、自国は自国で守れないとマズイんじゃないかなぁ、と。少なくとも、その意志ぐらいは持てる国民であるべきなんじゃないか、という気はしました。いや、戦争には関わりたくないし、僕は率先して逃げますけどね。

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