【映画】「楽園追放 -Expelled from Paradise」感想・レビュー・解説

近未来。人類は「ディーヴァ」と呼ばれる仮想空間を手に入れた。荒廃した地球を後にし、多くの人類が「ディーヴァ」に移り住み、ディーヴァで生まれた世代も多く存在する。
アンジェラ・バルザックは、ディーヴァのシステム保安官である。三等官という、非常に高い地位にいて、ディーヴァにおいて「社会に良く貢献する者」とみなされている。ディーヴァは楽園であり、その中でアンジェラは、高いレベルの享受を受けることができる。
ディーヴァには現在、ひとつの問題がある。それは、完璧なはずのセキュリティを突破し、データリンク回線をクラックしシステムに侵入する存在がいるということだ。しかも、とても信じられないことに、その存在は「リアル・ワールド」(地球の地平面上)からハッキングを行っているのだという。ディーヴァの上層部は、このハッキングを「攻撃」とみなし、排除しに掛かる。旧時代のシステムしか存在しないはずのリアル・ワールドからのハッキングを調査するのが、アンジェラの任務である。
肉体を失い、近くだけの存在になったディーヴァ市民がリアル・ワールドで活動するために、DNA情報により最適化された生体ボディに意識を移植する。そうやってアンジェラは、宇宙空間上に存在するディーヴァから、リアル・ワールドへと送り込まれた。生後すぐ肉体を失ったアンジェラにとっては、肉体と共に活動するのは初めてのことである。
リアル・ワールドにおける案内役は、DINGOという名の男である。DINGOについては事前に、「優秀だけど素行不良」という情報を得ていたアンジェラだったが、早々にその「優秀」な部分と「素行不良」な部分を見せつけられることになる。そして、その結果としてアンジェラは、「自らが今まで頼ってきた全システムからの恩恵を受けられない状態」で、リアル・ワールドにおける調査を進めざるを得なくなる。

『狩りは先に焦った方が負けなんだぜ』

そう嘯くDINGOは、やはりキレる男であり、システムの恩恵を受けられず、勝手が分からず戸惑うアンジェラの不安をよそに、順調に調査は進んでいくのだが…。
というような話です。

非常に面白い映画でした。映画自体、見るのが物凄く久しぶりで、映画を見慣れている人間ではないのですが、つらつらと色々書いてみようと思います。
本書の中心的なテーマはいくつかあるのだけど、最初にズバンと提示されるのは、【肉体か、精神か】です。
この対立は、当然、アンジェラとDINGOのやり取りから浮き彫りになります。アンジェラは、生まれてすぐ肉体を捨てたので、「知覚が極限まで鋭敏になった世界」しか知らない。与えられるメモリの容量によって可能になる体験にも差が出るが、アンジェラ自身は、「100億光年先の電子線バーストを感じたことがある」という。アンジェラにとっては、肉体を失うことに「よって極限まで研ぎ澄まされた「知覚」こそが、人類が享受すべき価値のある事柄であって、肉体はそれを妨げる「枷」としか捉えていない。アンジェラが何歳なのかは不明だが(作中では幼い少女のように描かれるが、これは他の保安官を出し抜くために、生体ボディを早急に生成させ、いち早くリアル・ワールドへと向かったためである)、生まれてこの方「肉体を持たない生き方」しかしたことがないのだから、当然の感覚と言えるだろう。
だからこそアンジェラは、DINGOが差し出す「旨そうに焼けた肉」を断り、「なんの味もしない簡易補給食」を口にする。「食べること」は「空腹を解消することによって代償的に得られる快楽」でしかなく、それは「肉体という枷に縛られた限定的な快楽でしかない」のである。

そんなアンジェラだが、常にギターを持ち歩き、ディーヴァのアーカイブからは既に消去されてしまった旧時代の音楽(ロックである)を聞くDINGOが口にした、「音楽を骨で感じるんだ」という言葉に囚われる。アンジェラにとって、肉体とは不要なものであり、「肉体によって知覚する」ということが想像できないのだ。しかしDINGOはそれを、素晴らしいことであるかのように語る。とはいえ、アンジェラはやはり、肉体に留まることが理解できないでいる。
それは、病気になったり、システムによって行われていた言語翻訳も出来ないという、実際的な不具合によっても、さらに強化されることになる。

『いずれ滅んでしまう肉体しか持たないのに、そんな儚い存在なのに、どうして私と関わることが出来るの?私のことが、怖くないの?』

リアル・ワールドで不便さを強いられているアンジェラにとっても、DINGOは謎めいた存在だ。これだけ優秀な人間なのに、どうしてディーヴァに来ないのだろう?アンジェラにとって、「ディーヴァに来ない人間」は、「よりよい人生の価値を理解していない愚か者」でしかない。しかし、それが理解できないほどDINGOが愚かだとも思えない。アンジェラは、任務を遂行しつつ、DINGOの生き方について疑問を拭えない。
【肉体か、精神か】というテーマは、全編を貫くものだ。決して、冒頭で「サイバースペース」と「リアル・ワールド」を対比させるためだけに出て来るわけではない。これが、この物語の非常によく出来た部分だと思う。導入部分で、全体の骨となるテーマを、舞台設定を説明する道具として使いつつ、同時に、最後までそのテーマを手放さない。後半でこのテーマがどのように生きてくるのかは、是非本編を見て欲しいが、それは最終的には、「人間とは何か?」という問いに繋がるのである。
一方で、もう一つハッキリと分かるテーマがある。それは、【ローテクか、ハイテクか】である。
アンジェラが住むディーヴァは、ハイテクの結晶のような場所である。それまでの全人類の全叡智がアーカイブされ、また、人間を肉体から解放し、極限まで知覚を広げることが出来るようになった。人間は、肉体という不便なものを捨て、どこまでも自由に飛翔できるようになったのだが、それはすべて、ディーヴァというハイテクの結晶の賜物である。
しかし、完全なものは、完全であるが故に不完全である、とも言える。数学者・ゲーデルは、自身の論文によって、数学という構造物が、どこまでも完全にはなりえないことを証明した。学問の中で唯一数学だけが、「完全なる証明」を達成することが出来る。数学的に証明されたことは、何があっても絶対に正しい。しかし、そんな正しいもので構成されているはずの「数学」という構造物は、永遠に完全にはなれないのだ。
ディーヴァも、ディーヴァを構成する要素は完璧なのだろう。人類の叡智をすべて集結させた結晶なのだから。しかし、構成要素が完全だからと言って、その全体が完全になるというわけではない。ディーヴァもまた、不完全な存在なのだ。

しかし、生まれてこの方ディーヴァで育ち、ディーヴァの考え方で生きてきたアンジェラには、「ディーヴァが不完全である」ということが理解できない。これは、ディーヴァを支配する者たちにとっても同じだ。彼らは、「完璧なはず」のディーヴァのセキュリティが破られたことが理解できない。そんなはずはないのだ。しかし、実際にそれは破られてしまった。
この、「完全なはずのものが完全ではない」という部分が、物語にとってとても重要な要素となる。「完全なはずである」という思い込みがあるからこそ、付け入る隙が生まれるのだ。しかもそれは、リアル・ワールドという、旧時代的なローテクによって成し遂げられている。
僕たち現代人も、何を以って「完全」というかは置いといて、「完全」を目指して全力疾走を続けているのだろうと思う。様々な技術やシステムは、「人類や社会をより完全なものにしていくため」に生み出されているのだろう。技術的にこのアニメのレベルまで人類が到達可能なのかはわからないけど、少なくとも僕たちの資質として、このアニメのような社会を目指して多くの人が何かを乗り越えようとしているのだろうと感じる。
しかしそれは、ゲーデルによってその野望を打ち砕かれた数学者・ヒルベルトのように、実現不可能に僕には思える。「完全」を目指す営みは、「完全」を達成するのに不完全なのだと思う。むしろ、不完全なものをどれだけ許容することが出来るか。その営みの中に、「完全」のための道筋があるのではないか。このアニメを観て、僕はそんな風に感じた。
ハイテクであればあるほど、そこに緩みや隙間が生じる。「ハイテクなのだから、ローテクに負けるはずがない」という思い込みに、付け入る隙が出来る。ラスト、まさにハイテクとローテクの激しい闘いが繰り広げられることになるのだが、ローテクであるが故の油断のなさと、ハイテクであるが故の隙の甘さが、非常にうまく拮抗する部分が見どころである。
【肉体か、精神か】というテーマも、【ローテクか、ハイテクか】というテーマも、共に【自由とは何か?】という問いかけを突きつけてくる。アンジェラは、極限まで知覚が押し広げられるディーヴァこそが「自由」だと感じる。しかし当然ながら、DINGOはそうは考えない。DINGOはDINGOなりに、肉体に囚われた、地表にへばりついた人生を「自由」だと感じている。
これは、生き方に対する姿勢や価値観の問題ではあるが、重要な問題として一つ、こんなことを考えさせられる。それは、「管理されている人間は、管理されていることに気づけないのではないか」ということだ。ディーヴァに生きる人々は、恐らくアンジェラと同様、自らを「自由」だと感じていることだろう。しかし、DINGOに言わせればそれは、「ただ飼いならされているだけに過ぎない」ということになる。アンジェラは冒頭で、『私は、頑張らなかったことなんてない。弱音を吐いたことも、諦めたこともない。絶対に手柄を立ててやる』と息巻く。DINGOは後々、そこを突くことになる。

『奴隷になってまで、楽園で暮らしたいとは思わない』

例えば僕らは、アドルフ・ヒトラーがした残虐な歴史を知っている。ユダヤ人を虐殺するために、多くの人が手を貸したことを知っている。彼らは、自分たちが管理されていることに、気付いていただろうか?気付いていたとした、あそこまでの残虐な行為に手を染めることは出来ないような気がする。彼らは、自分たちが管理されていると思っていなかったからこそ、あのような行ないが出来たのではないか。
それは、僕たちにも当てはまるのかもしれない。僕は時々こう考える。100年後の人類は、今僕らが生きている時代を、どんな風に評するのだろうか、と。僕たちは、まさに今僕たちが生きている真っ最中の時代にいるからこそ、もし管理されているとしてもそれに気づきにくい。僕たちは、アンジェラが肉体を失った功罪に気づかないように、アンジェラにとっての肉体に該当する、何かとても大事なものを奪われているかもしれない。ただそれに気づいていないだけかもしれない。巧妙に隠されているのかもしれない。アンジェラは、DINGOという異世界の住人と価値観のやり取りをすることによって、ディーヴァ内にいたら気づけなかったことに気づくことが出来るようになった。僕たちにとって、DINGOに該当するような存在は、一体何であろうか?
【自由とは?】という問いは、最終的に【人間とは?】というテーマを導き出すことになる。

『僕たちが失ったものを持っているのが、アンタなんだ』

肉体を持つから人間なのか。精神だけでも人間と言えるのか。人間であるためにどのような自由が必要とされるのか。人間であるための必要最低限の要素とは一体なんなのか?答えが明確に提示されるわけではないが、このアニメはそのような問いかけをすることで、観客に考えることを促している。
最後に一つ。このアニメのような「非現実的な世界観」について書いておきたいことがある。
SFに代表されるような、現実とは異なる世界観を描く作品はたくさんあるが、「非現実的な世界観」を舞台にすることで、「テーマを極限まで純化することが出来る」と僕は考える。
本書では、【肉体か、精神か】【ローテクか、ハイテクか】【自由とは?】【人間とは?】など多くのテーマを扱うが、これらを現実の世界の中で描こうとすると、余計な夾雑物が混ざりこんでしまうことが多いように思う。このアニメのストーリーをどのように作り上げたのかは知らないけど、もし上記のようなテーマから組み上げていったとすれば、テーマを純粋に描ききる世界観を設定することが出来る。このアニメは、このアニメで描くべきテーマを描ききるのに、最適な世界観を提示出来ていると感じる。「非現実的な世界観」を舞台にすると、その世界観の説明に時間を使わなくてはならなくなるが、それをして余りあるほどの効果があるのだろうと感じる。
展開が早く、密度が高く、テーマが深く掘り下げられているアニメだと感じました。人類が、サイバースペースとリアル・ワールドを選択しなければならない日が来るかどうかはわからないけど、そうなった時、自分だったらどうするか、考えてみるのも面白いと思います。

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長江貴士
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