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【本】菅沼悠介「地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか」感想・レビュー・解説

2020年1月17日、「チバニアン」という名前が大きく報道された(この文章を書いているのは2020年3月24日だけど、そんなに最近のことだったか、と感じた)。約77万年前から約13万年前までの期間を指す地質年代の正式な名称と決まったのだ。当然これは「千葉」に由来する名前であり、地質年代に日本由来の名前がつくのは初めてのことだ。というか、恐竜が絶滅して以降の6500万年間の地質年代の名称はすべて、地中海沿岸地域に由来する名前ばかりなのだ。そういう意味で、地中海沿岸地域以外からの初選出という意味でも快挙であった。

さて、この「チバニアン」というのは、ある年代の地層につけられた名称に過ぎない。しかし、その名称の決定の背景には、壮大なドラマがある。著者自身、この「チバニアン」の申請タスクチームに所属しており、重大な貢献をするのだけど、しかし元々は「古地磁気学」が専門の学者だった。

古地磁気学???

僕は理系の人間で、理系方面にかなり関心はあるが、それでも「古地磁気学」という名称は、もしかしたら本書で初めて聞いたかもしれない。さてそんな、決してメジャーとは言えない学問分野が、いかにして「チバニアン」と結びつくのか。

その背景を描き出すのが本書である。その核となるのが、タイトルにもある「地磁気逆転」である。「チバニアン」が、イタリアの候補地を退けて選ばれたのは、「一番最近起こった地磁気逆転の証拠が見つかった」という点が大きい。「地磁気逆転」なくして「チバニアン」はあり得なかったのだ。

「地磁気逆転」というのは、文字通り、地球の「地磁気」が180度「逆転」することだ。今我々は「磁石のN極が北を指す地球」に生きているが、それは「チバニアン後」のことであり、「チバニアン前」は(もしその時代に方位磁石があれば)「磁石のN極が南を指す地球」だったのだ。そしてこの逆転は、過去に何度も起きているということが分かっています。過去250万年間で11回以上起こっているのです。

【現代のスーパーコンピューターを使っても、地球ダイナモの完全な再現は成し遂げられていません。そのため、いまだに地磁気逆転のメカニズムの詳細は謎に包まれています】

とあるように、「地磁気逆転」という現象の存在は確定しましたが、何故、どのように起こるのか、ということはまだ分かっていません。なにせ我々は、未だに「地磁気逆転」という現象を実際に体験したことはないのです。地球上に残されたありとあらゆる痕跡から、「地磁気逆転」という現象が過去に繰り返し起こっているということを明らかにしていったわけです。

本書は、その過程を描き出す一冊だ。本書では、磁石の発見から話は始まるが、その辺りはすっ飛ばそう。「伊能忠敬は何故正確な地図が書けたのか」「日本でもオーロラが見えた」「東京で起こった地震がきっかけで、地球内部の研究が進んだ」「『P’』というタイトルの超有名な論文がある」など面白い話が多々あるのだが、それらは是非本書で読んでほしい。とにかく、先人の努力によって「ダイナモ理論」と呼ばれる、地球内部で起こっている出来事を記述する理論体系が生み出された、ということが重要だ。

しかし、ダイナモ理論だけでは「地磁気逆転」にたどり着けない。ここで「古地磁気」が登場する。「古地磁気」とは、地層や岩盤に刻まれる、過去の地磁気の記録のことだ。

ここで、日本人の松山基範が登場する。松山は、「磁極期(ある程度同じ地磁気極性を持つ期間のこと)」の名前に残っており、この分野の先駆者として知られている。そもそも、一番最近の地磁気逆転は「松山―ブルン境界」と呼ばれているのである。

松山は、様々な溶岩の残留磁化を測定した結果、「過去に何度も地磁気逆転が起こっている」と発表する。溶岩の年代と、残留磁化を並べることで、何度も地磁気の逆転が起こっていることが分かったのだ。しかし当時はあまりに斬新で、評判は良くなかった。しかし、寺田寅彦が興味を持ち、寺田の推薦を受け、松山は論文を投稿する。この論文は、「時代の変遷とともに地磁気の極性が変化したこと」を最初に報告した論文として、世界の科学史上の重要なマイルストーンとなった。しかし、松山の研究に注目が集まるには時間が掛かった。

さて、「松山―ブルン境界」の「ブルン」も人名であり、ブルンこそ「地磁気逆転」の発見者と言える。松山は「地磁気逆転が何度も起こっていた」ことを示したが、ブルンは「地磁気逆転が起こった」ことを松山よりも早く示唆していたのだ。

彼らの功績が認められなかった理由は、推測ではあるが存在する。一つは、「ある種の物質がなぜ残留磁化を持つのか」が分かっていなかったから。しかし、ネールという物理学者が、後にノーベル賞を受賞することになる「フェリ磁性」に関する研究により、この点は払拭される。

もう一つの理由が、「自己反転磁化」である。これも日本人が発見した現象で、「ある種の溶岩が、外部の磁場とは逆向きの熱残留磁気を獲得する現象」だ。松山もブルンも、「現在の地磁気とは反対の残留磁化」を測定したからこそ地磁気逆転を提唱したわけだが、「自己反転磁化」という現象が存在するなら、不思議でもなんでもない。しかしこの「自己反転磁化」は、特殊な成分を持つ溶岩でのみ起きる現象だと明らかになり、この点も問題ではなくなる。

しかしそれでも、「地磁気逆転」という現象は、広く受け入れられることはない、マイナーな仮説に留まっていた。

さてここで唐突だが、「大陸移動説」の話をしよう。ウェゲナーは「かつての大陸が分裂し、移動して現在の配置になった」という大胆な仮説を提唱したが、認められることなくこの世を去る。しかしこの「大陸移動説」が、「海洋底拡大説」として復活することとなる。そのきっかけが古地磁気だった。非常に高い精度の磁力計が開発されたことで、驚くべきことが分かったのだ。

ケンブリッジ大学の研究者が、約7億年前までさかのぼれるスコットランドの砂の地層の残留磁化の測定に挑んだ。すると、岩石の年代が新しい場合、残留磁化が示す「北」は現在の北極近くを指すが、年代が古くなるにつれて現在の北極から遠ざかる、ということが分かった。つまり、「地磁気の北極(地磁気極)」が移動しているようなデータだったのだ。彼らはこれを「極移動曲線」と名付け発表すると、科学の世界を超えて一般にも大反響を巻き起こした。地磁気極が移動してるなんて凄いじゃないか、と。しかし、科学者の捉え方は違った。「地心軸双極子仮説」というものがあり、これを踏まえた場合、移動しているのは地磁気極ではなく大陸の方だ、ということだ。つまり、地磁気を記録した後で、大陸が移動したことで、残留磁化が示す「北」が北極からズレているのだ、と。これにより、「大陸移動説」は復活、また「地磁気逆転」という現象の存在も存在が認められるようになったのだ(ちなみに、この研究に従事した大学院生のアービングは、この研究結果を持って博士号審査に臨んだが、あまりに先駆的すぎて誰も評価できず、彼は博士号を取得できなかった)。

一方、海底でもおかしなことが2つ起こっていた。1つは、平坦だと思われていた海底が、2000mを超える高まりがあることが分かってきた。野球ボールの縫い目のように、中央海嶺と呼ばれる大山脈があることが分かってきたのだ。この中央海嶺を見てみると、中央海嶺が両側に引っ張られることで引き裂かれているような溝がある。まるで海洋底が拡大して形成されているかのようで、その形成のメカニズムが奇妙に感じられた。

また一方で、海底の地磁気を測定すると、僅かなズレ(これを「地磁気異常」と呼ぶ)が規則的な縞模様で記録される、ということが分かった。規則正しく地磁気異常が記録される仕組みを、誰も想像出来なかったのだ。その説明をしたのが、マシューズとバインであり、彼らは「テープレコーダーモデル」と呼ばれるシンプルなアイデアで、「地磁気逆転」「熱残留磁化」「海洋底拡大」をすべて一気に説明してしまうものだった。これによって、ほぼ「地磁気逆転」は認められたという状況でした(ちなみに、モーリーという人物が2人よりも先に同様の論文を「ネイチャー」誌に投稿していたが、拒否されてしまう。今ではこの「テープレコーダーモデル」は、「バイン―マシューズ―モーリー仮説」と呼ばれている)

さてその後、「カリウム―アルゴン法」と呼ばれる、溶岩の年代をかなり正確に調べる手法が開発されたことで「地磁気逆転は存在するか?」という論争に終止符が打たれ、以降は、「過去のどの時期に地磁気逆転が起こったか?」という年代を測定する競争が始まった。

さてこうして「地磁気逆転」という現象が認められ、「古地磁気」の測定により、過去の地球に関する様々な情報が分かるようになった。しかし、古地磁気学には、重要な未解決問題が残されていた。それは、「海底堆積物において、地磁気情報が地層中のどの深さで記録されるか?」ということだ。海底堆積物の表面で記録されるのか、深さ15cmのところで記録されるのか、はたまた深さ1mのところで記録されるのか。海底堆積物の残留磁化を測定しても、この「どの深さで記録されるか?」が分からなければ、正確なことが分かりません。

この未解決問題に終止符を打ったのが本書の著者であり、そしてその研究が「チバニアン」に繋がっていくわけだが、そこに行く前に「宇宙線生成核種」の話をする。

「宇宙線生成核種」というのは、銀河宇宙線が地球の大気とぶつかることで生成される様々な粒子のことだ。「宇宙線生成核種」は、地球に到達する銀河宇宙線量によって変わる。つまりそれは、太陽磁場や地磁気によって変動する。つまり、「宇宙線生成核種」の生成量が分かれば、時代時代における太陽磁場や地磁気の様子が分かる、ということだ。

「宇宙線生成核種」の中でも、本書に関係するのはベリリウム10である。半減期が約140万年であるので、長い期間に関わる測定によく利用される。「宇宙線生成核種」は、南極やグリーンランドの「氷床」から採取し、測定する。

そして、このベリリウム10を使った年代測定が、未解決問題の進展に大いに役立ったのだ。

元々、ミランコビッチ理論と呼ばれるものから海底堆積物の年代測定をしていたが、精度に限界があった。一方著者は、海底堆積物の古地磁気とベリリウム10を測定することで、長い時間スケールにおける太陽活動の復元を研究していた。その分析の最中、「古地磁気記録が示す地磁気逆転時期」と「ベリリウム10が示す地磁気逆転時期」にズレがあることが分かった。つまりこのズレこそが、「堆積残留磁化の獲得深度」であり、詳しく測定することで、著者は獲得深度が15cmと理解したのだ。これでようやく、長年の未解決問題だった「獲得深度」に決着がついた。

さて、ここからようやく「チバニアン」に近づいてくる。この結果を利用して、著者は、「松山―ブルン境界」の正確な年代測定が可能だ、と分かった。それが「海底堆積物に含まれる火山灰の年代測定」を行うことだ。海底堆積物をミランコビッチ理論で測定し、また同じ海底堆積物(の火山灰)の放射年代測定を行い、両者の地質年代の目盛りを合わせることで「松山―ブルン境界」の正確な年代を求めよう、というのだ。「松山―ブルン境界」は、地質年代における重要な「目盛り」としてこれまでも使われてきたので、それを正確にすることは非常に重要なのだ。

さて、そんなわけで著者がやらなければならないことは、「火山灰が含まれる海底堆積物」を見つけることだ。しかし、これが非常に難しかった。通常、海底堆積物には火山灰は含まれないからだ。しかも、その地層は「松山―ブルン境界」が記録されていなければならないのだ。様々な研究者に話を聞く中で、著者は、そんな地層が房総にある、という情報を耳にする。

それが、後に「千葉セクション」と呼ばれるようになり、さらに「チバニアン」と正式に命名された地層だったのだ。ここから、「チバニアン」申請の物語が進んでいく。

著者は元々知らなかったが、GSSPと呼ばれる、地層年代の境界を規定するために世界で1箇所選ばれる場所の選定に「千葉セクション」を推すという動きは、1990年から始まっていた。国際第四紀学連合のリッチモンドが、GSSPの有力候補として千葉セクションを検討するとある大学教授に伝えたことが発端だった。

しかしその後、審査はストップ状態。その大きな理由の一つが、千葉セクションに関する論文が学術雑誌に発表されず、比較検討が出来ない、というものだった。

そこに飛び込んできたのが著者だった。著者は、そんな動きがあるとはつゆ知らず、千葉セクションの地層の分析によって、「松山―ブルン境界」の正確な年代に関する研究発表をしていたのだ。そこで、著者らをタスクチームに組み込み、事態は大きく進展していくことになる。

3つあった候補地の内、GSSPとしての条件を完全に備えていたのは千葉セクションであり、その点に問題はなかったが、しかし、審査の過程では様々なトラブルが発生する。その多くは、「ジオパーク認定推進を謳っていた団体」と表記される、当初は共にGSSP申請を目指していた「団体」とのトラブルだった。「団体」による妨害工作により、ある致命的な問題を抱えたこともあったが、千葉セクションを抱える市原市が、台風による甚大な被害を受けている中、半日のみ市議会を開催し、とある条例を可決する、というサポートにより回避できたという。

そうやって、地質年代として初めて日本に由来する「チバニアン」が誕生したのだ。

地磁気なんか生活に関係ない、と思ってはいけない。地磁気は、地球を守るバリアのようなものだ。宇宙からは、太陽風や銀河宇宙線など様々なものが飛んでくるが、それを地磁気がバリアしてくれる。事実、地球上空を飛ぶ人工衛星は、地磁気が薄いところで頻繁に故障する。また、気候変動とも関係があると考えられている。

実は、過去200年ほどの間に、地磁気の強さは低下し続けている。このままのペースで地磁気が低下し続ければ、1000年~2000年後には地球の地磁気強度はゼロになると考えられている。そうなった時、何が起こるのかはっきりとは分からない。しかし、地球環境に甚大な影響を及ぼすことは間違いなさそうだ。

そういう意味でも、「チバニアン」をきっかけに、地磁気や地磁気逆転に興味を持ってみるのもいいだろう。



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