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【本】森博嗣「スカイクロラ」感想・レビュー・解説

空がある。
僕の頭上に、空がある。
そこに、僕のすべてがある。


美しさも、
楽しさも、
哀しみも、
孤独も、
意思も、
強さも、
そして、
生きる意味さえも。
すべてが、そこに溶けている。


それらに会いに行くために、
いや違うな、
それらと一緒に溶け合うために、
僕は空を目指す。
空に墜ちていく。


そこが僕の居場所で、
そこにしか僕はいられなくて、
安らかに僕を迎えてくれる。


空は優しい。
綺麗なものしか浮かんでいられないから、
浮かんできたものには優しい。
冷たい空気も、
太陽の熱気も、
たなびく雲も、
そして、
戦うべき相手も、
すべてが優しい。


そこは自由で、
人工のものはほとんど何もない。
あるのは、戦闘機くらいなものだろう。
人間が作ったものはきっと、
汚れているから浮かんでいられないんだ。


僕たちだって、
いつかは地上に戻らなくちゃいけない。
汚れた世界に。
つまらない世界に。


空に浮かんでいられる一瞬のために、
そんな奇跡的な一瞬を信じたがために、
僕らはこうして生きている。


大人は問う。
何故戦うのか、と。


僕たち子供は答える。
生きるためだ、と。


大人には、理解できないだろう。
僕たちも、理解されたくはない。


いつだってこうして生きてきた。
こうしてしか、生きていけなかったんだ。


今日も、
正しいものが空へと浮かんでいく。
美しいものが空へと浮かんでいく。


そうして、
いつか空に戻れなくなる日が来るのだろう。
空にいられる奇跡を今日もかみしめて、
空にいられる明日を絶望的に信頼して、
今日も僕たちは夢を見る。


現実かもしれない夢を、
現実だったかもしれない夢を。


そろそろ内容に入ろうと思います。


とても悲しい物語だった。


舞台は大分未来の(というのは実際判断出来ない。50年前の大きな戦争という表現があるが、その戦争が第二次世界大戦を指しているとも限らない)世界。名前から判断するに恐らく舞台は日本と考えていいだろう。


子供が戦争を仕事にしなくてはいけない世界。主人公はパイロット。上司の命令によって偵察に出向き、時には右手が人を撃つ。


新しく配属された主人公「カンナミ・ユーヒチ」は、周囲の人間と関わりながら淡々と過ごす日常が描かれる。


特別ストーリーがあるわけではない。というか方向がない。特別殺人事件がおきるわけでも、成長を描いているわけでもない。少しだけ村上春樹の作品(というか風の歌を聴け)に似ているような気がした。


敢えていうなら恋愛ものかも。


何故彼等(彼等が誰かはおいといて)は戦闘機に乗るのか(乗らなければいけないのではなく)。そういったことが次第に分かっていくことで、彼等が生きていること、その存在そのものがとても悲しく思えてくる。


ストーリーがない作品はあまり好きではないけど、この作品は、氏の作品だからということもあっただろうけど、飽きることなく読めた。とにかく説明のしづらい作品だ。


ということで以下面白いなと思った場面やセリフを抜き出してみる。

もう一人は階段の途中まで下りてきて、そこで座って脚を組む。新しいストッキングを僕に見せたかったのかもしれない。でも、ストッキングの性能に関しては僕はほとんど知識がない。

正しい情報なんて、もう残っていないだろう。
正しい情報ほど、早く消え去るものだ。

人の顔は簡単に殴れるのに、自分の顔は殴れない。
自分のものになった瞬間に、手が出せなくなる。
自分のものは、何も壊せなくなる。
僕は自分を壊せない。
人を壊すことはできても、
自分は、壊せない。

靴のサイズはもう、ずっと、このままだろう。

仕事も女も、友人も生活も、飛行機もエンジンも、生きている間にする行為は何もかもすべて、退屈凌ぎなのだ。
死ぬまで、なんとか、凌ぐしかない。
どうしても、それができない者は、諦めて死ぬしかないのだ。


(中略)
僕たち子供の気持ちは、大人には決してわからない。
理解してもらえない。
理解しようとするほど、遠くなる。
どうしてかっていうと、理解されることが、僕らは嫌なんだ。
だから、理解しようとすること自体、理解していない証拠。
(中略)
僕はまだ子供で、
ときどき、右手が人を殺す。
その代わり、
誰かの右手が、僕を殺してくれるだろう。
それまでの間、
なんとか退屈しないように、
僕は生き続けるんだ。

ルールが偉くなった。融通が利かない

唯一の問題は、何のために生きるのか、ということ。
(中略)
生きていることを確かめたかったら、死と比較するしかない、そう思ったからだ。これは贅沢な悩みだろうか。

どうしてコクピットを開けなかったかって?
たぶん、死ぬときは、何かに包まれていたかったのだ。
生まれたときのように。
そんな死に方が、僕の憧れだから。

自分の責任だと考えることが、一番楽なのだ。
全部、自分の責任なら、閉じていれば良い。完結できる。人の責任だと思うから、処理が難しくなる。

意識しなくても、
誰もが、どこかで、誰かを殺している。


押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか・・・。その被害者に直接触れていなくても、みんなで押したことには変わりはないのだ。


私は見なかった。私は触らなかった。


私はただ、自分が押し出されないように踏ん張っただけです。


それで言い訳になるだろうか?


僕は、それは違うと思う。


それだけだ。


とにかく、気にすることじゃない。


自分が踏ん張るのは当然のことだから。


しかたがないことなんだ。

笹倉の望みはいつも現実的だ。


彼の望みは、いつも形があって、しかも、すぐそこにある。


手を伸ばせば届くところにあるのだ。


僕はそれが羨ましかった。


(中略)
人に理解されることほど、ぬるぬるとして、気色の悪いことはない。僕はそれが嫌いだ。できるだけそれを拒絶して、これまで生きてきた。
(中略)
抵抗があっては飛べないのだ。
(中略)


ただ、一つだけいえることは、
間違っていても、生きている、ということ。
間違ったままで飛んでいる。


飛んでいることが、間違っていることなのだ。


わからないだろう。


きっと誰にも、わからないだろう。


そして、
誰にも、わかってもらいたくない。

こんな感じの小説。是非とも読んでほしい。


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長江貴士
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