【野口健'S VOICE】「シェルパ基金」第一期生 成長したパサン君と再会
昨秋、講演終了後に、一人のネパール人の青年が控室を訪ねてきて、私を驚かせた。彼は、私の活動の一つである「シェルパ基金」の第1期生のパサン・リンジ・シェルパだった。
シェルパ基金は、ヒマラヤで犠牲となったシェルパの遺児のための教育支援で、彼は、この基金によって、小学校1年より12年間、カトマンズの学校で勉強し、その後、日本に留学していたのである。1年以上前から日本に来ていたのだが、日本語できちんと話せるようになってから、私に会いに来ると決めていて、やっと来られたのだと、とても丁寧な日本語で話してくれた。あどけない笑顔は、初めて出会った頃のままだった。
彼の父親は、私のエベレスト清掃登山隊にも参加したことがあり、強くて頼りになるシェルパだった。彼は、2002年の春、別の登山隊でヒマラヤ遠征中に、病気で亡くなった。私は、その訃報を聞き、とてもショックを受け、シェルパという仕事の過酷さを改めて感じることとなる。
それ以前より、私は、シェルパが危険を伴う職業であるにもかかわらず、きちんと保証されていないことが気になっていた。家族を養うためにヒマラヤに向かう彼らは、多少の体調不良だからといって、簡単にそのシーズンの遠征を休めるはずがなかったのだ。
彼が亡くなった翌年、私は、「シェルパ基金」を設立し、小学校1年生のパサン・リンジを迎え入れた。それから毎年、何人もの遺児をサポートしてきた。学校で学べることを心から喜び、目をキラキラさせて先生の話を聞いている彼らの姿を見て、学校に行くことが当たり前で、恵まれていることなど気が付かなかった自分自身の子供時代を恥じた。資金集めは苦労したが、彼らの成長を見守りながら、この活動を途中でやめるわけにはいかないと責任の重さも痛感したのだ。
パサン・リンジは、「これから日本とネパールのために、もっともっと勉強して、頑張って働きたい」と話してくれた。
成長した子どもは、彼だけではない。「勉強ができることの楽しさを教えてあげたい」と地元の村に戻り学校の先生になっている子もいる。
活動を始めてから16年。子供たちの成長が、この活動の本当の意義を感じさせてくれることとなった。
(2019年5月執筆)
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