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大局観なき経営判断

※文化時報2022年2月11日号掲載の社説です。

 仏教と医療を結び付けることに尽力した真言宗豊山派僧侶の田中雅博師(1946~2017)は、旧国立がんセンターで勤務経験のある内科医だった。生まれ育った自坊・西明寺(栃木県益子町)の住職を継ぐと、境内に診療所を建て、仏教精神に基づく緩和ケアを行った。

 晩年は自らも進行性の膵臓(すいぞう)がんに侵され、闘病を続けながらスピリチュアルケア=用語解説=の重要性を訴えた。著書やインタビューでたびたび指摘したのは、医療機関が宗教者を雇えるよう、スピリチュアルケアを診療報酬に位置付けることだった。

 診療報酬は、医療機関に支払われる費用のことで、厚生労働大臣が医療の内容ごとに値段を細かく決めている。ここに盛り込まれない医療は、公的保険を使えないため、医療機関は全額を患者に負担してもらうか、持ち出しするしかない。

 臨床宗教師やビハーラ僧といったスピリチュアルケアの専門職が、給料をもらえずボランティアとして従事することが多いのは、こうした経営上の足かせがあるからだ。逆に言えば、現状でも宗教者を雇っている医療機関は、その必要性を理解し、限られた収入の中からやりくりして人件費を捻出している。

 宗教界は、そろそろ本腰を入れて診療報酬の見直しを求めるべきではないか。

 1985(昭和60)年に佛教大学の研究員だった田宮仁氏らが、ホスピスに代わる概念として「ビハーラ」を提唱して以来、仏教は緩和ケアに関わってきた。信仰に基づく使命感から自分で医療機関を開拓していった僧侶がおり、仏教の懐の深さに感銘を受けて得度した医師もいた。

 そうした個人のやりがいや心ある医療機関の努力に頼るだけでは、限界がある。

 「死に直面したとき、宗教は心の支えになるか」。日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の調査で、「なると思う」と回答した割合は、東日本大震災直後の2012年が54・8%だったのに対し、18年は32%まで急落した。宗教界が社会の期待に十分応えてこられなかった可能性がある。

 ならば、超高齢多死社会を目前に控えた今こそ、宗教界は医療機関を持つ教団を中心として、スピリチュアルケアを診療報酬に位置付けるよう、医療界や政財界に要望すべきだ。

 そんな折に、浄土真宗本願寺派は独立型緩和ケア病棟のあそかビハーラ病院(京都府城陽市)の運営から3月末で撤退することを決めた。「お坊さんのいる病院」を死守する経営を続けてきたからこそ持ち得た対外的な説得力は、これで失われる。社会の仕組みを変える「ゲームチェンジャー」となるチャンスをみすみす逃すことに、本願寺派は気付かないのだろう。大局観を欠いた浅薄な判断である。

 田中師はローマ教皇庁に4度招かれ、緩和ケアに関する国際会議に仏教者の立場で参加した。そこで痛感したのは「世界に誇る日本の医療で、唯一の欠陥は宗教者がいないこと」だったという。これ以上、欠陥を放置してはならない。

【用語解説】スピリチュアルケア
 人生の不条理や死への恐怖など、命にまつわる根源的な苦痛(スピリチュアルペイン)を和らげるケア。傾聴を基本に行う。緩和ケアなどで重視されている。

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