【東日本大震災】名前は生きた証し 1万5770人分、勤行で読む
※文化時報2024年3月15日号の掲載記事です。
東日本大震災は11日、発生から13年を迎えた。津波とがれきに覆われた被災地は復興が進み、昨年の十三回忌を節目として追悼行事は縮小されつつある。そうした中、岩手県陸前高田市の浄土宗荘厳(しょうごん)寺では、髙橋月麿(つきまろ)住職(77)が犠牲者1万5770人の名前を自ら墨書し、日々の勤行で読み上げてきた。僧侶として、なすべきことは何か。記憶の風化に抗う読経の声が響く。(佐々木雄嵩)
壁一面に墨書張り出す
本堂の壁一面に、震災で亡くなった方々の名前と年齢をつづった半紙が張り出されていた。被害の規模を示す人数で語られがちな犠牲者たちにも、一人一人に名前があり、人生があった。
「亡くなった方々を悼み、思い続ける。それが僧侶のあるべき姿だと信じている」
2019(平成31)年4月、青森県八戸市から陸前高田市に移り、病気療養中だった三宮憲定前住職(昨年末に逝去)に代わって荘厳寺の住職となった。まちは復興が進んでいたが、震災から8年たっても人々の心に傷は残り、苦しみを抱えていた。
「犠牲者と遺族の無念を少しでも和らげたい」。そう願い、名簿の作成を思い立った。発刊された震災記録集などから気仙地域2市1町の犠牲者名を調べ、1847人分を墨書することから始めた。
親子や幼児の名前を目にするたび、その無念さを思い筆が止まった。「この子が生きたことを知っている人は、果たして何人いるのか」。0歳児の名を見つけた時は、しばらく筆がとれなくなった。1年かけて書き写した後、県内全域、宮城県、福島県へと筆を進め、1万5770人分を書き上げた。
今年は元日に起きた能登半島地震の犠牲者名も墨書し、126人分を名簿に加えた。
昨今は、災害や事故などの犠牲者名が公表されない風潮がある。髙橋住職は「遺族への配慮は絶対必要」とした上で、「自分自身は公表された名前を基に、一僧侶として供養を続けるだけだ」と話す。
県内外から遺族訪問
妻の准子(のりこ)さん(75)は「いつでも誰でも訪れることができるよう、本堂は常時開放している」と明かす。県内外から訪れる遺族たちは、故郷の食べ物を仏前に供え、犠牲になった人の名前を探し出しては、墨書を指でそっとなぞる。
共に過ごした時間を邪魔しないよう、髙橋住職は声をかけないようにしている。
来る人がいてもいなくても、毎朝の勤行で名前を読み上げることは欠かさない。一度に読む人数は2千人ほど。当初は2時間かかったが、今では1時間もかからない。「供養を続けるうちに、名前がすっと目に入り、よどみがなくなった」。胸の内で「そっちはどうだ。元気でいるか」と語り掛けている。
髙橋住職は「名前は生きた証し。心に傷を負う人々が、いつでも手を合わせに来られる場所でありたい」と力を込めた。
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