【能登半島地震】總持寺祖院、仏事復活へ調整 5月12日に花まつり
※文化時報2024年4月26日号の掲載記事です。
元日の能登半島地震で甚大な被害を受けた曹洞宗大本山總持寺祖院(石川県輪島市)は、5月12日にも仏事復活と位置付ける花まつりを開く方向で調整している。すでに宗侶らを対象にしたボランティアセンターを設置しており、復旧作業が急ピッチで進む。祖院の根幹をなす専門僧堂として、雲衲(うんのう)が参じる坐禅堂修復のクラウドファンディング(CF)を行うなど、復興を目指す取り組みも始まっている。(高田京介)
總持寺祖院の花まつりは毎年、1カ月遅れの5月8日前後に実施している。2007(平成19)年の能登半島地震から「完全復興」を成し遂げた翌22年からは、地元の輪島市などとの共催で門前を歩行者天国にしたほか、マルシェなどを開いて地域活性化に貢献してきた。
高島弘成副監院は「地震から3カ月がたっても仏事・行事を行えておらず、祖院は全く収入がない状態」と明かす。一方で大祖堂(法堂)は扉の損傷や雨漏りがあるものの、被害が軽微だったことから、「花まつりを5月までに間に合わせたい」と語った。
今年は、慰霊と復興祈願を兼ねた法要を営む考えだ。ただ、祖院が所在する門前町は、解体工事の業者が現地入りしているものの復旧が進んでおらず、5月になっても光景が変わっていない可能性が高い。そのため、行列は行わず、山門前に白象を出して地元住民や参拝者を出迎えるという。
ボランティア宿泊可能
總持寺祖院は元日の地震で、回廊の「禅悦廊」や塔頭(たっちゅう)の芳春院が全壊したほか、大祖堂など大小合わせて約30カ所で被害を確認した。
1月初旬からは曹洞宗系の公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)が入り、片付けを行っている。下旬ごろからは、全国曹洞宗青年会(全曹青)の執行部をはじめ、各地の青年会が視察に入った。
2月には、大本山永平寺(福井県永平寺町)の小林昌道監院もお見舞いに駆け付けた。南澤道人貫首が修行時代を祖院で過ごしていたため。小林監院は、毎年8月に行っている修行僧の祖院参拝を今年も実施する考えを明らかにし、「将来の復興を担う世代に、祖院の現状を見てもらうことが重要」との言葉があったという。
3月には全曹青とSVAが連携してボランティアセンターを設置し、祖院の寺務所や石川県宗務所が入る永光寺(ようこうじ)(石川県羽咋市)を宿泊施設として開放している。
祖院は断水が続いているが、電気とガスは通っている。現地では炊き出しをはじめ、がれきや土砂の撤去、寺院や住宅の後片付けなどにニーズがあるという。07年の地震では全曹青の会員としてボランティア活動に参加した高島副監院は「全曹青なら、阪神・淡路大震災からのノウハウを生かせる」と語る。
「復興の意義知って」
總持寺祖院は07年の地震からの復興に約40億円を費やし、このうち約38億円を宗門が負担した。伽藍(がらん)の大半は国の登録有形文化財だったが国庫補助は約1億円にとどまり、将来を見据えて石川県や輪島市と重要文化財の指定へ向けた準備を進めていた。
そんな矢先の年初の地震。宗内からは資金面の見通しから修復の規模縮小や復興そのものを問い直す声も上がるが、大本山總持寺(横浜市鶴見区)の石附周行貫首は3月22日に行った祖院視察で「祖院は信仰面でも観光面でも大切な場所。復興の象徴となるよう修復したい」と強調した。
今年700回大遠忌を迎えた太祖・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師は、大本山永平寺を経て大乘寺(金沢市)で今日の修行形態を確立。口能登の大刹(たいさつ)・永光寺を開いた後、真言宗の諸嶽観音堂を總持寺と改め開山となった。
總持寺は、法嗣(ほっす)の峨山韶碩禅師が、5寺院末から75日ごとに住職を選任する「五院輪番制」などを定め、教団運営の基礎を確立。教勢は隆盛を極め、歴代住職がお抱えの御用達と共に入山するうち、一部が定住し門前を築いた。
由緒地の開山となったことに加え、後進の功績もあり、曹洞宗の法系は瑩山禅師に起因するといっていい。太祖と呼ばれるゆえんだ。
高島副監院は「修復には、瑩山禅師らの功績と祖院の歴史を知ってもらうことが重要。それが顕彰にもつながる」と、復興の意義を語った。
坐禅堂修復へCF
大本山總持寺祖院は1日、坐禅堂の修復に向けたCFを始めた。修行生活の拠点でありながら能登半島地震で半壊したため、現在修行は中止。再開のめどは立っていない。
6月29日まで。目標金額2千万円。電話での申し込みは平日午前9時~午後6時に0570―061―279(6月21日まで)。