仏教界はなぜ安楽死を語らないのか
※文化時報2020年10月3日号に掲載された社説「安楽死 仏教界も意見を」の全文です。
短文投稿サイト「ツイッター」で公開された吉田より氏の漫画『デスハラ』は、もし日本で安楽死が合法化されたらどんな未来が待ち受けているか、という物語を描いている。
作品では、安楽死は合法化当初、余命半年未満の患者が対象だったが、やがて拡大を求める市民運動が広がり、「老化や病気による生活の質(QOL)の低下」を理由にした安楽死が認められ、保険が適用されるようになった―との設定になっている。
真実味を帯びて迫ってくると感じた人が多かったのだろう。公開されたのは昨年6月だったが、今年7月に京都市内のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性に対する嘱託殺人事件が報じられたこともあって、ネットを中心に今も反響を呼んでいる。
事件を受け、文化時報は社説で2度、安楽死を取り上げた。8月1日号「安楽死の議論深めよ」では、尊厳死を含めた議論と、さらなる発信を宗教界に望んだ。9月5日号「安楽死の問題直視を」では、命が神仏の領域に属する問題であると強調し、宗教者の英知を結集させるべきだと訴えた。
だが、安楽死に対する反応は、宗教によって温度差があるのが実情だ。
例えばローマ教皇庁(バチカン)は9月22日、安楽死と自殺幇助を非難する文書を公表した。一般のメディアは、カトリックの総本山が「人命に対する罪」「いかなる状況や境遇でも本質的な凶悪行為」などと強い表現を使ったことに注目したが、それだけがこの文書の特徴ではなかった。
安楽死と地続きになっている延命治療の中止には理解を示し、緩和ケアや病院で心のケアに当たる宗教者「チャプレン」についても言及した。隣人愛を引き合いに、教義に基づいて丹念に持論を展開した。文書はイタリア語と英語とスペイン語で、バチカンのホームページで公開されている。
日本の仏教界がこうした発信をしないのは、どうしたわけだろうか。宗派によって見解が異なるのか。あるいは、個人の判断に委ねるべきだという考えか。
バチカンの文書を巡る報道を受け、安楽死を容認する人々からは反発の声が上がっている。ヤフーニュースのコメント欄には「宗教じゃ病気は防げないし治らない」「他人に迷惑がかからない範囲の自殺の権利を、宗教上の理由で規制できるのか?」など、宗教にとって厳しい意見が書き込まれている。正当性は脇に置くとしても、仏教界がこうした声があること自体を意識してもいい。その上で、説得力のあるメッセージを、社会に届けてほしい。
漫画のタイトル『デスハラ』は、デス・ハラスメント、すなわち「死の嫌がらせ」の略である。どういう類いの嫌がらせかは作品に説明を譲るとして、個人の尊厳が大切にされない薄ら寒い未来が描かれていることだけは、付記しておきたい。
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