専門家の鎧を脱いでみたら、その結果
人生を、対話を中心にした日常のスタイルにしたい。
対話力を専門のトレーニングじゃなく文化で磨きたい。
どんな場にも、協力者がいれば対話の場に変わる姿勢を創りたい。
シンプルにいうと、自分とも、人とも、あらゆる存在とも対話でしあわせに過ごす日常にしたい。
誰にとっても。
この想いは、果たしてすずかつの欲張りなものなのか。
すずかつの周りには、すでに対人支援では専門家な方が多く、専門家ゆえに陥る盲点というのもあるかといつも思っています。
すずかつが「対話」にこだわって譲らないのは、そんな専門家だからこそ、他者と交わることでしか得られない体験が、対話にあると信じているところです。
だからこそ、まずは自分がその「専門家の鎧」を脱いでみることからはじめてみたい。
出てくるテーマは、
技術やスキルのこと
知識のこと
言葉の扱い
会の方向性
目的
ビジョン
参加するメリット、ベネフィット(つまり利益)
キーワードの意味
意味づけ
専門的な人だからこその抽象度のある言葉たち。
様々に飛び交うコトバのキャッチボール
ただ、対話をしようとするほどに
みんなの投げかけに反応して捉われる自分に気づく(笑)
その場で本当にしたいことは、同じように今を生きている一人の人間として
その場に参加して、ただただ、自然体の語りが展開されること。
やっぱり、気がつくと専門家の鎧をまた着てしまう。
あー、また反応したんだ。
あー、この瞬間の癖が多いかも。
こうして、少しずつ鎧を脱いでみる。
その結果は、
カオス
でした!
カオス状態は、自分が試されます。
達成をゴールにしていると
カオス=心の闇
のように感じます。
逆にカオスそのものを味わいながら大きく捉える。
どんな結果になっても出る結果を信頼する。
カオス状態は、自分の捉われから解放してくれるプロセスです。
対話のゴールがあるとしたら、今、お互いに感じていることを
ただひたすらに共有して、感じて、味わい尽くして、その場を一緒に過ごすこと。
その時、はじめて、肩書きという専門家の鎧は、必要がないことに気がついて、本来の人と人のつながりを一緒に体験することになる。
自分が意識することがあるとしたら、自然でいる自分に気がつくこと。