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私とは何か「個人」から「分人」への一説で
"人間には、一人一人、多様な個性がある"

まずはこの言葉。

いろんな自分がいていいんだ!

というのを一言であらわしてくれています。

さらに

"たった一つの「本当の自分」など存在しない"

というセンセーショナルとも思える表現!

今まで信じてきた確かなものがガラガラと音を立てて崩壊していく。


「自分探しの旅」ってありますが、

この「自分探し」は、「本当の自分」を探すことを目的にしていたとしたら

もし、「本当の自分」なんていないと言われると

これまで何をやってきたのか?と思わされます。

では、「本当の自分」が存在しないなら、自分はなんなのか?

という解決策が「分人」という提案なんですね。


"対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である"
"分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである"
"分人は、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されてゆくパターンとしての人格である"

"個人を整数の1とするなら、分人は、分数"

つまりいろいろな色の構成で個人という1の存在になる。

どの色あいが色濃くなっている構成か?

"一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには、「本当の自分」という中心はない"

これだけで、なるほどー!と悩みが解決すればラクなんですが、

なかなかスッキリしないのが「本当の自分」問題。

ただ、一つの見方として「分人」という考えを採用することで

分人という存在を一つ一つ自分の中に肯定していけること。

自己否定によるメンタルダウンが少なくなること。

自分の中のエネルギーの消耗が減ることでラクになること。

があげられます。

「本当の自分」という意識は、

おそらくものごころがつく頃から出来始めて

すぐには目線を切り替えられないかもしれません。

新しいアプリケーションのようなもので

だんだんと扱いに慣れてくるといいように感じます。

すずかつも一緒に、分人を育てていきます。

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