『みんな違ってみんないい』論について
あるSNSで、『みんな違ってみんないい』っていうけど、人から被害を受けても『みんな違ってみんないい』って言えるのか?
という発言をみて、少し感じることを綴ってみたいと思います。
この発言の方の背景がないまんま、憶測での議論になりますが、今の社会のあらゆる「対立」で起こる問題の解決策につながる話です。
そもそも論で、「対立」は悪ではない。というの前提に持ちながら、対立で膠着した状態を超えるには?という話を考えたいと思います。
対立が起こるのほとんどの理由は、価値観を受け入れられないこと、事実を受け入れられないことが必ず含まれています。
例の方の話では「被害を受ける」ことが、具体的にどういう状態かわからないので、仮説で進めます。これを「傷つけられた」という状態とします。
「みんな違ってみんないい」の概念
どんな人も命の価値という意味で優劣がない。命のレベルでは、比較はできない。ということだとします。
これは命って何?という哲学的な問いとともに、その価値はどんな人であっても存在に優劣がない。と言っています。
しかし、人の価値観がどんどん多様化していく、今の時代で、対立をする概念は、好き、嫌いというレイヤや、正しい、間違いというレイヤ、善、悪というレイヤ、最終的に存在している事実に対して、有る、無しというレイヤまでいくと、価値観の判断基準を超えて、事実を認めるか否かという話になります。(今度、図にしてみます。)
意図せず「傷ついた」事実があるとしたら、それは「いい」「悪い」ではなく、「あった」と認めることでお互いの理解に進めることができます。
「傷ついたこと」に対して、他に代償を要求するか否かは、必要性の正しさとかのレイヤでぶつかる可能性もあるかもしれません。それでも、一つ上の目的をお互いに考えてみることで、正しいかどうかの必要性も変わってきます。
つまり、対立は同じレイヤでの立ち往生なので、一つか二つ上に目的を探す対話ができることで、問題を再検討できる。
または問題が問題で無くなる。という階層のシステムを使うのが、コミュニケーションの鍵になってきます。
「みんな違ってみんないい」は【一人一人の存在は尊い】という目的でみていくと全ての人に伝わる。
どうでしょうか?
分人でみると超カンタン!
難しい話はここまでで、この話、全部分人で見ると超カンタンになっちゃうんです。
それぞれのレイヤを全部、分人にしちゃいます。
それっ!
【分人めがね〜】
みんな違ってみんないい
【有る分人】 vs 【無い分人】
【良い分人】 vs 【悪い分人】
【正しい分人】 vs 【間違い分人】
【すき分人】 vs 【嫌い分人】
上にいくに従って
下を含んで行きます。
正しい分人(間違い分人)は、
好き分人も嫌い分人もいてOK
良い分人(悪い分人)は、
正しい分人、間違い分人もいてOK
有る分人(無い分人)は、
良い分人、悪い分人もいてOK
究極は、【空気分人】
どんどんかる〜くなってきます。
今のあなたはどの分人を採用していますか?
どんな分人も違ってみんないい。
分人はホールネスがいつも可能です。
分人に分けてもしっくりこない時
とはいえ、感情的にどうしても許せない!理屈どうこうではなく許せない!!そんな想いがある場合、思考で解決するよりか、エネルギーを動かしたほうがいい可能性もあります。
体感覚に目を向けて変化を与えていくというのはとても有意義に働くことがあるかもしれません!
体感覚の分人に目を向けてみる。という解決策の提案です。
この次はそんな話もしてみたいと思います。
ここまでまとめると
『みんな違ってみんないい』果たしてどんな場面でも受入可能なのか?
対立的に問題で、一つ上の目的を見つけるとできるかもしれない。
また、分人に分けると一見複雑そうな問題も、見える化しやすい。
体感覚の分人が最後はカギになるかも。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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