自分らしい生き方 ~『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』を読んで ~
こんにちは。英語オタクおばさんの June です。今回は、ちょっと英語ネタから離れて、『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』という本を読んで、考えたこと、思い出したことを私風に書いてみたいと思います。
「オタク女子」が気づかせてくれたこと
タイトルや表紙からもお分かりのように、非常に楽しく読める本でした。筆者の藤谷千明氏を含めた「オタク女子」4人が、シェアハウス生活実現と継続のため、メンバー募集と物件探しの段階から、大小さまざまなトラブルはあるものの、それを柔軟な発想と機転の良さで乗り越えていく様子は、まさにあっぱれです。
同時に、日本の現状におけるまだまだ保守的な部分をいくつか浮き彫りにしていました。中でも、私がちょっと驚いて、でもすぐに納得したのが、そもそも、「ルームシェア可」物件が非常に少ないこと。結婚を前提としたカップル以外の同居は、嫌がられることが多いとか。
やはり、日本社会はまだ、血縁関係を基にした家族が基本単位になっていて、その枠にはまらないと生きにくいんだなぁ、と今更ながら気づかされ、ちょっと残念な思いがしました。
ギリシャ旅行で見た「ファミリー」
そして、私が息子と元夫と一緒に、今から約10年前、ギリシャのミコノス島に旅行で行ったときのことを思い出しました。
(この画像はフリー素材)
ミコノス島で私達が訪れたビーチは、ファミリー・エリアとゲイ・エリアに分かれていました。私たちは最初、何も知らずに、ゲイ・エリアに陣取ろうとしたら、若い男の子がすーっと寄ってきて、「ごめんなさい、ここはゲイ・エリアだから、家族連れはあちらの方のファミリー・エリアへ行ってください」と、物腰柔らかに、とても丁寧な英語で案内してくれたのでした。
そして、私達が「ファミリー・エリア」でのんびりしていて、ふと気づくと、横には、40代くらいの白人のゲイカップルが。あれ?っと思ったら、彼らはアフリカ系の男の子と女の子(2人とも小学校低学年くらい)を養子にしたらしく、かいがいしく面倒を見ていました。
とても素敵な「ファミリー」で、微笑ましい光景でした。
ギリシャでは、他にも養子を育てているカップルを見かけることがありました(子供と親で人種が違う場合、一目で分かります)。こういう「ファミリー」が日本でも増えると良いなぁ、でも、私自身は自分の息子で手一杯だなぁと思いました。
それにつけても、『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』にあったように、家族でない4人が、たかだか一緒の家に住もうというだけで、こんなに難しいとは。日本がギリシャ並みに多様化した社会になるには、まだまだ先が長そうです。
アメリカ留学中に体験した「シェアハウス」
もう1つ、この本を読んで私が思い出したのは、アメリカのマサチューセッツ州にあるタフツ大学(Tufts University)の大学院生寮でのシェアハウス体験。今から25年以上前の話です。
私はタウジーハウスという、3階建ての古い民家(下の写真)に、バラエティに富んだバックグランドを持つ男女10人と、一年間暮らしました。ちなみに、寝室は別々ですが、3つのバスルーム、1つのキッチン、1つのリビングルームは共有でした。
見出し画像と同じですが、この写真はタフツ大学の Student Affairs のウェブサイト(https://students.tufts.edu/student-affairs/residential-life/on-campus-housing/residence-halls/tousey-house)からです。今でも寮として健在!きれいに見えますが、私が住んだ 1993-94年当時で、築100年以上と言われていました。
当時そこに住んでいた寮生達は、個性豊かな面々。
例えば、カウンセリングを専攻している女の子、ステファニー(仮名、以下個人名はすべて同様)は、すごく気さくで明るい子だったけれど、ちょっとだらしない。いつも共用冷蔵庫に賞味期限の切れた牛乳や、カビの生えたオレンジなどを入れていて、几帳面なボブに怒られていました。
このボブは、一番長くタウジー・ハウスに住んでいる寮のまとめ役。彼は物理を専攻していたのですが、学位がなかなか取れないようでした。大雪が降った日、雪かきをしてくれたことを覚えています。
そして、私の隣の部屋に住んでいた、ギリシャ出身のクリス。彼は、同じタウジー・ハウスに住むキャシーと付き合っていて、同棲状態。昼夜問わず、隣からいろんな声が聞こえてきました(笑)。でも、結局、学位を取ったら、キャシーを残して母国に帰ってしまい、キャシーは寂しそうでした。
そして、ドイツ文学を専攻していた、メアリー。おとなしいキャラと裏腹に、U2の曲を大音量で流していて、隣に住むベスをイライラさせていました。実は、メアリーと私は今も友達関係が続いています。5年前、彼女の住むニューヨーク州の田舎町に行き、20年ぶりの再会を果たしました。
私はアメリカ史を専攻し、そのハードルの高さに挫折し、たった1年で帰国。結局、アメリカ史について学んだことよりも、この寮生活で学んだことの方が大きかったと思います。とても良い人生経験でした。
自分らしい生き方を選択できる世の中に
典型的な日本の家族の在り方をとやかく言うつもりはありません。ただ、それに当てはまらない、もっと自由な形の「家族」や同居形態があっても良いし、日本が、そういう選択をスムーズに行える国であってほしいと思います。
『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』で藤谷氏が、シェアハウスの人間関係について、「『家族だからこうしなきゃ!。』といった、思い込みの重力からは解放されているように感じている。」と分析なさっています。
藤谷氏のように、この「思い込みの重力」から解放された方が楽に生きられる人と、それとは逆に、この「重力」があった方が安定感があって落ち着く人がいると思います。また、その中間で、自分なりに微妙なバランスを取りたい人もいるでしょう。私は、自分はその部類だと思います。
誰とどこで、どんな風に暮らしたって、いいじゃないですか。一度しかない人生なんだから。…と、50歳になったオタクおばさんは思うのです。