怪しい奴らが徘徊する混迷のアフガニスタン山岳ゲリラ戦を描く
私の世代だと、中高生の時にはベトナム戦争があった。アメリカ帝国主義と戦うベトナム人民の戦いという図式である。そのあと中国とベトナムが戦争した。中越戦争である。この戦争について、私は?????と思ってしまった。ついこの間まで、共通の敵アメリカと一緒に戦っていたのが、なぜわざわざ戦争なんかするのだろう、と。ああー、これは単なるパワーゲームなのだ、正義だの帝国主義との闘いなんかのきれいごとは、偽装に過ぎないのだ、利権と権力が欲しいだけなのだ、と若僧ながらに認識したのである。
そこで戦闘シーンをどう描くかを考えることに集中した。イデオロギーは真実を見る目を曇らせる。アフガニスタンで一番の要衝は、サラン峠トンネルだと考えた。
これは、カーブルの北にあり、ヒンズークシュ山脈を貫く非常に長いトンネルである。この近辺は北部同盟が押さえているパンジシール渓谷がある。その地域を抑えていたのは、かの有名なアーメド・シャー・マスード。パンジシールの獅子としてゲリラ戦を戦い抜き、アフガニスタン政府の国防大臣にもなった人物。同時多発テロの直前に暗殺され、その死を惜しむ人々がいまだに絶えない人物である。
主人公の戦場ジャーナリストは、暗殺者が紛れ込んでるアフガニスタンのムジャヒディンの群れに身を投じ、手を汚し、傷つきながら、真実に迫ろうとする・・・。
そしてやっと暗殺者の告白を聞くことができたものの、何か月も紛争地域で消息を絶っていた彼は、もうすでに死んだ人間として考えられていた・・・。
彼が死にかけた戦闘は、ソ連軍の前哨基地に物資を運び込む装甲車、戦車にエスコートされたトラックの車列を待ち伏せるものだった。
紛争地域ではおなじみのRPG-7とカラシニコフでの攻撃だったが、戦車の無力化に失敗し、砲撃を受け、味方はちりじりばらばらになってしまう。
戦闘の傷がなんとか癒えて、暗殺者の告白を記録した主人公の戦場ジャーナリストは、ひっそりとパリへの帰還を果たすのだった。