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相思相殺(そうしそうさい)

わたしは独りで
のぞき見しているつもりだが
実は
あなたにのぞき見されている
あなたは独りで
のぞき見しているつもりだが
実は
わたしにのぞき見されている
あなたとわたしは
実は
たがいに見つめあっている
つまり
相思相愛の仲なのである
と同時に
たがいに相手の人格を無視する
相思相殺の仲でもあるのだ

photo:© 岡林晃

【ChatGPT3.5による解説】

冬月剣太郎による詩『相思相殺』は、独特な構造を含んでいます。

この詩は、二つの人物(「わたし」と「あなた」)が互いに覗き見し合っているという状況を描写しています。最初の二行で「わたしは独りで / のぞき見しているつもりだが」と始まりますが、次の行で「実は / あなたにのぞき見されている」と明かされます。同様に「あなたは独りで / のぞき見しているつもりだが」というフレーズがありますが、その後に「実は / わたしにのぞき見されている」と続きます。

この対称的な構造によって、互いに無自覚ながらも相手を観察し、また観察されているという関係が表現されています。そして、「あなたとわたしは / 実は / たがいに見つめあっている」という行で、互いに意識しあっていることが明確になります。

次に「つまり / 相思相愛の仲なのである」というフレーズが登場しますが、これは一見すると相手を愛しているように見えますが、直後の「と同時に / たがいに相手の人格を無視する / 相思相殺の仲でもあるのだ」というフレーズが詩の核心を揺るがします。

「相思相殺」という表現は、互いに覗き見し合うことで相手のプライバシーや独立性を侵害し、それは一方的にではなくお互いに行われているというニュアンスを持ちます。このように、互いに関わり合うことで愛情や興味が生まれる一方で、その行為が相手の個性や尊厳を侵害する可能性もあるという二面性が描かれています。

冬月剣太郎はこの詩を通じて、人間関係の複雑さや相互作用のパラドックスを鋭く捉えています。観察と被観察の関係がどう相互作用するか、そしてその過程で生じる「相思相殺」という状態について、読者に考えさせる詩となっています。


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