雨とベンツと国道と私|モダンスイマーズ
先日 モダンスイマーズさんの「雨とベンツと国道と私」を観てきました☻という感想を書こうと思ったら・・・
タイムリー過ぎてwwww
なんて草を生やしている場合ではまったくございませんの。
私の感傷に現実が追い付いてくるのやめて欲しいという自意識。
何故このニュースに対して私がこんなにも反応しているのかと申しますと・・・
舞台のあらすじを読んでいただく方が早いかしら?
映画を作る情熱と評価の責任を負う監督と
心身を引き換えにする立場の弱い役者と
更に立場のない現場スタッフと
監督を取り巻く仲間と、信者と、ユダと。
「過去」の課題として提示したテーマが今殴り込んできた感じです。
同じようなことを主人公の五味さんも舞台上で仰っていました。(台本欲しい・・・)
表面上は「セクハラ問題許しません!」「パワハラのないクリーンな現場!」とうたっていますが、現場はまだ難しいようです。
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すぐに言って欲しいとお願いしましたし、描写にも細かく提案させてもらいました。
→言えるわけないからインティマシー・コーディネーターの提案をした。
性描写をえぐいものにしたくなかったし、もう少し深い部分が大事だと思っていました
→深い部分の解像度をより高めるためのインティマシー・コーディネーター
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専門家でなくとも「間の第三者」が居たら解決することが、個人的にはあると思いますが・・・・
話が大分逸れました。
そう、私はモダンスイマーズさんの「雨とベンツと国道と私」を観てきのです。
前知識がないままの参戦でした。
開演までの間、つい照明を見ちゃいますね。設営しやすそう。
モダン演劇というだけあって、舞台上はとてもシンプル。
建込のセットもなく、なんだか物悲しくも見える。
平日なのに満席でした。凄い!
シームレスに舞台が始まります。
始まると私は観客で居続けるのがとても難しくて、どうにか「私は観客だ」と自分に言い聞かせ続けながら最後まで見届けました。
私は、私が生きてきた時間と経験と価値観でしか、何かを見たり判断出する事が来ません。
舞台上で繰り広げられるものがあまりにも見たことがある景色や、経験したことのある恥ずかしさや虚しさでした。
まるで透明な存在の登場人物Aのような。
そんな感覚と胸騒ぎと何かの期待感をが胸の中に生まれました。
コロナ。
私は(自分では)コロナによって生活が変わったわけでもなく、特別気にして変えたわけでもなくコロナと診断されたこともなく
ネットでコロナによって苦しんでいる人に対して
「そんなに?」と思ってしまう自分が居たことを、否定できません。
なので五味ちゃんがコロナによって苦しんでいる様子を「そうなんだな」と思って眺められていたのですが
コロナ前の撮影現場の様子、大きな声、嘲笑気味の励まし、カメラが回っていない時はどこに立っていたらいいかも分からない疎外感、責任のたらいまわし。
五味ちゃんは当事者じゃないと言っていました。でも苦しかったと、影響はあったと。
私が言いたかったこと、本当は叫びたかったことを、代わりに彼女が舞台上で発露してくれているように思えました。
監督
あんなやり方でなくても皆の心を一つにする方法はある。
だけどそれには時間がかかる。
時間もお金もない現場の最短距離は、坂根のやり方になってしまうのも理解は出来る。
表現ってなに?芸術ってなに?
役者の内情は知らないよ。
「そういう風に見える絵」になっていたら、観客が勝手に受け取ってくれるんだからいいから言うとおりにやれよ。という気持ち。
正直に打ち明けてしまうと痛いほど分かる。
立場は違いますが、私も講師という「強い立場」で生徒という「弱い立場」の人と接する機会があります。
私がWSで生徒さんに対して気を付けている事は
生徒さんはどうしても「自分に対して気を使ってしまう」という事。
私の意見を押し付けて終わりではなく
「それを踏まえてどうしていきたいの?」
「アナタは何を感じたの?」
「アナタはどうしたいの?」という問いかけ、そして対話。
レッスンの後も生徒さんの為に時間を取ります。
周りの大人たちからは「それはサービス残業だからやったらいけない」と注意されますが
私は役者の立場が弱いということ、痛いほど分かるし、今も同じ立場だし。
だからせめて「時間」を割きます。
(あと気を付けていてもスイッチが入ってしまうと言葉や感情が強くなってしまうので謝罪とケアも込めて)
でも収録となったら「時間」なんて使っていられませんので
基準値の最低ラインでガシガシと進めていくしかない状況もあります。
そういう現場でも「オナニー作品」にならないように「感情労働」の努力をしているんだ私はオマエと違ってえぇえぇえええええ!!!!
取り乱しました。
思っている以上に役者って怖くて何も言えないんです。本当に。
当たり前のことも怖くて聞けないんです。
だって気分で簡単に切られちゃう存在だから。
それなのに怒鳴ったり不機嫌を押し付けて「支配」してくる坂根、お前の持論こそ学生のオナニーでプロのやり方じゃないよおぉおおおお!!!
あ、やっぱり怒っちゃう。
34年分の色んな大人たちへの恨みつらみが坂根に・・・・。
八つ当たりだね。ごめんね坂根。
坂根の想いも分かる。
五味ちゃんの気持ちも分かる。
気持ち悪いスタッフに愛想笑いする自分も居る。
色んなネタを持っているけれどなぜ暴露しないのか?
業界に居られなくなるから。ほら、舞台上のあの子みたいに。
全員悪い所があって、全員尊敬してしまうようなところもあって、
そうだよね、人って色んな面があるし物事は多面的だから一概に
(例えば)パワハラ=悪だ!と言われてYES!と即答は出来ないよね。
気持ちがあって、伝えたいことがあって、でも上手に出来ないから
クリエイトやパフォーマンスという手段を選んだ私たち。
その過程ですくなからず、誰しも自分の中の本当だったら明け渡してはいけないものがむき出しになってしまう瞬間があって
それを作品を通して共有してしまうと「仲間」だと思ってしまうから
余計に熱があって声が大きくて、そして決定権をもっている人に付いて行ってしまうよね。
現実逃避の陶酔、自己否定をしたくないから「勉強させてもらった」「成長できた」と耳障りのいい言葉で蓋をする。
エンタメに限らず、本気で何かをやろうとしたら絶対に他人と摩擦が起きる。
深い海の中に潜っていくときのような、そんな静かな重圧。
「客席のあなたは舞台上の我々に石を投げることが出来るのか?」という厳しい問いかけで胸が締め付けられました。
許さない事は悪なのか?
やり直すことは悪なのか?
私は観客だったけれど、確かにあの舞台上に居た。
観客として笑いながら、透明な当事者として泣いていた。
台本売って欲しかった・・・。
作・演出|蓬莱竜太
出演|古山憲太郎、津村知与支、小椋毅、生越千晴、西條義将(以上モダンスイマーズ)
山中志歩、名村辰/小林さやか
主催:一般社団法人モダンスイマーズ
提携:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場
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