再魔術化するテクスト──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評
第六回 「ナショナリズム」というゲーム 倉数茂
1 国家審美主義
前回のラストで、ファシズム研究における「国家審美主義」という考えを取り上げました。
国家審美主義とは、国家をひとつの芸術作品にしてしまおうという考え方です。国家を国民の安全や利益を守るために作られた単なる社会制度と考えるのではなく、芸術作品同様、それ自体崇高で美的な価値を持った創造物とみなすのです。国民は能動的に国家という美的作品の制作に参加しなければなりません。自らの血と身体で偉大な作品創造=祝祭に参与することで、人々は孤立した個人であることを辞め、歴史的なプロジェクトの一員として永遠に名前を残すことができます。人々が偉大な国家=作品を創り出す頂点とも言えるのが国家が全力を賭して闘う戦争です。総力戦こそが人々が自らの血で描く巨大な芸術作品である。そうした発想によりファシズムは人々を終わりの見えない永久戦争へ動員することができた、というのが国家審美主義を問題にする政治哲学者たちの考えです。
法学者カール・シュミットは早くも1919年の著作でこのように述べています。(ここで国家を芸術と見るような発想を批判しているシュミットが、後年ナチスを支える法学者となったことは皮肉です。)
国家を巨大な芸術、あるいは祝祭とみなし、日々を死を賭した冒険とすること、こうした国家審美主義的な思想は、超国家主義の時代の日本でもたびたび見られたものでした。
例えば、日本浪曼派の高名な批評家であった保田與重郎は、日中戦争中の朝鮮、満州、モンゴルなどの旅行記である『蒙疆』において、日本の侵略戦争を雄大な祝祭としておおらかに肯定しています。戦争自体を「壮大な精神風景」、「野戦の戦場にあらはれて無名の兵士の肉身によつて描かれた詩」と称え、膨大な数の人々が殺し、殺されることで歴史が創り上げられていく、そのことを大いなる神話だというのです。
保田の文章は、日本でも15年戦争のさなかには、国家審美主義がそれなりに機能していたことを示しています(注2)。
では、現代の国家から国家審美主義的な欲望は消え去ったのでしょうか。そうは思えません。それは大規模な祝祭に依拠するスペクタクル政治として生き延びています。
コロナ禍の只中で開催された東京オリンピック2020(2021年に実施)に向けられた日本政府の執拗な情熱は、擬似的な「戦争」としてのスポーツの祭典が、どれほど為政者の心を捉えるかをよく示していたように思われます。こうした祭典が、国家の一体性を高め、民族的高揚を通じて国家を強靭にすると政治家たちは信じているのでしょう。国家の中枢には、戦争と祝祭へのやみ難い欲望が本来的にインストールされているのかもしれません。とりわけポピュリズムへの傾斜を強めた第二次安倍政権以降の自民党や維新の会は、メディア「映え」のするお祭りへの強い執着を示しています。
しかしながら、国家の祝祭政治への欲望は単純に受け入れられるものではなくなっています。2020オリンピック開催が世論を二分する議論となり、スタジアム建設や開会式をめぐっても途切れのないトラブルに見舞われた事実が、「国家的な祝祭/祝祭としての国家」というイメージが、一般国民の間ではリアリティを失っている事実を示していると思います。
現代人はコミュニティというものにアイロニカルな距離をとりがちです。国家であれ企業であれ、素朴な忠誠心や帰属感情を抱くことはなかなかできません。むしろ自分が帰属する集団との距離をたえず調整しつつ、コミットのレベルを意識しているのが今の人間の在り方でしょう。
さらに人々の実存的投企の対象になるコミュニティは国家だけではありません。20世紀の後半、福祉国家化によって一般人の生活は国家に深く浸透されるようになりましたが、逆に国家は崇高な忠誠の対象ではなくなりました。(福祉制度の逆説というべきものがあります。生活保護のような福祉制度は、国民全体の負担によって弱者を支える仕組みですが、同時にそれは困窮者を見えない抽象的な他者にし、連帯の感覚を消滅させます。福祉という「制度的連帯」は、同時にお互いを無関心・無関係の状態に置きます。現代における孤立や貧困は、本人以外には「見えない」困窮です。戦前の農村やスラムでは、貧しいものは周囲の人間と関わらずには生きていけませんでした。しかし現在では、貧困と孤立は一体化しています。福祉主義者が夢見るような社会的ニーズが国家によって完全に保障されているような社会では、おそらく人々は国家に少しも感謝の念を抱かないでしょう。)
国家にしろ、集団にしろ、ただひたすらに濃密で求心的なだけのコミュニティには耐え難いと人々は考えるようになっています。個人化の進展がコミューン主義を時代遅れにしたように、国家、あるいは企業にすら、人々は生活のすべてを託そうとは思わなくなりました。
今求められているのは、コミュニティの中にいかに差異を、あるいは隙間を導入するかです。内部に多様性と自由が維持されていない限り、そのコミュニティは支持できないという感覚が広がっています。
2 鎮魂と自己啓発
ナショナリズム論の古典の冒頭で、ベネティクト・アンダーソンは「無名戦士の墓と碑、これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない」と書きました。国のために死んだ無名の人たちを記念することがナショナリズムの最重要の儀式なのです。「これらの記念碑は、故意にからっぽであるか、あるいはそこにだれがねむっているのか誰も知らない。そしてまさにその故に、これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる。」(注3)
国家と国民の一体感を高めるための手段は多岐に及びますが、戦死者、とりわけ兵士を共同で追悼するのはその中でも重要なものです。
アンダーソンのいうように国家は過去への崇拝の上に成り立っています。とりわけ日本の場合は、300万に及んだ日中戦争と太平洋戦争の死者(注4)をいかに弔うかが、国民的議論を巻き起こす重要な争点となるのは当然のことと言えます。
だからこそ靖国神社(への政治家の参拝)がつねに問題となるのですが、実はここ20年ほど目立つのは特攻隊を追悼する動きです。
もちろん1947年以来のロングセラーである戦没学生の手記『きけわだつみの声』を持ち出すまでもなく、若くして散った特攻隊の姿は、平和主義者にとっても、保守愛国派にとっても戦後一貫して特権的な表象であり続けていました。
しかし教育社会学者の井上義和は、戦争の悲惨さや平和の尊さを訴える「平和教育」的なものとも、国を護ることの価値を称揚する右派的なものとも違う新しい特攻隊受容が広がっているのだと言います(注5)。それは、ナショナリズム/反ナショナリズムの対立から距離をおいた、むしろ非政治的な「感動」「自己啓発」としての受容だというのです。
2000年代の特攻隊賛美ムーブメントで聖地となったのが、鹿児島の特攻基地の跡地にある知覧特攻平和会館です。特攻隊員の遺影と遺書を展示した会館には年間50万人ほどの入場客が訪れると言います。スポーツ選手の合宿や企業の社員研修の定番になった知覧は、今や「自己啓発の聖地」なのだというのが井上の主張です。
知覧に巡礼して特攻隊員の遺書に涙する入場者の多くは、とりたてて強い愛国的な感情を持っているわけではありません。または国際社会における日本の将来について普段から深く憂慮しているということでもありません。
むしろ入場者たちは、政治的な文脈を飛び越えて、特攻隊員たちが「愛する人たちを護る」ために命を投げ出したことに素直に――素直すぎるほどに――感動します。そして、特攻隊の勇敢さと我が身を引き比べ、自分たちが「平和で豊かな社会」に生きていることを実感し、あらためて真摯に仕事や夢に取り組もうと決意します。これがつまり「自己啓発」です。
あるホストクラブの元オーナーは、この知覧効果を次のように告白しています。
こうした「感動」受容を象徴する文学作品が、2006年に発表されて累計500万部を超える大ヒットとなった『永遠の0』です。作者の百田尚樹が右派的な発言で有名な作家であり、故安倍晋三元首相とも親しい関係にあったため、いわゆる「右傾化」の象徴とも見られがちな『永遠の0』ですが、実際にはむしろイデオロギー色の薄い「泣ける」エンターテイメントであったために人気を得たのだと考えるべきでしょう。
歴史家の成田龍一は、戦争経験を語るモードは、約20年ごとに変化してきたのだとし、1945〜1965を「体験の時代」、1965〜1990を「証言の時代」、それ以降を「記憶の時代」とします(注7)。従軍兵士や空襲被害者にとって、戦争「体験」は、複雑で多様で時には言語化さえ困難なトラウマ的記憶です。それに対し「証言の時代」になると戦争を知らない若い世代が増え、新世代にいかに「戦争の悲惨さ」といったメッセージを伝達していくかが課題となります。さらに「記憶の時代」では、戦争体験者の多くは物故しており、戦争は主にメディアを通して伝えられるものになります。ゆえに、戦争表象は体験者が抱えていた生々しい情動や混沌を失い、整除されたイメージになります。特攻隊の自己啓発化は「記憶」の時代の果てに、戦争表象が形式化し、わかりやすい「コンテンツ」になったからこそ起きたことだと言えるでしょう。
しかしながら、井上はこうした自己啓発的受容を批判しているわけではありません。特攻隊に素直に「感動」できるのは、逆説的にも平和教育の浸透や国家意識の希薄さを示しているとも言えるからです。特攻隊の遺書から、戦争の歴史や意味に思いを巡らすのではなく、家族や恋人に向けられた純粋な愛情だけを感じとること、ここに脱政治化した人々の平均的な意識を見てとることができます。
もちろんこうした「感情資源」は、政治による動員にも開かれています。また「感動コンテンツ」となって商業利用されることは避け難いでしょう。しかし、過去の戦死者(特攻隊員)の生き方に感動し、彼らからの贈与(「特攻隊のおかげで今の平和な日本がある」)を自覚することは、それが知的な回路ではなく素朴な感情に媒介されているがゆえに、自然な国民共同体としての一体性を維持し、過去と現在の連続性をもたらす可能性を持っているというのが、井上の主張です。
井上は戦後日本が、戦死者を感情の面で包摂する回路を作れなかったことを問題にしています。特攻隊を国家の大義に身を捧げた崇高な死者とみなす(右派)にせよ、国家によって殺された哀れな犠牲者と位置づける(左派)にせよ、どちらも太平洋戦争をどう評価するかという政治的な目的に従属してしまっています。その結果、日本の社会は、政治的背景を捨象したレベルで素直に死者を追悼する作法を生み出すことができませんでした。
さらに井上の見立てによれば、2000年代以降、国家がナショナリズムの論理で強引に人々を動員していくという可能性はますます現実性の希薄なものになりました。人々は個人化し、国家よりも自分や身近な人の利益を優先するようになったからです。それにともなって、専制的な国家と市民社会が対立するという構図は実態に合わなくなり、それよりもインターネットの普及によって、市民社会の内部で、ナショナルな欲望を露わにする人間とそれに反対する人間が罵り合うという状況が目立つようになりました。「戦死にどう向き合うか」を巡る対立軸も、国家対国民ではなく、国民同士が敵対しあうコミュニケーションに変わったというのが井上の考えです(注8)。
3 社会の分断とコンバージェンス・カルチャー
社会における主要な対立軸が、国家対国民から、市民社会内部での政治的対立に移ったのだという井上の指摘には一定の説得力があります。ネットが浸透して以降、明らかに人々は政治的話題に熱中するようになりましたが、それらは政権交代など現実の変革にはつながらず、ジェンダーや表現の自由など論点を多様化しながら、ただひたすら言葉による応酬を加熱させているだけのように見えるからです。
それでは、対立を乗り越え、国民の共同性を感情レベルで担保するものとして、戦死者への「感動」や「感謝」が機能するという見方は正しいのでしょうか?
筆者にはやはりあまりに楽観的な見方に思えます。分断と対立があらゆる領域に広がるなかで、戦死者への「感動」がいつまでも素朴でニュートラルなものでいられるとは思えません。現代社会ではあらゆるトピックが政治的争点になります。また、特攻隊が安心して泣ける「感動コンテンツ」であるためには、それはわかりやすい記号でなければなりません。さまざまな挿話や歴史的経緯といった記号の周囲に広がるディテールに目を向けた途端、特攻隊はそれほど単純な存在ではなくなるでしょう。井上の主張はあまりに個人と国家との関わりを単純に見積もっているように思われます。
最近ファンやユーザーが能動的に言説創造に参加するコンバージェンス・カルチャー(参加型文化)に注目が集まっていますが、ネットにおける右派言説の拡大にはこうした参加型文化が重要な役割を果たしました。
研究者の倉橋耕平は、『ゴーマニズム宣言』のなかで小林よしのりが、「さあ朝日新聞が正しいか? 産経新聞が正しいか? 慰安婦が本当に”従軍”なのか? ”性奴隷”なのか?(略)我々で結論を出そう」と読者を煽って投稿を募集していたことを指摘します。雑誌『正論』も読者投稿に誌面の大きな割合を割いていました。
こうして人々は、ネットで政治的言説を主張し、敵手を罵倒することを「趣味」として楽しむようになります。政治はビジネスに、そして娯楽になりました。
この連載のはじめに、現代社会では「聖」(宗教)と「俗」(政治と労働)と「遊」(娯楽)の間の境界が曖昧になっていると述べましたが、政治化したコンバージェンス・カルチャーこそ、まさに俗と遊が融合したものにほかなりません。
また、初期のネット右翼の特徴として挙げられるのが反マスコミです。特に2000年代には、政治的主張以前に、日本の言説空間を支配している大手マスコミvs一般のネットユーザーという構図が人気を集めました。ネットよりテレビを信用するものは「情弱」であり、真実はネットの集合知にあるという発想が広く支持された時代です。
過去の学生運動などの「反体制」は、国家を批判し、対抗しようとするものでした。しかしここでは一私企業に過ぎない新聞社やテレビ局が、「権威」として攻撃の対象になっています。対立は市民社会の内部に引かれているわけです(注10)。
4 国民国家の溶解からの「奇妙なナショナリズム」
我々が現在目にしているのは、過去のものとは違う「奇妙なナショナリズム」だという政治学者の指摘は重要です(注11)。山崎望は、現在、国民国家は安定期との比較において変容期にあり、溶解している、とします。もともと国民国家は先進諸国を中心に、安全保障、社会保障、国民共同体、民主主義という四つのレイヤーにおいて、ウチとソトとの境界が明瞭に区切られることによって成り立っていました。しかし現代ではそれらの境界が揺らぎ、内部の同質性が危うくなっています。
まず今の国際社会では、一国による安全保障というのはますます困難になっています。日本政府による安保関連法案の改正やQUADらへの傾斜もそうした認識に基づいての施策です。戦後平和勢力が護持してきた「一国平和主義」は一段と形骸化しつつあります。
社会保障においては、新自由主義以降、格差、分断、貧困の世代を超えた連鎖が際立つようになってきました。新たな身分制が生まれつつあるという指摘もあります。階級的な分断は誰の目にも明らかです。
国民共同体のレイヤーでは、一般に広く認められた公的な「正史」に対して、歴史修正主義の要求が強く主張されるようになりました。また他方では移民、女性などマイノリティの視点からの多様な歴史観が台頭し、「記憶をめぐる戦争」や「歴史認識論争」を引き起こしています。流動的な文化や価値観が多様化し、先進国ではいずこも「文化戦争」と呼ばれる軋轢に悩まされています。
民主主義も不安定化しています。世界各地で「権威主義」と呼ばれる体制が力を得て政権を握るか、強い存在感を発揮しています。大統領選挙の不正を主張するドナルド・トランプをいまだに多くの米国民が支持している現状は、アメリカですら民主主義への不信がどれほど高まっているかを示しています。
つまり国民と国家の輪郭が揺らいでいるわけですが、しかし山崎は、だからこそ「奇妙なナショナリズム」が力を得るのだと考えます。それは「国民」という共同性が曖昧になるなかで、「われわれ/彼ら」の境界線を新しく引き直さねなければならないという焦燥に駆動されたナショナリズムです。
本来ナショナリズムは、諸外国に対しては日本の固有性(文化と伝統)を誇示しつつ、地域と階層を越えて国民国家形成を進め、内なる平等を目指すはずのものでした。しかし、新しいナショナリズムは、本来日本の一部であるはずの沖縄やアイヌ、あるいは性的マイノリティなどを「敵」と名指し、「普通の日本人」との間に境界線を引こうとします。そのナショナリズムは現状の国民統合や歴史認識を受け入れるのではなく、異議を唱えます。古くからの文化や伝統をバランスよく受け入れ、後世へ引き継ぐのが「保守主義」であるとすれば、奇妙なナショナリズムは保守主義ではありません。移民、性的マイノリティ、時の政権に異を唱えるもの、などが「われわれ」から排除され、国民共同体の外側(にあるべきもの)とみなされます。もはや「国民」が自明のものではないからこそ、その外部、あるいは異物が執拗に探し求められるわけです。
「奇妙なナショナリズム」は純化や浄化を指向するアイデンティティ・ポリティクスと混淆しています。つまりそれはいわゆる「68年」以降の、個人的なものがそのまま政治的と見做される時代のナショナリズムです。ゆえに、それは政治運動でありつつ政治の領域にはとどまらず、いわばあらゆる領域を浮遊しています。求められているのは「敵対性」それ自体であって、戦いの舞台となるフィールドはどこでもありうるのです。
ゆえに新しい愛国者たちは空虚な主体です。特定の主張(愛国主義や天皇への忠誠)があって敵を批判するのではなく、敵を名指すことによって初めて「我々」が生まれるからです。それは同時に、つねに他者の言葉へのR P(リポスト)によって形成されるようなメディアとしての主体だともいえます。
さらに自分たちを脅かす「彼ら」=敵の姿も容易に変遷します。それは「われわれ/彼ら」の間の境界線がたえず揺らぎつづけていることを示しています。日本であれば、ここ十数年でも、主な「敵」と名指される対象は、中国・韓国から、在日朝鮮人、一部マスメディア、生活保護受給者、フェミニスト、学術団体と休むいとまもなく揺れつづけ、変化しつづけています。絶えず敵を作りつづけ、自分たちが一方的に攻撃されている被害者であると主張しないと空虚な主体は自己を維持できないのです。
5 ネット右翼の勃興
ネット右翼の形成過程、およびそれらがどのようにネットの外に広がっていったかに関しては、近年検証が進んできました(注12)。そこで描かれる歴史を概観すれば、次のようになります。
パソコン通信の時代から、ネット上にはマスコミが表立って取り上げることのない宗教、差別、歴史認識などを熱心に語り合う場が存在し、しばしばタブーとされるような言説も受け入れられてきました。また主流言説としてのリベラルやマスコミへの反感も漠然と存在しました。2000年ごろ興隆した掲示板文化では、ありとあらゆる話題が書き込まれ、論議されましたが、全体としては反権威主義と「悪ふざけ」への志向が目立ちました(社会学者北田暁大の言う「つながりの社会性」)。そうしたお遊びは、不特定多数のユーザーが熱狂的に参加するいくつかの「まつり」や「オフ」を生み、2002年の日韓ワールドカップサッカー、2008年フリーチベットを主張して集まったデモなどをきっかけに、混沌としていたネット世論の中から、「嫌韓嫌中」「歴史修正主義」「反マスコミ」「反リベラル」といった特定のアジェンダが結晶していきます。これらはネットから溢れ出して「在特会」の設立(2007年)が行われ、活発なヘイトデモを繰り広げます。『マンガ嫌韓流』(2007年)をきっかけに出版界にも「嫌韓本」ブームが巻き起こります。この頃になると既成右翼もネットの動向に気がついて、雑誌『Wi LL』(2004)や「日本文化チャンネル桜」(2004)などが積極的にネット言説との接合を図ります。「チャンネル桜」の番組は、動画共有サイトの盛り上がりと重なって、ニコニコ動画などで熱心に視聴され、コメントされました。他方、三橋貴明、竹田恒泰など右派を市場にビジネスを行う言論人も登場しました。その結果ネトウヨと呼ばれつつも、実際にはネットよりも書籍や映像を入り口にした中高年層も増えていきます。ネット掲示板的なおふざけ路線は薄れ、ガチの排外主義が前面に出てきます。2010年代ネトウヨと既成右翼は融合し、第二次安倍政権を支える支持層として、明確な政治勢力として、大きな役割を果たしました。
しかしまた、ネットが広く受け入れられ、プラットフォームも掲示板からSNSへ変化する中で――政党・広告代理店などからの操作も指摘されつつも――ネットはアングラな場所ではなくなりました。ネットは疎外されたアジールではなく、社会と等価になったのです。それに伴って反権威・反マスコミといった「気分」もごく一部のものになりました。ネット右派はまだ大きな存在感を持っていますが、今やネットは無数の意見が書き込まれ、無数の対立が浮上する空間となっています。
批評ユニットTVODは、雑誌『広告』文化特集号に寄稿した論考「SNS以降のサブカルチャーと政治」(注13)で、2011年の震災と原発事故以降に起きた左派的な運動の軌跡を次のようにまとめています。これらは2000年以来のネトウヨ勃興へのリアクションでもありました。
この整理をそのまま受け入れる必要はないにしても、大震災と原発事故を契機に、局面が大きく変わったことは確かでしょう。人々はネット上で大っぴらに政治を語り始め、政治的動員や社会参加を促すようになりました。政治や国家という論題はマイナーなものではなくなりました。さらにニュースや政治状況に「スピーディー」に反応し「シャープ」な分析を行うインフルエンサーの周囲にファンダムが成立し、RP(リポスト)を通じて共感が拡散していくという状況が左右を問わず成立しています。
このように現在では社会は単純に「右傾化」したとも「左傾化(リベラル化)」したとも言えない状態になっています。むしろ両者が同時に進行しており、その結果あらゆる領域で対立する立場がマダラ状に存在し、微細な闘争を繰り広げているのが現状です。
6 「アイロニー・ゲーム」vs「誠実さゲーム」
ネット右翼について考える場合、2000年前後からの数年間が重要なのは明らかです。
社会学者の北田暁大は2005年という早い段階で、巨大掲示板2ちゃんねるにおけるシニシズム(冷笑主義)から、新しいナショナリズムを先駆的に分析しました(注14)。北田は、2ちゃんねるにおいて2000年代に広がったリベラル批判の空気を、「つながりの社会性」、つまりコミュニケーションが途切れずに続くことを重視する態度から説明します。マスコミ批判やリベラル批判は、そのための素材に過ぎなかったというのです。そこでは、本気であること、マジであること、真剣に何かの価値や理想を信じることは、からかいの対象になり、ネタにされます。リベラルメディアが掲げる理想や「綺麗事」は格好のネタになります。このようにベタをひたすらにネタにしていく「アイロニー・ゲーム」が終わりなく続きます。
掲示板文化は衰退しましたが、R Pやハッシュタグを通じて特定の政治的立場に同一化する「つながりの社会性」はSNS全体に広がりました。SNSはたえず相手をネタにし、嘲笑しようとするメタ・ゲームの戦場です。
一方批評家の綿野恵太は、2011年以降の「政治の時代」にあって、反対のメタをたえずベタへと引きずり下すようなゲームが、主に左派の言説モードとして定着したと指摘します。
このモードでは、今まで見過ごされていたかもしれない差別や問題発言は、真剣に注視され、公に議論されなければなりません。また誰かが、ハラスメントなどで「痛い」「苦しい」と発話したとき、その言葉をからかったり、裏の動機をあげつらったりすることは、激しく非難されます。「痛み」は、当事者の身体性や主観性に定位するリアルだからです。「アイロニー・ゲーム」が何事も真剣には受け止めず、笑いのタネにしてしまう態度であるのに対し、誠実さのゲームは何事も大きく拡大し、真摯に向き合うことを要請します。
しかしこの態度をつきつめると、人は「痛み」を訴える相手の前ではただひたすらその言葉を傾聴し、その言葉に従属するほかなくなります。他者の訴えから距離をとって俯瞰することはできません。
一方、右派の方は、それを「お気持ち」と揶揄します。本当に「痛み」を感じているかは本人にしかわからない以上、「被害者」を演じて権力を手にするためのフェイクではないかと疑います。
つまり右派と左派の対立は、相手の言葉を真剣に受け止めず、つねに揚げ足を取ったりバカにしたりする「ベタをネタにしていくゲーム」と、他者の気持ちや痛みに「寄り添い」、大真面目に正義を追求すべきという「ネタをベタに引きずり下す」ゲームとの闘争だと考えられます。
右派から見れば左派は、ポリコレやジェンダーなどの舶来の概念をふりかざして日常の「差別」や「暴力」を指摘してまわる嫌味な連中ということになり、左派から見た右派は、真剣に取り組むべき問題で悪ふざけしたり、自分の都合や欲望に応じて消費して恥じないふざけた人々ということになります。
もっとも批判の応酬が続けば、ネタとベタはすぐにぐしゃぐしゃに混ざり合います。左派も右派をからかったり馬鹿にしたりする機会があれば飛びつきますし、右派も余裕を失って大真面目に怒り出します。
7 「政治」と共同性のゆくえ
連載の前回で語ったのは、戦後一貫して進行する「個人化」の趨勢に対する痛烈なカウンターとして夢見られた「コミューン主義」の系譜でした。しかしそれも80年代には潰え、社会は消費主義に、思想の形態としてはポスト・モダニズムに飲み込まれていきます。
しかしそれでも人は共同性を求めます。ネットの登場は、何らかの集団に所属しなくても不特定多数の他者と繋がることを可能にしました。collectivism(集団主義)からconnectivism(結合主義)への変化です。しかし、その極端な現れであったネット掲示板の「つながりの社会性」はネット右翼の母胎となりました。そもそも生身の肉体を伴わないヴァーチャルなだけの関係性は、無責任なシニシズム(冷笑主義)や過剰な攻撃性に傾きがちなことが明らかになりました。コミュニケーションはゲーム化していき、仲間内の承認を得るために意図的に対立を生み出すようになります。それがネットから現実世界へ溢れ出していけば、社会は危機に陥ります。
右派も左派も、個人化と生の希薄化という社会条件は共有しています。ではその中でどうやって共同性を求めればいいのか、そこにはどのような危険性があるのか。
次回はまさにそのような問いと向き合いながら、共同性への希求とその深淵を描き続けてきた作家としてチャック・パラニュークと星野智幸を取り上げます。(第六回了)
▶第七回「死を分かち合う」は下記のリンクから。
▶倉数茂。1969年生。日本近代文学研究・小説家。著書に『黒揚羽の夏』(ポプラ社、2011年7月)、『私自身であろうとする衝動―関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ』(以文社、2011年9月)、『名もなき王国』(ポプラ社、2018年8月)、『忘れられたその場所で、』(ポプラ社、2021年5月)など。
*トップ画像はゆずきんぐ「知覧平和公園 展示の練習機」、『photoAC』による。
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