「風景」と「生活」を失った文芸批評
時評・書評を考える(第一回) 仲俣暁生 同時代の小説や文芸作品を読むことで見える「風景」を言葉にしてみたいとはっきり意識したのは1997年のことだった。この年の9月に再創刊された「COMPOSITE」という雑誌で書評の連載を任され、ゼロ年代の半ばにこの雑誌がなくなるまで続けた。その懐かしい記事をインターネット・アーカイブに残っていた自分の過去サイトで掘り返してみると、初回で取り上げたのは4冊(片岡義男『日本語の外へ』/デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』/宮台真