父と手の手術と里親さん✨✨
こんにちは。
朝から雪☃️やみぞれの寒い日と
なりましたね。
2月のこの時期は、何故か
入院や手術が多かったので
今、雪空を眺めながら
その時のことを思いやっています。
今日は、雪男⛄️さんの
手の手術のことと受けるのに
準備が大変だったことをふっと
雪❄️をみていたら思い出したので
書いてみます。
長くなりそうなので
お時間がある方はどうぞ^ ^
この話の前提として、
自分のことも少し?書きます☺️
→かなり長くなりました(笑)
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Mちゃんを出産した前後から私は、
妊娠中毒症の高血圧の治療中でした。
その最中に
実父の肝臓がんが悪化し、
Mちゃんが8ヶ月のときに
茅ヶ崎の病院🏥に入院治療中に
腹水を抜こうとした時に鮮血が!
がん細胞破裂(肝臓の中にあった
がん細胞が肝臓の表面の皮を破り
外に出て動脈出血をした)のため、
ラジオ派で定期的に治療していただいた
小尾先生がいらっしゃるお茶の水の
杏雲堂病院に県をまたぎ救急車で
搬送されました。
止血には成功したものの
余命約1か月を宣告され、
最期の入院の時に看病に行きました。
2006年の7月のことです。
Mくん(当時小2)とベビーカーの
Mちゃんを連れていきながらの看病です。
流石にMちゃんを連れて夏の
病院看護は厳しくなり、
途中からMくんが4歳まで通っていた
認定保育園にMちゃん預けられたので
離乳食を持ってお願いしました。
夏休みのMくんは、当時なかなかない
放課後デイサービスに頼み込み
期間限定で週何日が預かってもらいました。
その後、父が退院したいとの希望が
強かったので、ギリギリ院内感染する前に
病院から実家に帰してもらえました。
約10日間、雪男⛄️さんのお母さん
(看護師でした)のアドバイスを受けながら
三姉妹+母(仲が悪く別居していたので
自宅の看取りは反対していた)で、
ギリギリまで父の看取りをしました。
三交代制制で看護しました。
午前11時過ぎから
実家に行き、
父のバイタルをチェックし
清拭と着替えをしてもらい
昼食の準備。
Mちゃんを迎えに行き
雪男⛄️さんの帰りを待ってから
また夕方遅くから実家に行きました。
母がお風呂に入ってもらって
いる間にバイタルチェックと
その時に食べたり飲んだり
できそうなもののを配膳します。
死期の近い人は、
果物しか美味しく感じないようで
主にマンゴーやスイカなど
を食べていました。
夜から朝方までは、
父が夜中に起きてしまい
色々と大変なので
姉2人と母が夜勤の看護をしました。
それまで見た目は元気だった父が
日に日にバイタルチェックを
していく中でも弱って行くのが
数値化されていくのは辛いことでした。
父とは、色々なことから
確執がありましたが、
Mくんの障がいを受容してくれ
Mちゃんの出産直前まで
助けてくれたことで
かなり和解していたのですが、
まだしこりがありました。
でも、死を直前にした父を
毎日観ていくうちに
そんな確執はどうでも良くなりました。
父は、私に『悪かったな。ごめんな。』
というかわりに私の下手な看護を
受けてくれました。
本当は、一番のパパっ子だった
姉が母が看護をしたくないのを
知っていたので茅ヶ崎の家に
引き取ろうとしたのですが、
父が断りました
『茅ヶ崎に行ったら、
ごみちゃんが来られないだろう。
それは、良くない。』
と言っていたと
後で一番上の姉に聞きました。
父はその後、2006年8月20日に
最期ギリギリで救急車に乗せてもらい
茅ヶ崎の病院で家族みんなに囲まれ
亡くなりました。
人にお詫びをするということは、
言葉による謝罪も大事だけれど
死に様を見せて全身でお詫びを
することもあるということを
私は初めて学び、父亡き後
号泣しながら後悔していました。
その後、私は心が壊れ始め
その年の12月のノロウィルスに
子ども2人とかかって体力も落とし
翌2007年の初めからMちゃんの夜泣き
が突如始まり(夜中の1時から5時まで
きっちり4時間泣き止みません)ほぼ眠れず。
日中も、何かあるとMくんを学校に
迎えに行ったり、遊びに行った
友だちの家にMちゃんを連れお詫びや
迎えに行ったり。。
とうとう身体悲鳴を上げて
しまいました。
2007年の3月頃から腸炎が悪化し
7日間くらい入院しました。
退院後、内科の先生から
心療内科かカウセリングを
勧められたのですが、
躊躇していました。
そうこうしているうちに
何もしないのに体重が
7キロも落ちました。
Mちゃんの4月下旬の1ヶ月半検診の会場に
雪男⛄️さんといっしょに何とか行った
のですが、保健師さんに説得されました。
『お子さんは、問題は全くありません。
お母さんの方が問題があります。
何もしないのに、
7キロも体重が減るのはおかしいです。
このままだと更にお母さんは危険な状態に。
上の発達障がいのお子さんのこともあるし
とても大変なはずです。
Mちゃんを保育園に預けましょう。
障がい福祉課とも連携しお母さんが
休めるようにしましょう』
自分では、自分のことがわからない
ものです。
『どこも体は悪くないのにどうして
そんなこと言うのだろう?』
と思いながら帰りましたが。。
そうこうしているうちに
外を歩くと息切れがしてしまい
自宅から15メートル先にある
ドラッグストアに水もオムツも
買いにいけません。
泣いているMちゃんを
抱き上げることもでず、
ほぼ動けなくなり
気がつくと
部屋でうずくまっていました。
私は、初めて自分のことでひとに
助けを求めました。
『だれか、助けてください。』
神様は、私の小さな声をちゃんと
聴いてくれたようです。
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その後、本当の意味で、医療と福祉の
方々との関わりができてきました。
私は、やっと2軒目に訪れた
メンタルクリニックから
薬を処方されました。
Mちゃんは、障がい福祉課と
子育て支援課と連携し、空きのある
隣の駅の保育園が引き受けてくれる
ことになり、朝は雪男⛄️さんが
保育園に連れて行ってくれました。
雪男⛄️さんのお母さんは
(退職前の最後の持ち場は国立病院の
精神科病棟に勤務していました)
『絶対に焦らないで,少しずつ
やっていくのよ』と、おかずを持って
励ましに来てくれました。
Mくんの当時主治医だった女性の
ちょと恐いと思っていた児童精神科医の
先生からは、
『いつも、あなたは(Mくんや雪男⛄️さんのケア、Mちゃんの出産とケアなどを)がんばっていると思っていたのよ。しっかり自分のケアもしなさいね。』
と優しく声かけしてくれました。
Mくんの個別療育担当だった
臨床心理士の先生が私を見かねて
メニューにはないカウセリングを
引き受けてくれました。
家事が全くできなくなった私を
助けるため、
表向きはMくんの支援という体裁を
取りつつ、家族全体の支援という含みで、
お料理などを作ってくれる家事支援の方が
週二回我が家に入ってくれることに
なりました。
Mくんには、今までの休日のガイド
ヘルプとは別に、平日の小学校の
Mくんのお迎えと遊び役の優しい
おじさんがガイドヘルプとして
週1回入ってくれることになりました。
他にも、障がい福祉課のワーカーさん、
児童精神科医の先生と連携した
児童相談所の心理の方や相談役の
ワーカーさんも入ってくれることに
なりました。
こうして、私は自分のことを労わる
ということを何年もかかりましたが
少しずつ覚えていきました。
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前置きがとても長くなりましたが^^;
やっと雪男⛄️さんの手根管症候群の
手の手術にたどり着きました。
ときは、2009年の一月中旬と流れて
きました。
雪男⛄️さんの両手は、手根管症候群に
よる手首の神経が筋の圧迫により
痛みと痺れがひどくなってしまいました。
当時、湘南鎌倉病院の西本先生が
数年の経過観察をしてくださったのですが
思わしくないとのこと。
やはり、両手首の神経を圧迫している
筋を切るという手術を右→左の
順番でした方が良いとの結論に。
手術自体は簡単で、
日帰り手術になるとのこと。
ただ、問題は雪男⛄️さんの
心臓の大動脈基部と大動脈弁置換手術
(2000年4月の手術)の後に飲んでいる
ワーファリンという薬が血液をサラサラ
にする強い作用があり、
手首の手術後に出血が止まらない
危険があること。
ワーファリンの薬を一時的に
飲まないで良いか?については、
新横浜の心臓血管外科の
主治医の先生の判断が必要に。
若干、揉めましたが、
手術前日と当日の2日間だけは、
飲まないでも良いという許可が
降りました!
あとは、日帰り手術にしても
翌日経過診察が必要なのと、
万が一手術当日の夜になっても
出血が止まらないときには
救急で行かれる状態を確保
することが課題でした。
本当は入院させてもらえるのが
一番安心でしたが、対象手術ではないので
近くのホテルに手術前日と当日の
2泊をする以外、
道がありませんでした。
利き手の右なので、術後のケアは
メンタルがまだまだ怪しい私の
担当となります。
子どもたち(当時、小4のMくん、
3歳のMちゃん)の2泊の預け先がないと
手術ができません。
手術の日程は、2月の中旬ごろ。
多少前後動かせそうだとのこと。
児童相談所の当時の私の相談担当だった
ワーカーのSさんに相談しました。
フットワークの軽いSさんは、
色々動いてくれました。
小学生のMくんの預かり先は、
すぐに見つかりましたが、
3歳のMちゃんの預かり先の
児童相談所にある秘密のお泊まり
場所がなかなか空きがないとのこと。
そこで、児童精神科医の主治医の先生と
ワーカーのSさんが相談してくれました。
主治医の先生曰く、
『兄妹いっしょの預かり先が妥当でしょう。
2泊だけなら、短期の里親さん制度を
使ってみては?』
との打診が!
『里親さん』
当時、名前は聞いたことが
ありましたが
短期のお泊まりの預かり制度がある
とは⁉️
里親さんの了解が必要だけれど、
2人とも日中、小学校と保育園という
活動場所があるので、おそらく
目星が付いているかたは引き受けて
くれるだろうとのこと。
手術日の日程の確定決定
の日が迫っていました。
私は、その
『里親さん』にお願いしたいと
ワーカーのSさんにすぐにお伝えしました。
『里親さん』は、快諾してくださり
一度、児童相談所の相談室で面談
させていただきお願いできることと
なり、
その『里親さん』のお母さん役の
女性の方と携帯のショートメール
ができるようにこっそりと携帯番号を
交換させてもらいました。
こうして、雪男⛄️さんの右手首の
手術ができることとなりました。。
無事に手術と心配していた
止血も成功して、
翌日の術後の診察での経過も良好✨✨
雪男⛄️さんの右手首は
包帯でぐるぐる巻きにされ
自宅に戻れました。
『里親さん』の女性には、
2人の3日間の様子を
夜に教えてもらえて
とても嬉しかったです。
医療と福祉の連携の
助けを得られて本当に
ありがたかった(T . T)
さて、
子どもたちは、びっくりの
2泊3日の『里親さん体験』
後で、
『Mちゃんと僕は
父と母に見捨てられたと思ってしまった。
二度と嫌だ』
と、Mくんに言われましたが。。(笑)
長いお話を読んでいただき
ありがとうございました😇🙏✨