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1月5日 壺中日月長~『毎日に感謝したくなる 禅ごよみ365日』

壺中日月長
~こちゅうじつげつながし

『毎日に感謝したくなる 禅ごよみ365日』

「壷中(悟りの境地)にいると、時間に縛られることがなく、ゆったりと自由に暮らすことができる。」という意味である。

小見出しには、”「忙中閑あり」を実践する”とある。
忙中閑は、三省堂辞書によると「忙しくて全く暇の無いように見える時でも、ふとした折にちょっとした暇はできるものだ。」という意味の慣用句で、「忙中おのずから閑あり」ともいう。
使い方は「忙中閑ありで、今日は久しぶりに子供の相手になっている」など。

私はこの慣用句の起源を詳しく知らなかったので調べてみた。
「忙中閑あり」は、陽明学者・安岡正篤の六中観という、安岡氏の座右の銘にある言葉であった。

六中観とは

一、忙中閑あり
二、苦中楽あり
三、死中活あり
四、壷中天あり
五、意中人あり
六、腹中書あり

六つの全てに「中」の文字が入り、「〜の中にあってこその、〜である」という、相反する事柄が、一緒に存在するのが大切であるといった内容である。

さらにWikipediaをみてみると、三省堂辞書とは少々違って、「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」とあった。安岡氏ご本人の解説ということだ。

ただの閑だけ、ただの忙だけでは成果どころか、病んでしまいそうだ。
何事もメリハリや切り替えが大事。
疲れると物事を良い方向に考えられなくなり、その結果として継続が難しくなるので、やはり適度な閑と適度な忙のバランスをとっていくといいのだろう。

ここに引用したものの理解を深めるために、安岡正篤氏の言葉をもう少し読んでみよう思う。
修正等があれば、その都度お知らせする。


こちらの禅語をもとに、毎日noteを更新してます。


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