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子どもの心の安定のために親としてできるただ一つのこと

こんにちは、ぶんちゃです。
2歳半の娘の母をしています。
発達障害の可能性を示唆されて以降、保育士さんや専門機関に頼りながら
私自身の教職経験を活かしながら、娘の発達を見守っています。


今日は、そんな娘の心の安定のために、
私たち親ができることはなんだろう?
と、ふと思ったので、自分なりの考えをアウトプットしてみます。

癇癪持ちでも気持ちの切り替えができる娘

発達障害かもしれない。
癇癪・パニック・多動傾向・偏食・コミュニケーション困難。
確かに傾向も色濃く感じます。
親から見ても、「何かしら困り感は持っているんだろうな」と思うくらいには。

それでも、実は、娘なりに自力で気持ちを切り替える方法をすでに持っています。

軽めの癇癪・パニックの時は
自分で全く関係のない言葉を呟きます。

食事中のパニック

食事の時、食べたくないものを私に勧められてイヤイヤ発動したのち
そのままパニックになってしまった時も、しばらく様子を見て
「とりあえず、嫌なことはわかったよ。落ち着いたら食べられるものを教えてね」
とだけ言って、そっとしておくと

「しまろ(じまじろう)」
「すみさん(スヌーピー)」
「パンダ」
「うさぎ」

と好きなものの名前をひたすら唱え始めます。

これを言い始めたら、自分で自分を落ち着かせている合図です。

邪魔しないように見守ります。

こちらを向いて、名前を呼び始めたら復唱します。

何回か唱えていると、あら不思議。

あの大癇癪がどこへやら。

「いっまーす(いただきます)」
と言って、再び食べられるものを食べ始めるのです。

友達とトラブルになった時

友達のものを取ってしまった。
友達の「貸して」に対して「どうぞ」ができなくて
友達が泣いたことで、自分がパニックで泣き出してしまった

これ、とてもよくあります。
「なんであなたが泣いてるの?」
「泣きたいのはお友達だよ?」
という場面でも、娘の方が大泣きです。
正直、娘の泣く勢いでお友達は泣き止むし
お母さん達も、お手上げで娘が謝る前にお子さんをなだめて離れます。

だから、なかなか謝るチャンスがもらえません。
なんせ、気持ちが落ち着いて、私とじっくり話して
尚且つ娘が納得しないと謝れないので。

そんな時もまずは気持ちを落ち着かせようとする時に

「アンパンマン」
「チーズ」
「わんわん」

と関係ないものの名前を唱えます。

私は、母だから、これが落ち着かせるための娘なりの行動だとわかるけど
周りからしたら、
「話それた。もうおしまい」
となってしまいます。

とても申し訳ないけど、娘なりの落ち着きルーティン。

でも、伝えるにもなかなか難しいものがある。

なぜ、2歳で自力クールダウンができるのか

正直、こんな発達グレーと言われる娘が、なぜかクールダウンの方法だけは身につけている。
不思議です。

不思議だけど、理由を考えてみました。

それは、生まれた時から、困り感で泣いてパニックになっている時は
私も夫も決まって

「大丈夫。悲しかったね。悲しいのは伝わったよ。
 だからもう大丈夫。落ち着いていいよ。ぎゅっとするから。」

と声をかけ続けていました。

「大丈夫」
「ぎゅっとするよ」

この二つ。必ずやっていること。

そして、外では基本的に落ち着かせるために私から先に抱きしめますが、
家では逆なんです。

「大丈夫」
と声をかけた後は、娘が自力でぎゅっとしにくるのを待っていました。
ただただ、手を広げて。
はいはいできるようになってからずっと、この方法です。

抱き上げるのではなく。
娘から、落ち着きたい。ぎゅっとして安心したい。
その合図を待ち続けました。

普段、呼んでも寄って来ない子だからこそ。
待ち続けました。
本気で困っているからこそ、本人が自分で「安心」を求めて縋れるように。
親に頼れるように。

自分で抱っこしてもらいにくるようになって、落ち着くまでの時間は短くなりました。
無理やり抱っこしても、基本的にはいいことはありません。


だからか、娘は抱っこをせがむ癖はありません。
困った時にきます。
それ以外は、自力で歩きます。


待ち続けたのがよかったのか?

では、ひたすら待ち続けたのがよかったのか?
それも違う気がします。
だって、ただ待つって、見方を変えたら放置です。

でも、私も夫も放置はしていません。

苦しくても、めんどくさくても、1時間泣いていても
目を離さずに手を広げて待つのです。

あの頃は、思い返すと
「私よくやってたな。。。。。。。(遠い目)」
になります。

本当に何時間でも待ってました。
言葉が出ない子だったからこそ
行動できるようになってほしくて。

言葉がまだ言えないなら、
こちらの思いを感じ取って
反応できるようになってほしくて

ただただ、それだけの思いでした。

でも、思っていただけではきっと今のように
自分で切り替えることはできなかったと思います。


安心感が伝わった

私は、娘が困った時に「抱っこ」「ぎゅー」とヘルプを出せるのも
パニックの時になんとか自力で無関係の言葉を唱えることでクールダウンを図るのも

親の前なら大丈夫、という安心感が伝わったと信じています。

私たち夫婦は、育児の感覚も似ています。
だから育児方針で意見がぶつかることも少ないのですが、
娘の発達については、常に話し合います。

何か手立てを打つときも、必ず共通理解します。

そして、どちらが対応してもブレのないようにだけは気をつけています。

この、ブレを起こさないために、ただ一つ、私たち夫婦ができること。

夫婦で仲良く過ごすことです。

親が仲良しだと子どもに伝わることほど、安心できるものはないと思っています。
だから、形だけの共通理解ではなく、日頃から全力でママとパパが仲良しであることを伝えます。(いや、特別なことはしないけど。笑)

友人達からも、私たち夫婦は仲がいいと言われるので、周りから見てもわかるのでしょう。(いや、手も繋がないし、プレゼントも皆無な夫婦ですけどね。笑)

でも、雰囲気が伝わっているなら大成功だと思います。

私も子どもの頃、親が仲良しなことが嬉しかったし、いじめられてた時も、思春期の頃も、親が仲がいいだけで、安心して生きていられたし、家庭が安全基地でした。

何故かなんてよくわからないけど、親が喧嘩していた日は、自分も部屋で泣いてました。何もかもが不安で。
翌日、仲直りしてるのをみて、ようやく息の仕方を思い出していました。
(とは言っても、私の両親も本当に仲がいいので、そんな不安な日は珍しすぎてたまたま覚えているくらい、レアでしたけど。)

結局親ができることは限られている

親が仲良く過ごすこと。これが1番なんだろうな、と思います。
子どもを愛する、子どもへの愛を伝えるのは、基本的にほとんどの親がやっています。
だって、無条件で愛しいし、無条件で自分より大切な存在だから。

でも、パートナーって、一度は世界一大切な人として結婚したけど、他人ではある。
子どもとのつながり以上のものは、関係性で築き続けるしかないのです。

夫婦が仲良くいられたら、自然と会話も増えるし、笑顔も増える。
楽しいこと、未来への希望を話せる。
育児のこと、しつけのこと、発達のこと。

そんな日々が、子どもの心の安定を育むと思います。

娘は、きっと周りから見たら
「大変な子」だし、「力のいる子」
「手のかかる子」
「変わった子」
なのかもしれないです。

でも、親である私たちが世界一愛おしくて、世界一大切に見守っているから
きっと娘は大丈夫。
時間がかかっても、できることはいっぱいある。
日々娘なりにできることが増えている。
それを夫婦で一緒に見守り、一緒に喜んで、一緒に褒めて。

娘の発達を、これからも夫婦で同じ目線で見守り続けようと思います。
それが、一番の娘への安心の伝え方になると信じて。



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