オリオンビールと島唄に痺れた秋の日。
想定外のできごとで延期された野外フェス
その野外フェスは、前年通り5月に開催される予定だった。
先着で配布されるお揃いのレジャーシートを芝生の上に敷いて、のんびりステージを見る。初夏の日差しはまだキリキリしていなくて、心地いい。フェスが始まるまでは露店でぐるぐる品定め。それからオリオンビールと沖縄料理を買うために、店ごとの列に並ぶ。
年に一度、外でバカになってビール飲んで、唄も太鼓もカチャーシーも全開、沖縄に触れる日。どんなに忙しくても、この日は必ずスケジュールを空けていた。
だけどその年、予定されていたフェスは延期となった。
2016年4月16日、「このまま天井落ちてきて、死ぬんだろうな」と思った。けど死ななかった。
誇りだった城の武者返しはあっけなく崩れ落ちた。職人のつくった鯱や瓦が崩落し、ひとまわりもふたまわりも小さくなった裸の天守。毎日、大渋滞の車窓から見上げて涙を溜めた。元の姿に戻るには20年以上かかると聞いて考えたのは、「自分は生きているだろうか」ということ。それでも、天守閣より古く、西南戦争直前の大火にも耐えた宇土櫓がこの大震をなんとか堪えたことが希望のように思えてならなかった。
それから数ヵ月、どんな風に暮らしたか記憶が薄い。一日に何度も突き上げてくる余震に疲れ、外からは見えない人の心に翻弄された。それでも進むしかないからとにかく進む。そんな毎日だった。
そして「延期になっていたフェスを秋にやるよ! みんな来てね!!」とアナウンスがあった。
それは、ある沖縄料理店の店主の「熊本と沖縄を音楽で繋ぎたい」という思いから2008年に始まった野外フェス「琉球の風~島から島へ~」。
住むまちと沖縄の知らなかった接点
遡ること十数年前。沖縄で島旅を続けていた私は、ある島で海洋研究員と近所のおじぃ、周辺の民宿に泊まっていた旅人10人ほどに混じって、なぜか“ゆんたく”することになった。
「どこから来たのぉーーー?」と、三線片手に聞いてくるおじぃ。熊本からだと答えると、「戦時中の疎開先だったよぉーー」と言う。おじぃが疎開した町の名は、私が親しんだ名前。「熊本から来たと言えば、おじぃやおばぁから嫌な顔はされんよぉー」とおじぃ。当時、熊本や宮崎に疎開した人がかなりいたそうで(だから宮崎にもリトル沖縄があるのか!と、このとき気づいた)、彼はそのとき世話になった人の家族と今でも交流があるのだと話した。
もともと沖縄が好きで旅していたけれど、そんな歴史のつながりがあるなんて知らなかったから、嬉しくなって泡盛ガンガン飲んじゃった。翌朝フラフラしながらまた散歩して、おじぃのところを訪ねると、三線を弾きながらまた歌う。二人とも酒の匂いをさせながら、気の向くままに風に吹かれた。
あれから何度沖縄を訪れただろう。
沖縄の音楽に触れられる野外フェス。近所で初めて開催されたときは、本当にうれしかった。
「琉球の風~島から島へ~2016」で取り戻した感覚
2016年5月に開催予定だった「琉球の風~島から島へ」は、その年の10月に無事開催された。
プロデューサーは知名定男さん。金城安紀さんやネーネーズ、南こうせつさん、内田勘太郎さん、BEGINの島袋優さん、夏川りみさん、かりゆし58、琉球國祭り太鼓九州支部などが参加。毎年参加の新良幸人さん&下地イサムさん(2人のユニットはTHE SAKISHIMA meeting)は別のイベントと重なり、不参加となった。しかし当時音楽活動休止中の宮沢和史さんが、トークゲストとして特別登壇することに。
青空の下で、ゆるゆると沖縄の島唄に聴き入り、沖縄ゆかりの人たちの歌に盛り上がり、カチャーシーを踊り出す(毎年恒例)。もう泣きそうだ。晴れ晴れとした気分でオリオンビールを飲む日が、ようやく来た。そう思った。
その思いがさらに強まったのは、宮沢さんが登場したとき。知名さんに「宮沢君、こういうときに歌わんでどうする!」と説得され、宮沢さんが1曲だけ歌うことになったのだ。知名さんは、最初から彼に歌ってもらうつもりでゲストとして呼んだのだった。
選んだ1曲は「島唄」だった。
「魂がふるえる」って言葉は、こういうときに使うんだってわかった。
聴き入っていた周りのおじさんもおばちゃんも若い子も、当然私も、気づいたら鼻をすすって泣いていた。普通の暮らしが普通じゃなくなったあの日から半年。フェスの参加者は、日常を取り戻しつつある人が大半だっただろうけれど、皆それぞれに傷つき、でも前に進むしかないと思ってこの日まで来た。音楽、ましてやライブなんていう楽しみは二の次、三の次になっていたから、この瞬間に「ああ、私たち、ちゃんと前に進めてるじゃん。音楽を、”励まし”じゃなくて普通に楽しめるまでになったじゃん!」と実感できたのがうれしくて。
そこからは怒濤のノリ。隣の見知らぬ人と乾杯し、互いに露店で買った料理を交換し合い、大盛り上がりだ。
優さんが酔っぱらいながら歌った「海の声」(某auの浦ちゃんの歌。作曲したのが島袋優さん)、かりゆし58の前川くんと優さん、内田勘太郎さんの三人で歌ってくれた日暮れの「恋しくて」も最高だった。
この日のオリオンビールとステージは、特別な思い出となった。
「琉球の風~島から島へ~」は、2018年を第10回ファイナルとしたが、結局台風で中止となり、開催されることなく幕をおろした。いつか本当のファイナルがあると信じている。信じたい。そしてまた誰かとオリオンビールで乾杯して、ワチャワチャしたい。
三ツ星かざして 高々とー♪
ビールに託した ウチナーのー♪
夢と飲むから 美味しいさー♪
オジー自慢の オリオンビール♪
オジー自慢の オリオンビール♪
……………♪
(オジー自慢のオリオンビールより一部抜粋/BEGIN)
野外フェスのワチャワチャ感、たまらんのよね。
なんだか書いていたら「アガラサー」(沖縄黒糖蒸しパン)が食べたくなったので、家に残っていた具志堅商店さんの粉を使って急きょ作りました。沖縄が恋しい……。
※ヘッダーは、オリオンビール公式さんツイッターのzoom背景にお使いください画像からです。
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