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go ahead
これまでになんどか手術をした。盲腸もあるが、大きいのは二回。下顎にできた悪性腫瘍と、すべり症を伴う腰部脊柱管狭窄症だ。
手術前、腰痛を抱えた日々の記憶。
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第三火曜日の夜は骨董の教室で.青柳恵介氏が語る
骨董にまつわる楽しいお話を楽しみにしている。
いつも、友人ふたりと日暮里駅で待ち合わせて夕食を済ませてから、教室である谷中の韋駄天さんへむかう。
昨晩もそうだった。日暮里駅前の中華料理店から
谷中へ向かって歩いていった。時間にしたら10分あまりだろうか。
その途中で足が痺れ出した。
友人ふたりは勤労婦人で、本人達は意識していないだろうが、あたしから見ると、足の運びがまことに早い。
すっすっすっ。目的地へ向かうための歩行。教室が始まる時間にはまだ間があったが、身に付いた歩行速度で行く。対角線を歩くような無駄のない感じ。
遅れないように歩いていると、こちらは足の裏から痺れ始める。
ふくらはぎ、もも裏、最後は臀部。足全体が突っ張る感じ。
おいおい、これはどうなるんだろう、と思っていると、傍を車が通ったので、これ幸いに立ち止まる。
が、瞬時に回復するわけもなく、引きずるようにして、ようやく目的地に着く。
「こんばんわ~、おひさしぶり~」とはずむような友人達の声を聞きながら、ひとり落ち込んでいた。
東芝病院のセンセイは、しびれや痛みはすべて、脊柱感狭窄症に由来する、という。
だましまだし生活してもう我慢ならん、となったら手術するのだが、それまでは、つまり、我慢するわけだ。
だましだましの生活というのが、こんな場面に現れる。
ひとのペースに合わせて歩くことが出来ないこと。自分のペースに合わせてもらわねばならないということ。それはなんとも、気持ちのしんどいことだ。
そのしんどさに釣り合う天秤を考える。考えて、また、しんどくなる。
たくさんのことをあきらめねばならんな、と思う。
いや、つねに誰かと一緒にいたいわけではない。もともと団体行動は得意ではない。引く手あまたの人気者でもないし気がつくとみんなとちがうところにいたし、ひとりでも平気だし、だから、いいんだけど、いいはずなんだけど……
こんなふうに現実を突きつけられると、うっとなる。こころが後ずさりしてしまう。
後ろ向きになりそうな思いのなかを泳ぎ、自己憐憫の大波を被って溺れそうになる。
苦しくなって息継ぎをするように、過ぎた時間を思う。
左下顎に、ガンではないが、予後のよろしくないとされる悪性腫瘍ができて、手術して切除し、そのあと、再生手術をせず、片頬でずっと生きて来た。再発なく生きてきたこの年月。
すごいじゃないか、と言ってみる。
あきらめたことは山ほどあるが、新しい出会いもあったし、自分のこころのなかにめっけたことは
もっとたくさんあった。
そう、生きることの意味がより明確になった。それはありがたい、と素直に思う。御の字、だ、と。
今、腰痛がひどく、長い歩行がつらくなってきた。それは以後はくらしのさまが変わるということだ。
あたしは自分のペースが変えられない。だれかのペースに合わせることが出来ない。それはわがままではなく、しかたのないことなのだ。
申し訳ないが、ある意味、ありがたいのかもしれない。決まったことは悩む必要はない。
だれかの背中をみながら歩くことになること。だから見える景色もあること。それが、天秤の片側にあるものだ。
どなたさまも「おさきにどうぞ」
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おかげさまで痺れは残るものの、今は普通に歩ける。基本的に人生のスタンスも歩行速度も、お先にどうぞであることは変わらないが、痛みが消えた日から、前を行く人と時には肩を並べるし、時には追い抜いてもみせたりもする。
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