
野上弥生子のカケラ〜花〜
野上弥生子というひとのポートレートを見ていると、なんだか大江健三郎さんがおばあさんになってそこにいるみたいな感じがする。
秀でた額、柔らかな曲線を描く眉の下に細く切り開かれた透徹した双眸、なにか語ろうとしてふっと息を飲み込んだような口元。穏やかな知性体がそこにいる。
野上さんは、1885年に生まれ百年生きた。「花」という「随筆」を読んだだけなのだけれど、なんだかうれしくなっている。
きちんと居住まいを正してお話きかなくっちゃ、という思いもするのだけれど、野上さんの随筆は実にのびのびと思いを語り、ややこしいこともその手のひらでやさしく揉み解して差し出してくれる。
野上さんはなにかを眺めていると、ふっと別な考え(本人は妄想とか言うのだが)が浮かんでくるという。この連想がなんともいえない味わいがあって、うれしくなる。
人間ドックで入った病院で窓の外の夜景を眺めながら、前に見たお能の「西行桜」を思い出す。
その能に出てくる三人のツレがラグビーの選手のような逞しい大男で、脇によけても、黒い塊のようだったが、これを世阿弥が見たらなんというだろう、と思いが広がっていく。
観世流の宗家夫人が今は古い装束など使いたくても使えないと言う。今の若い人には丈も裄もあわないのだ。つるつるてんになってしまう。
では能舞台はどうなのだ、と野上さんは思う。6メートル四方と決まったのは江戸時代のことで、世阿弥が生きていたなら、「して見て、よきにつくべし」と言う言葉通りに、照明も音響も創造的に新しい舞台を仕立て上げるにちがいないと
思いがめぐる。
そしてまた野上さんは思う。三人のシテが利休の茶室に向かったのだとしたら、どうだろう、と。利休はどんな新しい茶室をこしらえ上げるんだろう、と。
そんなふうに思いは自由に飛ぶ。知性の重みなぞなにするものか、と軽々と垣根を越えていく。以下のページにもそんな思いの八双とび、発想とびが随所に見られて、わくわくしてしまう。
漱石との交流の場面も、漱石の意外な一面を伝えていて、ふふ、ふふ、ふふ、とほほを緩ませながら最後のページを閉じた。
いいなあ、野上弥生子。
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