教えてタカハシさん〜日本美術史余論〜 #2「観普賢経」複製
80年代に複製された国宝「観普賢経」
大森 初回の「光悦印」の記事については、BUNBOUにかかわってくださっている皆さんに対して、僕からお知らせをしました。嬉しいことに、思っていた以上に多くの方が読んでくださったようです。さすが高橋さん。
高橋 ありがたいですね。
大森 少なくない方から感想をいただいた一方で……高橋さん、奥さまにこの連載についてお知らせってされましたか。
高橋 あ……家庭ではあまり仕事の話をしないもので。
大森 そう思って僕からお知らせしたところ「私にも教えて! タカハシさん!」って言っていましたよ。
高橋 すみません、としか言えません(笑)。
大森 さて高橋さん、今日はこれについて教えていただきたいんです。
高橋 巻物?
大森 はい。根津美術館が所蔵している国宝「観普賢経」の複製を落手したんです。「観普賢経」は法華経の結経のことですね。
高橋 こんな複製があるんですね。
大森 箱書を見るに、昭和56(1981)年2月に「写経会」という団体が限定300部で頒布したもののようです。
高橋 おぉ、40年以上前。
大森 装飾経だと他に、この連載でもいずれ取り上げたいと思っているんですが、昭和60(1985)年に美術公論社がつくった国宝「平家納経 妙法蓮華経序品」の複製も持っています。ネットのオークションなんかに出品されるこの手のものをチェックしていると、あくまで印象ですけど、どうやら80年代に複製がつくられているケースが多いように思うんですよね。これってどうしてだと思います?
高橋 詳しいことはきちんと調べてみないと分からないんですが、その年代だと、もしかすると「古筆学」の確立と関係があるかもしれません。
大森 古筆学?
高橋 古い筆跡について、さまざまな文献と科学的な手法によって、筆者や年代を明らかにする学問のことです。東京国立博物館で書の研究をしていた小松茂美が中心になって、近代以前とは異なる体系を大成しました(※1)。
大森 つまり、70年代に古筆学が確立されたことを受けて、研究者や蒐集家らのあいだに需要があるだろうと見込まれ、装飾経なんかの複製がつくられたのではないか――ということですか。
高橋 想像の域は超えませんが、そういう可能性もあるかもしれませんね。
大森 80年代となると、いまみたいにデジタルアーカイブも公開されてないので、研究者にとってはこうした複製が貴重な資料だったんですかね?
高橋 それは大いにあると思います。いまでも、確かにデジタルアーカイブで仔細に見られるものはありますが、やはり印刷されたものとはいえ寸法なども含めて忠実に再現されている複製を実際に手に取ってみると、気が付くことがありますからね。
日本美術における「伝」の意味とは
大森 この「観普賢経」の複製をご覧になって、いかがですか。
高橋 ぱっと見では、印刷されたものとは思えませんね。よくできてると思います。その上で、実物と明らかに違うのは罫(界)です。実物は金泥で罫線が引かれているようですが、複製はそうはなっていませんよね。
大森 なるほど。専門家は罫線にも目がいくんだ。それは面白い。では、そろそろ僕が今日、一番知りたかったことを尋ねますね。
高橋 答えられるかどうか……。
大森 僕が落手した複製の箱書には「伝道風筆」と書かれてあるんです。「道風」って、小野道風のことですよね。ただし、根津美術館の公式サイトにある観普賢経のページを見ると、道風の名前は一切出てきません。
素人の僕はこう理解しました。「伝」とは「小野道風が書いたと伝えられているもの」、あるいは「たぶん小野道風が書いたもの」。81年に「伝道風筆」とあって、いまの根津美術館の公式サイトには何も表記されていないということは、この40年余のあいだに〝道風筆ではない確証〟が得られたのだろう――と。僕のこの推察はいかがですか。
高橋 論理的にはそれなりに説得力のある推察です。ただ、前提の部分に補足が必要だと思いました。前提というのは「伝」の定義です。
じつは日本美術における「伝」には2つの意味があるんです。1つは、英単語における「attribute=帰する」。美術用語としての「attribute」には「作者の分からない作品に対して、学術的な根拠(様式的な類似性など)に基づき、作者をあてがう」という意味があります。大森さんがイメージしている「伝」は、おそらくこちらのほうだと思います。西洋美術には、作者が確定している、あるいはまったく不明の場合のほか、基本的にこの「attribute」という考え方しかありません。
一方で、日本美術にはそれとは異なるもう1つの「伝」があるんです。それは「伝称(伝承)筆者」という概念です。「伝称筆者」とは、ある作品において近代以前に鑑定がなされ、筆者として伝えられてきた人物名のことです。
「attribute」には学術的な根拠があるので現時点における信憑性が含まれているのに対して、「伝称筆者」には現時点における信憑性がない。したがって、現代の専門家のあいだでは、「伝称筆者」の名を冠しているものの、「attribute」の観点からは誰もそれが実際の筆者だとは思っていない、という事象が起きてしまいます。このあたりのことは、専門家以外の人にはなかなか見えづらいですよね。
大森 「伝」にそこまで複雑な意味があるなんて、まったく知りませんでした。
高橋 ここからがひとまずの結論です。じつは、先に触れた「古筆学」において、「伝称筆者」という意味の「伝」を見直す流れが起きました。つまり、現代における「attribute」の観点から近代以前の鑑定を再検討する流れが起きたんです。決して「伝称筆者」のすべてが否定されることにはなっていませんが、その流れのなかで「伝道風筆」という表記が削除された可能性は十分にあり得ます。
大森 めちゃくちゃ複雑な話を、ここまで簡潔に説明してもらえるのが、この連載の面白いところですよね。まるで自分の知的水準が引き上げられたような気分です。3歩歩けば忘れそうですけど……。
ところで、高橋さんは「伝称筆者」を否定する流れについてはどう思ってるんですか。
高橋 真贋の鑑定では近代以降の実証的な手法のほうが優位なのは言うまでもありません。ただ、美術館が作品のタイトルやキャプションに「伝」を表記するか否かはまた別の問題として、僕は必ずしも「伝称筆者」を否定する必要はないと思っています。
興味深い話がありましてね。近代以前に鑑定をしていた人たちの手法が記録に残っているんです。本阿弥家が刀剣の鑑定を始めた同時期に、古筆了佐(1572〜1662)などの人物が古筆の鑑定を専業としています。それ以前の時代にも、公家などが個別に鑑定を行なっていたようですが、鑑定の手法は不明確で不統一だったと考えられています。それが了佐のような専門家の登場で筆者同定の手法が確立されるんです。
例えば、『古筆切目安』(江戸時代)という文献には次のような手法が書かれています。「時代を絞り、流派を選び、筆力の位を見極める」――と(※2)。このなかで僕が関心を持っているのは、「筆力の位」です。
大森 筆力の位……時代や流派に比べると抽象度が高い。
高橋 まさにそこです。近代以降の実証的な手法ではこの抽象度の高さは嫌がられますが、いまの我々と異なる曖昧な尺度を持っていたがゆえに書跡に伝称筆者があてがわれ、結果的に貴重な品が後世に残った。そうした広がりをポジティブに捉えると、伝称筆者が果たした役割は大きいように思うんです。
大森 なるほど。確かに同定の基準が曖昧だったからこそ、結果的に書跡などの物が残ったというのは大いにあり得ますね。個人的には、人物や作品の後世への残し方や伝え方というのは、さまざまなパターンがあると思っています。オフィシャルに残るものもあれば、口承によって残るものもある。あるいは、流出や偽造、誤りなどのいわゆるハプニングが、結果的に長く人物や作品を残し伝えることもある。
高橋 僕たちのように抽象的で曖昧に生きている人間としては、そんなふうに考えたくなりますよね(笑)。
光悦の遊び心のルーツは道風にある?!
高橋 ところで、さっき「平家納経」の複製をお持ちだって言ってましたよね。同じ装飾経として「平家納経」と「観普賢経」とを見比べて、どんなことを思いましたか。
大森 見比べてですか。同じく法華経を題材としているという共通点はすぐに思い浮かびますが……。
高橋 何も答えがある問いではないんですけど、僕は単純にその装飾性に違いがあると感じたんです。「平家納経」はいわば贅の極みのようにゴテゴテに装飾している一方で、「観普賢経」は同じ装飾経なのにそこまで装飾性が強くはない。金砂子の料紙に金泥の罫が引かれているだけで、何かしらの画が描かれているわけでもなければ、文字が色を帯びているわけでもない。
大森 言われてみれば「観普賢経」は装飾経と言うわりには、ちょっと地味かも……。
高橋 そうなんです。僕としてはそこが面白いと思っています。「観普賢経」は11世紀の作と言われている一方で、「平家納経」は12世紀半ばの作。「観普賢経」が前で「平家納経」が後です。その上で、「観普賢経」には金砂子や金の罫など、装飾経の初期の特徴とされているものが見られるんです。
大森 時間が経つにつれて装飾が華美になったということ?
高橋 一概には言えませんけどね。
大森 でも、そうだとしたらとても面白いです。実際に小野道風筆かどうかはさておき、写経に装飾を施すという〝遊び心〟の先駆けが「観普賢経」だと見ることができますよね。僕は実に不真面目な人間なので、経典って単にありがたいものとして享受するものではなく、生身の人間が実際に取り扱うものだと考えています。「観普賢経」の〝遊び心〟には、経典と人間のよい意味での身近な関係性が表れているような気がしました。
高橋 前回の「光悦印」の時にも触れましたけど、本阿弥光悦は日蓮の「立正安国論」を、楷行草の書体を自由に織り交ぜて書写しています。この〝遊び心〟のルーツは、小野道風にあるかもしれないんです。そもそも、道風も楷行草を織り交ぜた書を残している。そして、光悦は道風筆の「紫紙金字法華経」を本法寺(京都)に収めたり、本阿弥切として知られている伝道風の「古今和歌集」巻子本の断簡を所持していたりと、小野道風から大きな影響を受けているはずだからです。
大森 光悦と道風が〝遊び心〟でつながると面白いですね。
今回もとても勉強になりました。1点だけ僕から申し上げるとすると、今回の話はちょっと遊び心が足りなかったかもですね……(笑)。
高橋 真面目に話し過ぎましたかね。次回以降は偉大な先人たちを見習います。
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雑談後の雑談
高橋 背景の壁に飾ってあるのは、五島美術館(東京・世田谷区)が所蔵している「継色紙 伝 小野道風筆」の模写ですよね?
大森 さすが高橋さん。おっしゃる通り、模写しました。
高橋 内容は『古今和歌集』に収録されている紀貫之の和歌ですね。「めづらしきこゑならなくにほととぎすここらのとしのあかずもあるかな」――。
大森 軸装にしてもよかったのですが、ありきたりな気がしたので額装にしました。本物は題名のとおり左右の色紙が継がれて(つながって)いるんですけど、額装ではなんとなく間隔を開けたほうがよい気がして、こんなふうにしてみました。題して「不継色紙」です。
高橋 「継色紙」の原型は粘葉装の冊子本だったとされていて、上の句と下の句が異なる頁に綴られていたんですよね。だから、継がない飾り方は、それはそれでありだと思いますよ。しかし大森さん、ちゃんと左右で料紙の色を変えているところが、芸が細かい。
大森 よくぞ気づいてくれました!
高橋 相変わらず美術に弄ばれていますね。
大森 高橋さんにそう言ってもらえると、なんだかホッとします(笑)。
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写真:水島洋子
構成:BUNBOU WEB 編集部