阿部真央 New Album 「NOW」
デビュー15周年を迎えた阿部真央の新譜が届いた。
「こんなに自分の中で鳴る音を思いきり形にできたのは初めて」だと語る、"今"の阿部真央が生む音を私なりに書き起こせたら。
そして同じ、と言うのはおこがましいが言葉を紡ぐ者として、特筆すべきはやはり彼女の歌詞。
普遍的な親しみやすい言葉で紡がれているのに、"阿部真央が書いた"と納得できる、説得力のある唯一無二感。
羨ましくて、唸って、思わず天を仰ぐこともあった。
もちろん最大のリスペクトを込めて。
そんな説得力にひれ伏すような思いで聴いた「Hands and Dance」から「NOW」は始まる。
"上がり下がり繰り返す心を咎めるよりも まず抱きしめるの"
曲の本質は冒頭1行で簡潔にまとまっている。
完璧なプロローグ。
踏みしめる足音のようなドラムのビートが胸を打つ。
気持ちの浮き沈みは、ある方がむしろ自然だと説く中で、
"上がって下がって紡ぐ つまりそれが生きること"と印象的な低音で歌う。
遠く離れた的に狙いを定め、しっかり照準を合わせ、項垂れる人々の心のど真ん中を射抜くように。
生きる意味や存在価値を探し求める曲を多く発表してきた阿部真央が、15年で出した答えが"それ"だなんてあまりにもシンガーソングライターを貫徹している。
光と影のコントラストを作品に昇華した彼女の教えはこれから多くのダウナーを救うことになるだろう。
そして、歌唱から始まるこの曲の出だしの「あ」の声にぜひ注目して聴いて欲しい。
歌声は耳で聴くものだけど、あえてこう言いたい。"視線"を一気に集める「あ」であることを。
2曲めはアルバムのリード曲「Somebody Else Now」。
"You're somebody else,now"(君は今じゃ違う誰かみたいだ)と繰り返し歌い、出会った頃とはまるで違う人に見えるほど、相手との心の距離が離れたことを嘆いている。
この曲を象徴する"呆れた数だけ離れただけ"という歌詞は恋愛以外のシーンでも当てはまるが、どちらにせよ、"縁の切れ目を悟った30代女性"が書いたことがリスナーの胸に大きな風穴を開けるんじゃないかと思った。
そこに吹き抜ける風の気持ち良いこと。
サウンド面でも、清涼感溢れるアレンジが際立つ。
もう一緒にいるべきステージではないと気付いた時のあの感覚は何も悲しいことだけではなく、どこか清々しさすらあることは、踏み込んだ人間関係を築いたことのある人は誰しも身に覚えがあるのではないか。
この達観した視点は15年のキャリアならではだと思った。まさに"今"の阿部真央が書く別れの曲だ。
初めてこの曲を聴いたとき、私はこんな事を書き記している。
-あべまの悲しさには居場所がある。しっかり引き締まった悲しさ。勇ましく向き合うからこそ、どれだけ辛くともこれが生きる糧になると"もうわかっている"悲しさ。あべまの内に宿るそれは、私たちに数々の未来をくれた。-
あべまが描く悲しさこそ彼女の真骨頂だと思う。
曲中で、"Am I somebody else?"(私が別人?)と度々問いかけるが、その答えを是非、その目で確かめてほしい。
「Hands and Dance」の冒頭が完璧なプロローグなら、これは完璧なエピローグだ。
続いて3曲目は「Keep Your Fire Burning」。
アニメのエンディングテーマで書き下ろした曲ではあるが、優しく寄り添う言葉の数々はファンにとっては"あべまらしい"と感じる曲だろう。
ただこれまでと違うのは、あべまのタイアップ曲はポップでアッパーな応援歌が多かった。一聴きするだけで胸が踊るようなキラーチューンに、ガツンと背中を押してくれるようなパワフルな歌声。
しかしこれは"心に灯した日をどうか絶やさないで"と温かい音色の中で聴き手を包むように歌う。
まさにろうそくの火を障害から守るように。手のひらで覆われた火がゆらゆら揺れる様が目に浮かぶサウンドと歌声。
カントリー調の素朴さを感じる柔らかい音。
これからのあべまの代名詞になり得る「応援歌」の形だと思った。
泣き疲れた背中をそっと撫で下ろしてくれるような優しさがじんわり体を熱くする。
そしてこの優しい空気は、更に愛を増して膨らんでいく。
4曲めは「Everyday」と題した至高のラブソングだ。
阿部真央と言えば、ラブソングのイメージも強いだろう。至極のバラードを圧倒的な歌唱力で歌い上げるイメージを抱いている人にこそ、この「Everyday」を聴いてほしい。あべまの声色って200色あんねん。(?)
このまま健やかな眠りにつけそうなほど、静かに繊細に丁寧に、"Everyday あなたのことばかり"と歌い出す。
一節で心を掴むには十分すぎるほど美しいメロディに心から見惚れた。
愛おしい対象の幸せを願う様は、他の言葉では言い難い、まさに「愛」の曲だ。
今回初めてあべまの楽曲のアレンジを手がけたRayonsさんとの化学反応が素晴らしい。あべまのありあまる愛の形を汲み取った豊潤な音に仕上がっている。
あべまの数ある愛の詞の中でも、優しく見守るような言葉が際立つ「Everyday」。特筆したい箇所を抜粋しようにも、全編切り取りたくなるから選べない。
その中でも特に印象的だった詞を挙げるなら、
"人を守るように おどけられる人"という表現。
この詞が書けるあべまこそ、こういう人だと私には見える。ファンを守るためにおどけてくれた数々のシーンを思い浮かべて涙した。ここに気付けるあべまの優しさや愛情が如実に、純度高く透き通ったまま反映されている。まるで、陽だまりのような曲だ。
そして、5曲目は「Maybe」。
時計の秒針の音から始まり、秒針の音で終わる全英詞の曲だ。「眠れない夜を切り取った」と語るこの曲の象徴となるのは、なんといってもしきりに繰り返す"Maybe."。自分に言い聞かせるような"Maybe."
。
"I'm doing well maybe."(多分私はよくやってる)
"Maybe."(多分ね)
"全てうまくいってるのになぜこんな不安なんだろう?"という胸の内がつらつらと綴られている。
しかし不思議とそこに苦しさはなく、この表現が正しいかはわからないが、一番に感じたのは"ホームビデオを見ているような感覚"だった。ただ日常のワンシーンを切り取ったような、そんな手応え。
この単調さは英詞ならではの在り方だと思った。日本語で聴くともっと重くダークサイドに訴えかけるような曲になっていたかもしれない。でもこの「Maybe」は全く疲れないのだ。むしろ4曲目の「Everyday」からの流れも相まって安眠効果すらある。ぽろんぽろんと優しく鳴るギターから少しずつ広がる控えめなバンドサウンド、呟くようにこぼれる歌声、後ろの方で小さく聴こえる鈴の音まで全てが心地良い。
そして、続いても全英詞の「Go Away From You」。
西海岸の乾いた大地や壮大な風景を彷彿とさせるダイナミックなサウンドの上に、辛い恋から離れる覚悟を載せる。
この曲も英詞だからこそ映える表現が随所に光る。
胸が沸き立つようなかっこいいイントロから、スケールの大きい物語を想像したが、
"My Stories,timeline,and feeling are empty"
(私のインスタのストーリーズもタイムラインも気持ちも空っぽ)
と、とても内向的な詞から始まる。忙しい相手にほったらかしにされた憤りや虚しさをリズム良く並べているのだ。
いわば"あるある"のすれ違いを英詞で表すことで、私みたいな英語が全くわからない者にとっては、とても新鮮に聴こえる。そしてあべまの凄みすらある歌唱力と英語のマッチングは説得力を生む。阿部真央を知らない人が聴いても、単純に、この曲かっこいい、となるだろう。
そして、聴き進めていくと、"スケールの大きい物語"と先に述べたイメージはあながち間違っていないことに気付く。
内向的な彼女が、"ここは私の居場所じゃない"とどんどん前を向き、自分の意思で新しい道を選ぶことを決め、悲しさもある中それを振り切り、断ち切り、この恋から去る。"Go Away From You"と題した通りに。
そのドラマチックな展開が一曲の中に見事に反映されたことを感じ取った時に、このサウンドの壮大さに息を呑んだ。
その流れで、続く7曲目に「進むために」が置かれていることがたまらない。この曲も、自分の意思で未来を決めることがテーマになっている曲だろう。
疾走感溢れるアレンジに、ハイトーンボイスも際立つ痛快なサウンド。
"求めてた美しい「終わり」へ やっと行ける
すべて 進むために"
先行配信されてから、この部分にもう何度も何度も泣かされた。でもこの涙すら気持ち良いと思わせてくれる爽快感。「Somebody else now」や「Go Away From You」と同じく、終わりを迎えることや自分の意思で決めることは怖いけど、でも清々しさがどこかに必ずあるはず。その部分を切り取って表現してくれたことに私はとても救われた。
"どんな未来でも見つめる覚悟は
待ってる時間で決めてたから
今なら自分を大事にしながら
君と向かい合える だから だから"
この姿勢で恋愛する大切さをもっと早く知っていたら、、とつい思ってしまうけど、これもまた色んな経験を積んだからこそ掴める感覚だろう。
この恋の形も"今"のあべまが紡ぐから、多くの共感を生むはず。
そして、8曲目は独立後初めて発表された「I've Got the Power」。
新しい阿部真央の音楽活動を極めてわかりやすく表現した曲になっている。
"旅"、"船出"、"出発"
そんな言葉が浮かぶように、とにかくここから飛び立つ勢いを鮮明に感じ取れる。
ビートが際立つサウンドにソウルフルな歌声。
もう未来しか見ていない歌詞。
この曲を歌い上げる彼女の背後には突風が吹いてるように見えた。
"あなたが描くなにもかも越えて
この声はどこまでも突き抜けて
時を重ねた先でまた歌おう"
独立直後の曲ということもあって、ファンとして一番心が震えた歌詞はここだった。あべまが見ているビジョンは、我々が想像出来ないほど突き抜けた先にあるなんて。
どこまでかっこいい人なんだ。
努めてそう在ろうとしていたのか、自然とそういうモードになれたのかはわからないが、"力を得て前に進む"と歌う中でこの詞を書けるのは覚悟の表れだと思う。
あべまの実直さがそのまま映し出されたような曲になっている。
そして、この力強い空気は一変し、
同じ人が歌っているとは思えない「またどこかで会えたら」に続く。
お洒落なカフェで流れてても違和感ないメロディアスな曲が並ぶ中で、一曲だけ異彩を放つのがこの9曲め。
弾き語りで赤裸々に歌う手法はいかにも彼女らしいが、この「NOW」の中ではかなりフックになっている。
何も着飾ることなく、"お別れ"を嘆く。
シンプルに淡々と。余計なものを削いで、削いで、核心だけが残った生々しさ。
とても大切な人との別れだったことは誰が聴いてもわかる。わかりすぎて、嗚咽するほどに涙した。
アルバムを何周しても必ず9曲目で泣いてしまう。
この曲を届けたい"明確な誰か"がいることがここまで伝わってくるのは、まるで手紙のような「君」宛ての歌詞と、冒頭でも書いた通りあべまの頭の中で鳴っている音をそのまま再現できた相乗効果だろうか。
一言で表すなら本当に、"そのまま"。
私たちが知るはずのないプライベートの"阿部真央のまま"が表現されている。
詩を書くものとして感銘を受けた一節が、
"本当に楽しかった"
この直球すぎる言葉を使う勇気は私にはない。
しかし、最後の方に"本当に楽しかった"と置くことで、「君」との関係性や思い出がぶわっと広がる。
受け取り手が知るはずのない情報までもこの一言で表せることに衝撃を受け、この曲が持つ痛みや悲しみはここからくるとすら思った。
"本当に楽しかった"と振り返られる相手なのに、
"お別れは上手にできなかった"
"ごめんね 泣かせてしまって"
"そんな顔は見たくなかった"と悔やむ経験を自分と重ねて涙した人も多いだろう。
これはあべまの実体験の曲だけど、色んな角度から重ねられ、共感を生み、感動を呼ぶ曲になる。必ずなる。
きっとだいたいの人が"上手にできたお別れ"などないと思うから。
あの日の後悔をあべまが代わりに歌ってくれている。
琴線に触れて流した涙はこの上ないデトックスになるだろう。
そしてアルバムを締めくくる10曲目には、「Somebody Else Now」のアコースティックバージョンが収録されている。
アコースティックバージョンでも変わらぬ爽快感はあるが、音数が減ったシンプルさもこの曲にぴったりだった。
重たい荷物をひとつひとつ降ろすような、削ぎ落とされた軽やかさが曲の本質とマッチしてとても心地よい。
オリジナルバージョンに吹き抜けた風は、髪をぶわっと持ち上げるような勢いに対し、アコースティックバージョンに感じる風は、ちりんちりんと風鈴を優しく揺らすようなそよ風。
最後の最後まで清涼感と安心感を抱くアルバムだった。
"今"の阿部真央には、力を抜いて身を委ねられる。
その深まった愛情や悟った生き方はこうも心地良い曲を生み出すのか。
15年も追いかけているのに、まだまだ知らない表現を生み続ける彼女の感性を心から尊敬した。
そういえばアルバムが出る度に思ってたっけ。
いつも"今"の阿部真央が1番好きだなって。