感じることを思い出したら人生が豊かになってきたはなし
ちょっと久しぶりのnote。
しばらく書いていなかったのは、自分の中でガラガラと音を出して何かが崩れ落ちたかと思えば、今度はその瓦礫が音もなく規則的に美しく積み上がって別の形に収まっていくような、なんとも不思議な体験をしていたから。
つい先日まで、頭の中が洗濯機の中で絡まった洗濯物状態だ、、、
って、言っていた私が前述の不思議体験をしてから
どうしたことか、頭の中がスカスカになっている(いい意味で)。
余白とか、間、と表現したくなるようなスペースが頭の中にできて妙にスッキリしている。
この余白、間、ができたことで私の生活に変化が起きていて、今、まさに不思議体験を絶賛体験中なのです。
どんなことかといえば、たくさんありすぎて全てはここに書けないけれど、その中で私が興味深いな、、と思ったものを挙げてみようと思う。
それは、五感が敏感になったこと。
音や匂いに敏感になるのはもちろん、肌の感覚触覚も敏感になって今まで普通に使っていたシャワーの水圧が痛く感じたり、お湯の温度も今までと同じだと熱いと感じるようになった。
と同時に、自分に注がれたであろう愛情が蘇ってくる。
今私が触っているこの体は赤ちゃんの頃に両親や姉、祖父母に大切に大切に愛でられていたに違いない。
沐浴で、私が気持ち良くリラックスできる温度はどれくらいだろう?
タオルはナイロンより綿がいいよね、、、って、その肌触りの良いタオルに温かい湯を含ませて、そっと体をさすってくれただろう、、、
気持ちよさそうな自分の姿がイメージできる。
そんな過去へのイメージが膨らんで、大切に大切に扱ってくれた体を私自身がひどく雑に扱ってしまっていたな。と反省した。
きっと、いつも頭の中がいっぱいで、常に何かを考えながらシャワーを浴びていたから身体の感覚に意識が向いていなかったんだと気付かされた(シャワーに限らずわたしの日常の全ての行為が考えながら◯◯だったんだと思う)。
そこからは、シャワーの温度や、水圧、ボディタオルの素材や体を洗う時の力加減まで、私が心地が良いと感じているかどうか?をちゃんと感じるようにしている。
よく、マインドフルネスとか、今に集中することが人生を豊かにすると言われているけど、きっとこういうことなんじゃないか?と思った。
今に集中することって、なんだか難しそうなイメージがあったけど、そんなことはなくて
今、どう感じてる?
不快なポイントはない?
どうしたら快適になれそうかな?
って、自分の心地よいポイントを頭で考えるんじゃなくて体感を基準として汲み取ってみる。その行為がマインドフルネスだし、今に集中するってことなんだろうなぁ、、と。
そしてそれは自分自身への愛情表現とも言えるんじゃいかな。
頭は考えることはできるけど感じることは体でしか出来ないんだよね。その両方の特性を誉めて伸ばしてあげたいな、、、と思うし、なにより、感じることを思い出したことで私の生きる世界がひとつ別の世界へチャンネルが変わったような感じがしています。
どちらかというと、子供の頃の純粋な世界に戻ってきたような感覚。
最近の私は、とても心が落ち着いて穏やか。
それでもまだ、子供の頃の世界に完全には戻りきれてないから、そこは伸び代だと思っていて。これからもっと余白ができて心地の良い人生を取り戻していけるんじゃないかな、、と、少しわくわくしている。