本質的でない、という本質
「上司の指示が全く本質的じゃない。とてもじゃないが付き合ってられない。」
先日、友人が語気強く私に愚痴っていた。
確かに、語られる内容は傍目にも本質的とは思えなかった。友人の指摘は的を射ていた。
「本質なんて考えたら負けなんだよ。」
私は、何も分かっていないくせに、働いたら負け、みたいなノリでそう応えた。
「きっと、そういうことなんだよね。」
友人は自分に言い聞かせるように、同調してくれた。
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今朝、歯を磨きながら、そんなやり取りをふと思い出してぼんやりと考えていた。そしてあることに気付いた。
「きっと、視点が違ったんだな」
友人の上司の指示は確かに本質を突いていなかった。的はずれに思えた。
しかし、その上司には、平社員には図り知り得ないマル秘情報に裏付けられた本質を突くロジックがあったのではないか。
……本当は、予算消化のためとか、「下らない」理由だったのだろうが。
穿った見方ではあるものの、自然と府に落ちた。
部下にとって、予算を消化することは眼中にない。
しかしそんな「下らない」制約が、上司にとっては、当人の業績評価を構成する本質的なパラメーター(のひとつ)になりえるのではないか。
「立場が変われば、見方が変わる」
意味不明な指示を受けたときは、相手が自分と違う次元に存在しているからだと思うことにしよう。考え方を構成するパラメーター(次元)が異なるのだと。
次元が違うのだから、見ている世界も当然異なる。次元が違うのだから、交わらなくて当然なのだと。