誰しも経験があるのではないだろうか。 明日は生物の期末テスト。しかし、カルビン・ベンソン回路が頭に全く入ってこない。ストロマ? ルビスコ? 集中がふつりと途切れる。一瞬の解放感に任せるままに、腕を持ち上げぐーと伸びをする。仰け反らせた視線の先に、昨日食べたナビスコの空箱が目に留まる。 片付けたい。普段なら気にならないはずの何でもないお菓子の空箱が無性に気に障る。 頭では分かっている。そんなもの放っておけば良いと。明日になれば、いつもと変わらないただの空箱に戻ることを。
私はこんにゃくゼリーが好きである。あの寒天ともゼラチンとも違う特有の感触。ふにふに柔らかいのに内に秘めた反発力でこれでもかと歯を押し返してくるあの食感が好きだ。 そして、何よりである。 どれだけ食べようとも、罪悪感に襲われることがない。(ほぼ)ゼロカロリーだから。ここでもしあなたが、寒天だって太らないだろ、と即座につっこみをいれていたならば、ここで引き返すことをお薦めする。とても常識人なあなたには、きっとこの先の駄文ワールドに胃もたれしてしまうだろう。 それはさておき。
「井の中の蛙大海を知らず」 井の中に留まってお山の大将やっちゃダメだよって、どちらかというとネガティブなイメージの故事成語なんじゃないかと思う。 でも、現代においては、むしろ逆に考えるべきなんじゃないかってお話。 耳タコな話だけど、現代はインターネットが発達して、はるか遠くのコミュニティの状況がすぐに把握できる。スマホが普及して、SNSが広がって、その傾向はものすごく加速したと思う。 こんな現代において、井の中にとどまっている人はいるのだろうか?むしろ、否が応にも勝手
「上司の指示が全く本質的じゃない。とてもじゃないが付き合ってられない。」 先日、友人が語気強く私に愚痴っていた。 確かに、語られる内容は傍目にも本質的とは思えなかった。友人の指摘は的を射ていた。 「本質なんて考えたら負けなんだよ。」 私は、何も分かっていないくせに、働いたら負け、みたいなノリでそう応えた。 「きっと、そういうことなんだよね。」 友人は自分に言い聞かせるように、同調してくれた。 **************************************
と舞い上がり、一晩経って次の日には、何に興奮していたのかさっぱり分からない。 そんな、ちょっとした思い付きを書き留めて行けたらいいな。 読むのに1分使って、ささやかな充足感が8秒帰ってくる。その辺を目指してます。