牡牛の頭
明治維新以降約160年の間に、東京に蓄積された政治、経済、メディア等のあらゆる既得権益と、そこに住む人々の心の奥底で無意識のうちに醸成されてきた慢心を振り払うためには一体どうすればよいのだろうか。それを解く鍵は日本の歴史に隠されている。
日本の歴史をひもとけば、飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代といった具合に、すべて首都機能の所在地で時代名が呼ばれていることに気がつく。この事実は、日本では首都が移転すれば、時代が一新される一方、首都が移転しなければ時代も一新されなかったことを如実に示している。
ある人はこう言うだろう。首都を移転しなければ、改革が進まないという発想は本末転倒ではないかと。しかしながら、日本の制度改革の成否はある意味では人々の意識改革を実現できるか否かにかかっているのであって、現実に制度改革が遅々として進まず、人々の意識改革が一向に進まない中で、改革の起爆剤となるのが首都移転なのである。
「首都の精神」とは何か?英語で首都を表す「capital」には「牡牛の頭」という意味がある。牡牛は高みで安らぎ、世界を軽やかに走り回る、陽気な戯れの神ディオニュソスの象徴的な動物である。ディオニュソスは「牡牛の徳」を備えている。それは、自由かつ存在を肯定し、贈り与える精神、すなわち「贈り与える徳」にほかならない。一国の首都たる地には本来、困難な状況の時にこそ、このような贈り与える徳が備わっていなければならない。
荒涼たる砂漠の動物である駱駝はつねに重苦しい反動的な価値しか構築することが出来ない。たとえ、駱駝が牡牛の持つ異質さや負の側面を取り出し、軽蔑してみせても、それは怨恨に基づく反感でしかない。駱駝は牡牛には決してなれない。