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書店パトロール45 美しい アナベル・リイ

コミックの新刊で『DOGA』の2巻を購入。


私は結構、漫画本にお金を使っている。

最近は、映画館に一月も行っていない。観たい映画がないわけではないが、やはり、プライオリティとして、映画館での鑑賞は低い位置にある。Netflix、Amazonプライム、Disney+と入っているため、まぁ、これらのコンテンツだけでも十分だが、然し、本当に観たい作品は少ない。

そもそも、映画、を、映画館で観る場合、単純に移動に往復1時間、映画館で3時間弱、と最短でも4時間ほど拘束される。4時間。恐ろしく重要な時間だ。
一日の六分の一を捧げるのはなかなか勇気のいることだ。既に、睡眠で6時間前後捧げているわけだし。
そもそも、人生とは、80年生きても、70万時間しかないのである。
700000時間。
70万時間が長いと感じるか、短いと感じるか人それぞれだが、私は残り40万時間をとうに切っている。いや、もしかして、もう数時間かもしれないのだ。よく、後悔するな、反省しろ、みたいなセリフがあるが、まぁ、私は後悔しかない。後悔がない人間などいないのではないか?

さて、そんなことはどうでもよい。いくら時間が有限とは言え、人生は楽しんだ者勝ちだ。まぁ、私はこの、人生楽しんだ者勝ち、という、既に勝敗論が持ち込まれたマウンティング発言でナチュナルな見下しをしてくる連中は脳内で駆逐している。

さて、私は本の雑誌を手に取り、パラパラと捲った。研究者本の特集、である。

研究者、かぁ。私も研究に精を出したいが、飽きっぽいので向いていない。私は、人の研究を読むだけで十分なのである。
私は、様々な文学や文学者の研究ー、つまりは評伝を読んできたが、最近、室生犀星が気になっている。いや、先日、鉄道博物館に行った際、そこにあったチラシに、室生犀星に関しての色々が事細かに書かれていたのだ。

私は、室生犀星に明るくない。そのチラシを読み、犀星のさい犀川さいがわの犀であり、その西に住んでいたから、西せいせいとして、犀星なのだと、初めて識ったのである。室生犀星、恐るべし。何がやねん。

ああ、そういえば、昔、二階堂ふみと大杉漣で、『蜜のあわれ』という犀星映画が公開されていたが、今、アマプラで見たら、フリーだった。

こうやって、観たい映画をお家で見れば、まぁ、2時間は浮くので、そうやって、その2時間を皿洗いや風呂掃除に回す。見事なタイパである。やはり、もう、映画館の時代は終わった。だって、この前観た『カラオケ行こ』とか、まぁ、公開終了から2ヶ月くらいで観れるんだから、そりゃあもう映画館に行く意味というのを問い直してしまうところ。まぁ、映画館の環境は素晴らしい。これは間違いないが。

さて、室生犀星といえば、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」で、有名だが、まぁ、私もそれくらいしか識らないのだ。美しい文章を書こう、という使命を持った時、何人かの巨星が眼前の大空に映し出されるのは、文章書きならば心当たりがあるだろう。

谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、辺りがまずは登場するが、詩句では室生犀星や西脇順三郎とかが登場する。
まぁ、文学の表通りの連中である。私は裏通りが好きなので、表通りの凱旋パレードには憧れるが、本当のひじりは裏通りにいる物乞いにこそ隠れていると思われる。

そんなことを思いながら、何か面白い本はないかしら、と思いながら目についた対談本に手を伸ばす。

値段を見て暫し思案するが、結局棚に戻す。なかなか読み応えがある本だ。私は、大江健三郎の良い読者ではないが、『個人的な体験』と『新しい人よ眼ざめよ』は好きだ。

まぁ、大江健三郎の文体は水分を含みすぎて重たすぎる。胃もたれする。軽やかに読めないし、乾いていない。読むのに体力を使う。
あれはボディーブローのようで、気がつくと足が止まっているのだ。

こういう本も見つけた。大江健三郎の本は亡くなる前よりも今の方が注目されている感じがする。無論、研究者はたくさんいるわけだが、より出版へのハードルも下がっているのだろう。


そういえば、今、ギャラリー・ロイユにて、山本じんの展覧会が開催されているのだという。山本じんは、大江健三郎の『らふたしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』表紙装画を担当したこともある。これは文庫化で、『美しいアナベル・リイ』に改題された。

山本じん氏の作品で、氏の御父様の書いたしょに重ねて描いた作品など、なんもと言えない神話的退廃的なムードの作品があったりで、この大江健三郎の本にもぴったりである。

さて、『美しきアナベル・リイ』というのは、エドガー・アラン・ポーの詩であり、日夏耿之介の訳文から小説は構想を得ている。

日夏耿之介はこれは表通りの人ではあるが、美文も美文、そして退廃の香りを匂わせるおっさんである。


日夏耿之介の耿之介という名前がカッコいいのである。これは、丸尾末広の『笑う吸血鬼』の主人公と同名だが、元ネタだろう。

日夏耿之介、と、いえば、サロメ、なのだろうが、まぁ、こうして、どんどんどんどん、話が退廃に向かっていくのは、どうしても私の好きな分野がそうだからであって、健全な小説は嫌いである。小説、つまりは藝術は有害であることが重要なので。

山本じん氏の作品で、不気味だが可愛らしい人形が発売されていた。欲しいが、映画館で新作が350本以上鑑賞できる金額なので、無論購入などできない。


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