聚楽②
時折城内の座敷の奥から襖越しに流れてくる琵琶の音色に耳を傾けていると、どこか幽玄な世界へと誘われるかのような心持ちを覚えるものでした。あの頑是無い幼子の指先から繰り広げられる音色に斯様な不可思議な力があることに、感嘆の念を覚える程でありました。私が山形城に入ったのは八月の頃でしたから、その折りは山々には眼に眩しいほどの緑に覆われておりましたけれども、冬を迎える頃には例年のごとく大雪が降り積もり、城内は静寂に包まれる日が多くなりました。そのような折りにもおひいさまは毎日琵琶の稽古に明け暮れておりまして、雪の音がその音色を幾分か吸い込んでおるのでしょうか、静けさの中に時折琵琶の音が混じり、まるで城内と町が分断されたかのような、おひいさまが住まわれる空間のみが世俗から切り離されたような感覚を抱いたものでした。時折、奥座敷の襖越しに、琵琶を弾じるおひいさまの影が浮かび上がり、私の瞳には影絵のように映じました。先程も申し上げましたように、その頃はまだおひいさまも九つの少女でござりましたから、城中で行われる様々な催しものには特に興味を示されておられまして、私が宿直になってから半年ほど経った頃、雛祭りの時分になると、お女中たちと膝をつき合わせてひいな遊びに精を出す。おひいさまはご自分を象った天児を器用にお作りになられて、それをお姫様のおなり、お姫様のおなりと、嬉しそうに瞳をきらきらさせながら視詰めるのです。琵琶を弾じるそのお姿と、天児で楽しそうにひいな遊びをするお姿は、どうにもこの順慶にはおなじ人物とは思えず、それでいてその表情から浮かび上がるそのお顔は、やはり同じおひいさまのものでござりました。ころころとその日その日で変わるおひいさまの表情は、私を夢幻の世界に引き入れる程でござりました。先程も申し上げましたように、私は京都で長年過ごしておりましたから、山形が春を迎え桜の季節を迎えようとも、未だ雪に覆われている様に大層驚きはしましたが、城内の庭先に積もる儚い雪の白さが、おひいさまのその肌の白さと重なって、この風土の中でこそおひいさまが仄かに灯る花になるのだと、そういう思いを染み染みと感じておりました。ある時、一日の仕事を終えてすやすや眠っていると、途端に化物じみた声が天井から聞こえてくる、何だ何だくせ者かと慌てて飛び起きて、晩の宿直のものにくせ者が出たぞと大きな声を張り上げたのですが、何を言うとるんじゃ、あいつは雪が屋根から落ちる音だ、とそう呆れたような顔をして云われまして、暫くの間何を云っているのか理解出来ずに、呆けた顔で突っ立っておりました。その話を聞いたおひいさまはくすくすとお笑いなされて、京の都でも雪は降るんじゃろう、と私にたずねました。私は、いや、確かに京の都でも雪は降りまするけれども、雪国と云うものはものが違います。せいぜい一寸積もれば童や犬猫が大喜びでする程度のもので、それもまぁ頻繁にあると云うわけではなく、精々年に二度、三度、その程度でござります、京都で雪が降ると云えば、丹後のあたりです、あの辺りは毎年毎年積もりますから、旅の行者も冬の時期はとても通れますまい、しかし、そうは云っても、やはりこの地には比べようもござりません、人が埋まるほどの高さまで雪が積もるような事など、頭では考えられんことでござりますと、私は応えました。それからと云うもの、おひいさまは京の都の話を私に事細かに聞きたがるようになり、宿直と云う本分があるというにも関わらず、私は一度呼ばれれば、風のようになっておひいさまの元に馳せ参じるのです。おひいさまは年頃の女人に成長される最中でありましたから、都で流行る化粧なぞに関して大変興味を示しておられまして、勿論、男の私には斯様な事柄には門外漢でしたから、お女中方を呼びつけては、それは熱心に話を聞き、それをまた人伝のようにおひいさまに伝えるのでした。何も自分を介さなくても、直接お女中に聞けばすぐに済むものをとは思いながらも、何か特別な仕事を与えられたかのような誉れをひしひしと感じて、私はおひいさまに呼ばれればどこへいようともすぐに駆けつけ、またどのような質問が飛ぼうともそれをすぐに調べておひいさまに伝えるのです。こう聞くと態の良い使い走りに聞こえますけれども、私はその自分の立場と云うものを心から喜んでおりましたし、おひいさまも傍目から見ても順慶贔屓が過ぎるのではないかと思えるほどに私に甘えているように見えました。蓋し、おひいさまは義光公が眼の中に入れても痛くないほどに可愛がっておられましたが、その実、父君はあまり娘とは一緒に居られる時間がない。みな、おひいさまは私に対して、ある種父の幻影のようなものを感じているのではないかと、そういう風に視ておりました。私はこの時既に四十を少し超えた所でしたし、ふたりが一緒にいる風景と云うものは、端から視れば父と娘が頑是無い遊技に耽っている、そのようにも映ったことでしょう。
春夏秋冬、四季折々の戯れごとに耽る私とおひいさまでござりましたが、おひいさまは特に花見がお好きでござりまして、梅の花、桃の花、然しなんと云いましても桜の花が咲く季節になると、私を伴って、金に紅の紋様を施した縫箔の小袖を身につけて、花の下に唄を吟じました。お供の家臣やお女中方も、おひいさまが琵琶を弾じる頃合いになると、嬉しそうに手を叩きながら、囃し立てるように方々から声を掛け合いました。この折の花見には大崎夫人も参っておられまして、紫地に段花模様の小袖を纏っておりまして、こちらのおひいさまの華やかなる若々しいお美しさとは異なり、どこか匂い立つような、闇の奥から立ちのぼるかのような臈たけた空気を全身に纏っておりました。どこか輪郭が判然としないその大崎夫人の顔を視ている内に、ああ、おひいさまもあのようなご婦人へとご成長なさるのであろう、されば今のあの朗らかな空気は消えてしまい、絵巻物の中に浮かび上がるような女人へとなられるのであろうと、成長し、大きくその姿を変えるであろうことを思い、私は不可思議な感覚に包まれたのでした。琵琶の音色に重なるかのようなころころとした笑い声が私の耳に届き、彼は空想の世界から解き放たれて、その声をする方を視詰めました。大崎夫人の妖艶さとは異なる、まだ若葉の美しさの女人がそこにはおりまして、私は桜の花ではなく、その若葉の輝きに眼を顰めました。
その一年後の天正十九年の正月に義光公は京都に上洛なされまして、従四位下侍従に任命なされました。この折に、太閤殿下の奥羽仕置に対する一揆が陸奥国にて起こりまして、九戸政実がその指揮を揮ったと云われておりまするが、その討伐に義光公の御子息であらせられる家親殿が向かわれました。そしてその折に家親殿に同行したのが、先にも申し上げましたように、殺生関白である秀次公でござりました。秀次公は一揆を沈静させた後、家親殿と共に山形城に立ち寄られまして、長旅の疲れを癒しておりました。そうです、そのおりに私は秀次公を視たのです。そちらに貼られております紙に描かれた秀次公のお顔、どうもあまり似ていないようでござります。それと云いますのも、秀次公のお顔はあれほど鋭い眉目ではござりません。どちらかと申しますと、双眸が垂れた、穏やかな顔つきにござりまして、頬の肉付きもあれほどのものではなかった。思うに、殺生関白なる謂われのない字名こそが、斯様な顔つきとして絵師に筆を進ませたのではないかと推察されるのでござりまする。おひいさまが秀次公と初めてお会いしたのは、この折でございました。書院へと向かう廊下を私と共に歩いていたおひいさまが、対面から歩いてくる秀次公と擦れ違ったのでござります。秀次公はおひいさまに一礼をなされまして、そのまま振り返ることもなく、そのまま廊下の奥まで進んでいかれました。おひいさまは足をお止めになりまして、振り返り廊下の奥の闇の奥へと吸い込まれていった秀次公の幻影を視詰めつづけておりました。思えばこの折に、既におひいさまの心には秀次公が座しておられたのかもしれません。私はこの時狂おしいほどの嫉妬に駆られ、それがある種娘を思う親心からくるものなのだと、その刹那で感じておりました。一年以上、まるで親子のように一緒に過ごすことに慣れてしまい、身分というものを忘れて主君に対して親心を感じるとは武士としてなんと情けなく浅ましいものかと、恥で顔を赤らめました。あのお方が秀次様なのかえと、おひいさまが私を見詰めると、たちまち私は顔を背けて、そうでござります、関白秀次公でござります、とそう喉をしゃがらせながら云うのでありました。そのさまに、おひいさまはくすくすと笑い声を立てられて、どうかしたのかえ、何故そのように赤いのじゃ、と悪巫山戯にも似た声をかける。順慶は、いや、某は恥ずかしながら、初めて関白様とお会いしましたので、その感激に心が打ち震えているのでござります、顔が赤いのは、気分が高揚している、そのせいでござりましょうと、そう応えると、おひいさまは私の慌てる様にまだくすくすと微笑みを浮かべながらも、どこかおひいさま自身の頬も桜色に染まっており、やはり、秀次公にお会いして当てられたのはおひいさまの方なのだと、私は、諦観にも似た思いを抱いたのでした。
その翌日の事ですが、おひいさまは家親殿に呼ばれ、秀次公と二度目の対面を果たしております。この折にどのような会話が交わされたのかは知る由もござりませんが、おひいさまの美しさに見惚れた秀次公が、上洛の申し出を出した事だけは確かです。私が庭よりその光景を視ておりますと、襖が静かに開いておひいさまと秀次公が顔を出されました。私は咄嗟に跪き、頭を垂れまして、秀次公がゆっくりと廊下を進んでいくその着物の擦れる音だけが耳に響き、微かに室内に焚きしめられた香の匂いだけを胸に吸い込みました。その匂いはおひいさまから仄かに香る匂いとはまた違う、京の都を思い起こさせるものでしたが、ああ、あの匂いを間近に嗅いだのなら、おひいさまも上洛されることを自らお望みになられるだろうと、そう実感を抱いておりました。
おひいさまの上洛に対して義光公は大変に渋りまして、幾度となく秀次公へと取り次いで自らの手元に置くことに躍起になられておりました。関白の側室とは云え、まだ十一になる蕾を毟り取られることは、義光公とて我慢ならないことだったのでござりましょう。しかし、秀次公も余程におひいさまがお気に召しましたのか、聚楽第にお戻りになられてからも再三義光公に取り次いで様々な条件を提示しながら、首を縦に振らせようと試みるのです。豊臣の勢力と権力は強大なものでござりましたし、義光公にも自分の立場と云うものがおありでしたから、苦渋の決断だったのでござりましょうけれども、結句、おひいさまの上洛を認められたのです。しかし、義光公はそれでもまだ幼子であり、頑是無い部分を残す、武家の屋敷に産まれたとは云えまだまだ不作法の甘えん坊である、出来ることならば、まだ暫くの間、十五を迎える頃までに待ってはいただけまいかと、最後の嘆願を出したのでござります。それに対しまして秀次公は父の心中を察してかその要求を呑みまして、おひいさまはそれより四年の間、山形城で過ごすことになったのです。 一連の話を聞き及んでおりました順慶は束の間とはいえ、まだおひいさまのお側にいられることに大変安堵しておりました。おひいさまと云えば、この話の結末に対してわかりましたと、そう一言だけ申しておりましたが、あの折の顔を思い出すと、やはりおひいさま自身はあの頃既に秀次公の事を好いておられたのかもしれません。縁談が決まりますると、花嫁修業として、日々の稽古事に打ち込む時間が増えまして、私との時間もだんだん減っていったのでござります。されど、私に対しては変わらぬ情愛を示してくれておりましたし、おひいさまの一番お側でいることを許されておりました。それもやはり、私のおひいさまに対する献身的な奉公が彼女の心に届いていたからに他ならなかったからでしょう。
おひいさまが十三を迎えた頃の事でござります、私に対して、ある遊びのようなものを申しつけられました。それと云いますのは、二年後に差し迫った上洛に向けて、おひいさまが聚楽第の絵を描いてたもれと、そう命じたのでございます。聚楽第は太閤がお造りになられた絢爛なる御殿でござりまして、そこに秀次公は住まわれていたのです。私は京都に長年住んでおりましたけれども、聚楽第の中にまではもちろん足を踏み入れたことなぞございませんでした。聚楽第は快楽と悦楽の極みの酒池肉林の宴がも催される魔城のように例える者共もおりましたが、その絢爛豪華なる見目麗しい姿を初めて眼にしたとき、私はその美しさに心を奪われたものでした。太閤殿下の権勢を体現したかのようなその威容は一目眼にしただけで、この心に刻み込まれまして、以来離れることはございませんでした。さすれば私にしてみれば、この聚楽第の絵を描くことなど造作もないことでござりましょうが、しかし、何故におひいさまがそのような事を口にされるのかと云うことが、順慶の心の中に疑問として浮かんだのです。順慶がそれを訪ねるとおひいさまは、世にも麗しい壮麗な宮殿だと話に聞いたものだからこの目で視てみたいのですよと、そう微笑まれました。そうつらつらと述べた言葉の中に、私は背筋がぞおっと逆立つようなものを感じました。それと云うのも、つい一年二年程前のおひいさまは、それこそ天真爛漫な花のようであったのに、私の問いに応えるおひいさまの顔には、どこか悪魔めいた、女人の性のようなものを感じたのです。すくすくと成長なさるおひいさまの内面に斯様な悪魔が芽生えて、大崎夫人を思わせるような妖艶さを伴い始めていることを改めて感じ入ると、私はたちまち震え上がるような恐怖を抱いてしまうのでした。 明くる日から順慶は和紙と筆を手に取ると、記憶の片隅に浮かび上がる聚楽第の姿を掬い取り、その姿をさらさらと紙上に再現することに没頭し始めました。然し、描いても描いても思い出の中で燦然と輝く聚楽第の姿には辿り着けそうもないのです。それと云うのも、私の頭の中にある聚楽第の神々しさは桃源郷のような美しさを伴っておりまして、その輝きにはなかなか辿り着けそうもない。次第次第に私の横には丸めた紙が山と積み重なっていく始末でした。その様を視たおひいさまはまたころころとした声で笑いながら、順慶ほど絵が達者でも描けないものがあるのですねと、お腹を軽くたたきながら云いました。それに対して私はは、某の頭の中にはあの御殿の立派な姿は間違いようもなくあるのですが、あの美しい姿を紙上に再現しようとすればするほど、霧を掴むかの如くにするりと消えていくのです、蜃気楼を捕まえるような心持ちですと応えると、蜃気楼とはなんですかと、おひいさまは訪ねました。私は、駒姫さまはお寒い国でお育ちなされましたから信じることも出来ないことでしょうが、あまりに暑さに浮き立つ陽炎が視せる幻視の光景を蜃気楼と呼ぶのです、京の街でも夏にでもなれば視られますよと、そう応えながらも、おひいさまの希求に添えるように、聚楽第の姿を描き上げようと躍起になって筆を走らせたのでした。