聚楽③
思えばあの時に応えた蜃気楼と云う言葉こそが、おひいさまが辿る事になる末路に相応しい言葉であったのやもしれません。それからの歳月、私は何度も何度も聚楽第を描き続け、いつしか、そうしておる内におひいさまは十五になり、うつくしい女人へと成長しておりました。蕾がようやく花開き、満開を迎えるまえの淡き美しさと申しましょうや、そのお姿は鳥羽国だけではなく、近隣の町々へも伝え語られる程であり、東国一の優美なお方だと、皆が口を揃えて云うのでした。それは誇大な言葉でもございませんでしたし、何よりも、関白秀次公が上洛を申しつける程だと云う話が、その神秘性により一層の拍車をかけたのでござりましょう。十五になったおひいさまは唄を詠じてはその小さな唇からこぼれる音色が紡ぐ言葉の連なりに人々の心を震わせ、琵琶を弾じては、その腕前の見事さで、あたりの草花すらもその音色に耳を傾けるのです。私は変わらずおひいさまの側に仕えておりましたが、春の花見の頃でござります、桜の花の下で唄をしずしずと詠じるそのお顔を視ておると、あの幼く頑是無い女の童(めのわらわ)の頃のお顔がそれへと重なり、それから次いでその後ろの控えている大崎夫人のお顔も重なりまして、三つのお顔がくるくると入れ替わり、その光景はまるで桜の花に酔うて視た、蜃気楼の様でもありました。そのうちに舞い散る桃色の花弁がはらりとおひいさまの頬に付きまして、私はそのお顔の白さと紅を潮した頬に改めて見惚れ、時折見せる優美な微笑に、恍惚の思いすら浮かべるのです。そのお顔を視ているだけで私には満ち足りた思いがあったのですが、然し、おひいさまが女の身体へとその肉叢を熟し始めた頃から、話す折に溢れる甘い吐息や、柔らかな白いお身体とが私を煩悶させ、その宝が秀次公へと貢がれること考える度に、分不相応な嫉妬の念を覚えてしまうことが日に日に増えておりました。毎夜眠りにつこうとその瞳を閉じるその度に、瞼の裏側に、あの桜の花の下で唄を詠じるおひいさまの優美なお顔が浮かび上がり、焼き付いて、その小さな唇が開くその度に、私は自身の汚い欲望に慄き、眼を覚ますのでした。蓋し、男と云うものはどのような立場になろうとも女人に対して斯様な思いを捨てきることなぞ出来ようもござりませんから、私もその例外ではなかった訳でありますけれども、それでも娘のように思い仕えて来た主君に対し、その無礼な振る舞いは武士である私には到底容認しえるものではなく、自らの愚に怒りに打ち震えておりました。私は寝床から起き上がり、そっと城内から抜け出ますと、近くにある古ぼけた庵へと駆け込んで、小太刀を取り出して自らの局部を切断しました。支那の国には宦刑と云いまして、局部を切り取る刑がござりました。私はその事を伝聞で聞き及んでおりまして、どうにも局部を切り落とすことで、女人にたいする欲望と云うものを抑える事が出来ると識っておりました。然し、その荒療治は激甚の痛みと出血とを伴いまして、彼はその場にへたり込み、一人痛苦に耐えておりました。自らの身体から流れ出る鮮血が川のように視え、朦朧とするその眼には、その川で遊ぶ裸体のおひいさまが視え、そのお姿は来迎佛のように美しく輝いており、悪魔のように妖艶な微笑みを浮かべておりました。その光景に私は思わず笑みを漏らしてそのまま倒れ込みました。翌朝起きると出血は止まっておりましたが、酷い頭痛と局部の鈍痛、高い発熱と悪寒があったものの、一命は取り留めておりました。痛む身体を無理やりお越し、一人で庵から城内に辿り着き、宿直の一人に助けを求めると、城内は大変な騒ぎになりました。私の傷は大変なものでしたから動かすわけにもいかず、城内にて傷を癒すことになりました、それというのも私の不在に大層驚いたおひいさまが、傷を負い帰ってきた私に城内の一間を宛てがいまして、此処で治療をすればよいとそう許可を出させたのでござります。横たわった私は発熱のせいで意識は朦朧としておりましたが、その手は温かく柔らかものに包まれておりました。大丈夫か、順慶と、そう呼ぶ声が耳朶に木霊し、瞼を開けると燭の灯りに照らされたおひいさまの仄かな微笑が微かに滲んで視えて、はじめておひいさまに出逢ったころ胸の中に灯った雪洞のような温かみがまた滋味のように身体の中に浸透し、幽かに漂う甘い乳の匂いを鼻腔に感じながら、私は頑是無い幼子に戻ったかのように安心して眠りについたのでござりました。快復した私は暴漢に襲われ負傷したと理由を述べ、暫くの間暇をもらいたいと主君に願い出て、大崎夫人がそれを許しました。おひいさまも怪我を大層心配しておりましたが、私は、何も問題はござりますまい、おひいさまももう三月もすれば上洛でしょう、ほんものの聚楽第をその御眼で視ることが出来ましょうぞと、そう告げると、御前の描いた聚楽第はとうとう視ずじまいでしたねと、ころころと笑い声をたてるのでした。怪我が治るまでの間、私は去勢を施した庵に籠もりまして、そこで暫く過ごした後、六月に入りおひいさまがようよう上洛と云うその折から、また聚楽第を描き始めまたのですが、不可思議な事に、憑物が落ちたとでも申しましょうか、筆がすらすらと進むようになり、頭の中にあった聚楽第が紙上に再現されたのです。それだけではなく、あの日視た秀次公のお姿や、おひいさまのお美しいお顔も、以前よりも比較にならない程に達者に描けるようになっておりました。これは不可思議なことだと感じながらも、思い当たるのならば、あの去勢後には確かに憑物が落ち、おひいさまに対してはある種、御仏を思うかのような崇拝の念のみが私の心の中に宿るようになりまして、それが心の平静をともなって、見事な筆を走らせるようへと変化したのでしょう。蓋し、藝術と云うものは肉欲から産まれ出ずるものであると同時に、達観や悟りから産まれ出ずるものでもあると云うことでござりましょうか。その夜、私は聚楽第の中の空想し、絢爛なる御殿の一間で化粧を施し秀次公を待つおひいさまのお姿を描き上げたのでござります。艶やかな油をまとったその黒髪と、お美しい桜色の唇に塗られた紅の鈍い輝きがまるで本当のおひいさまを描いたかのように当の本人にも思われて、思わずその絵を食い入るように視詰めつづけたのでした。その和紙をくるくると丸めると筒に入れ、枕元に置いて眠りについたのですが、毎夜毎夜おひいさまが夢の中に現れまして、輝く光の圏の中よりあの唄を詠じる流れるような声で私の名を呼び続けるのでした。夢の中に現れるおひいさまはその折々で幼少の頃の頑是無い姿や、あの別れ際に視せました、これから花を咲かすであろう美しい姿、そうして大崎夫人を思わせるような闇の中に佇む静かな姿と、变化を繰り返すかの如く、様々な姿をしておりました。私は、ただその御姿を視る度に、浄福な思いでした。ただ一心にそのおひいさまに祈りを捧げるのみでありましたが、聚楽第へと向かわれて十日ほど経った頃、和紙に描いたこの絵をおひいさまに見せてあげたいという思いがふつふつと胸の内より沸き立ちまして、京の最上屋敷へと足を運ぶ許可を大崎夫人に仰せ仕ったのでありますが、大崎夫人はこれを耳にして、それならばと御身も最上屋敷へと同行する旨を私に伝え、家臣を八名引き連れ、上洛をしたのでございます。