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127時間とおにぎり

私は映画を観ていて泣いたことはあまりない。然し、『127時間』に関しては、映画館で観て、完全に胸にジーンと来てしまった1本である。

2010年の映画で、日本では2011年に公開された。
監督はダニー・ボイル。ダニー・ボイルと言えば、2000年の作品『ザ・ビーチ』を今は無き四条河原町の京極東宝(だったと思う。東宝公楽だったかな?)で観た時、とても感動したのを覚えている。映画ってこんなに面白いんだなぁ……、と、初めて作家性を認識したのである。

名作『ザ・ビーチ』はやたら叩かれていた。

127時間は、実際にあった事件をベースにしていて、登山家のアーロン・リー・ラルストンがユタ州のブルー・ジョン・キャニオンという岩だらけの谷で滑落事故を起こし、右手が岩に挟まって身動き取れず、さぁどうする!という映画であり、絶望の90分である。
このアーロンを演じているのはジェームズ・フランコで、この時の彼のイケメンっぷりはやばかった。

いい笑顔である。

さて、このアーロンは冒頭から単独行をする人物として描かれて、自分一人で全てなんとかできる、というタイプの人間であることが描かれる。
運の悪いことに、その主義嗜好、個人主義なところが、この辺鄙な谷で一人身動き取れなくなってしまった人間を完全な孤立へと導く。

道中出会う女性二人にもチャラく対応。

なんとか脱出しようと様々なことを試みるうちに、彼の胸に去来するのは様々な人との思い出である。皮肉にも、誰とも会わない、しがらみのない谷に来て彼は自分の内面に入っていき、そうして、自分という人間と関わりのある人々との対話を始めていくことになる。

誰も助けてくれない。誰も救ってくれない。そうして憔悴していく中で、彼を助けてくれるのは自分自身、いや、正確には彼の中に確かに存在していた人々の声である。
その声に導かれて、彼は自らの右手を自らで切断するという、地獄のような体験を覚悟することになる。結句、彼は再び人々の元に帰ることになる。

人は一人では生きていけない、というのは、一人にならなければわからないことだ。
私は昔、ニューヨークに留学していたとき、まじで英語がわからず、而もジャマイカというデンジャーな地域に暫くアパートを借りていた為、非常に心細かった。
結構参っていた日々が続いていたある日、引っ越し作業を手伝ってくれたスパニッシュのお兄さんが、休み中に、「ここのハンバーガーは旨いよ」とハンバーガーとジュースを奢ってくれたことがある。
この、ハンバーガーを食べた時、私は、『千と千尋の神隠し』のハクにおにぎりをもらった時の千尋の気持ちというのを、本当に実感した。あの有り難さと優しさ、安心というのは、十数年経てども、ありありと思い出せる。

辛い時、寂しい時のおにぎり(優しさ)は安心感そのものである。

また、『バガボンド』の36巻において、武蔵が集落の人々が飢饉により死に行くのを目にして、以前までの彼であれば、見捨てて再び流浪の旅に出ようというところが、様々な経験を経て、誰の軍門にも下らない、天下無双は俺一人だと、助けてくれ、とは口が裂けても言えない、そんな武蔵がついに他人に頭を下げて、「助けてくれ。」と口にするあの場面。

武蔵は心優しい男である、本当は。

共通するのは、人は一人ではやっぱり生きていけないのである。
あの『ベルセルク』のガッツですらそうである。人は、人と一緒にいたい生き物であり、一人では本当にはとても弱い。
そして、本当には弱いはずの人の差し伸べる手が、一番強く、有り難いのである。

『127時間』は短い、登場人物も少ない映画であるが、自分、というものを映し出す鏡のような映画である。

私は、本当にたくさんの人に助けられて生きている。そして恐らくは、私も誰かを助けている時があるのだろう。

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