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魔都 神戸

俳人の西東三鬼の小説(エッセイ)に『神戸』『続神戸』がある。


私は神戸は一等好きな都市で、住んでいる京都は二番目に好きな都市である。東京は大きすぎてよくわからない。
あそこは都だが、様々な不揃いの都が連なって出来た怪物のようだ。

この『神戸』は戦前戦後の神戸三宮トアロードを舞台にしているが、今作ではトーアロードと書かれている。昔はトーアロードという発音だったのだろう。

このトーアロードに面した、戦禍で焼けてしまった国際ホテル兼アパートが物語の舞台で、主人公の西東三鬼がそこで会う数多の人々との不可思議な話(に、見えるがそれは筆の魔術というもの)、を掌編で書いている連作である。
不可思議と言っても、それは別に特別なこと、所謂SF(すこし・ふしぎ)が起きるわけではない、あくまでも現実の問題だ。それは全て汚れを伴うようなことだが、時代がそうさせていて、また、文章が魔法を感じさせるだけである。

戦中の記憶であり、この港町に集う怪しげな異邦人たちが住む掃溜めの神戸であり、作中でもここはハキダメホテルと書かれている。
出てくる登場人物は凡そ世界から零れ落ちた人たちばかりで、彼らはそれぞれに生活に窮しながら生きている。

彼らは歯医者であった西東三鬼をセンセイと呼ぶ。センセイは東京を追われて、妻子を置いてこのホテルで生活していて、波子という女を囲っている。生活に困ると波子が身体を売らないといけなくなるので、センセイはそうならないように立ち回る。
センセイの周りにいる人達は、社会の階層の底辺にいる人々である。
センセイの逗留するホテルの前に乞食がいて、彼はホテルの前でクルクルと回っているが、2年後に大空襲で街の人間はキリキリ舞いに、彼のように踊らされたという。

西東三鬼が描くこの神戸はまさに人種の坩堝であり、命の坩堝である。
女達=マダムたちは日々を逞しく生きているが、ときには売春をせざるおえない時もある。
猥雑な生活、猥雑な人々が、神戸の山の手へと向かう1本道で小さなドラマを繰り広げるが、それら思い出は全て戦禍に消えていく。
新潮文庫版では解説を森見登美彦が行っていて、彼には魔都は京都であるが、神戸も大概に魔都である。東京、神戸、京都は魔都である。
その魔都での物語を、森見登美彦は『千一夜物語』と重ねているが、異邦人が行き交うこの都市では、それはお伽話めいた世界なのかもしれない。

今作の舞台は1943年とか、たしかそこら辺である。

この時代の、神戸トアロードを映した写真家に中山岩太がいる。

美しい、1世紀近く前の感覚とは思えない写真だ。

中山岩太は福岡出身の写真家で、当時の阪神間モダニズムにおいて重要な写真家の1人である。阪神間モダニズムというとやはり谷崎潤一郎が浮かぶが、彼は魚崎や岡本、芦屋など、高級住宅地ばかり移り住んでいる。
中山岩太はアメリカの紐育やフランスの巴里に渡り学んでいたので、明らかに外国の匂いをまとった作品を発表している。そして、巴里での生活で感じたその陽光などを、彼は神戸に感じ取って、そこに住んだ。
(彼も芦屋なので、谷崎と同じであるが)。

中山岩太の映し出したその写真はモノクロームで、彼の1939年頃のトアロードの写真が二葉あるが、そのうちの一葉はまさに御伽めいた場所そのものであり、彼の書く『神戸』よりも一層に牧歌的で、外国の香りがする。少年少女が教会の前を歩いている。中には外国人の子もいて、海港都市を改めて思わせる。この、お伽話めいたトアロードこそ、私が愛するものだ。

1939年、神戸トアロード。子どもたちの笑い声が聞こえてくる。


この数年後に、焼けてしまうのだ。

この通りに面して、その掃溜めホテルはあったのだろうが、今は完全に灰燼に帰して、そこには往時の匂いが幽かに漂うだけである。

西東三鬼が住んでいた、トーア・アパート・ホテル(或いは国際ホテル)は今は中華会館になっており、勿論この世に存在していない。
そのような場所はたくさんある。スクラップ・アンド・ビルドである。都市は破壊と再生を繰り返している。日々、都市は顔を変えていくが、僅かな時間、そこには一種のトポスが顕現する。
彼のトポスと化した神戸は猥雑で、汚濁に塗れて、その印象はカオスそのものだ。

さて、特別な場所、というものはあるものだ。

それは、どこにでもあって、ただ、そこを幻視する力がある書き手ではないと、素通りしてしまう。その、特別な場所というのは、日々の生活に埋没していき、最終的には記憶、或いは思い出だけになってしまうが、誰かが文章でその時の思い出を残しておくと、そこに宿る魔術は永遠の命を持って、ある日、それを紐解いた誰かを、深い郷愁へといざなう。


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