
生きてるうちに推してやれって本当にそのとおりだよ。
『別冊太陽』で新版の三島由紀夫が出ていた。
過去に出たものは中古で4,000円とか5,000円とかしていたから欲しかったんだよな〜。今アマゾン見たら安くなってるなぁ〜。
和服の三島由紀夫ですよ。これはなかなか表紙には使わないイメージ、いつもスーツかポロシャツ、若しくはマッパ(褌かな)ですからね。
欲しい、が、買わない。今日のところは。
三島由紀夫と、いえば、今年は生誕100周年、なので、色々な本が出ている。対談本とか、復刻本とかも出ていて、欲しいのだが、然し、お金もない。
そもそも、私はそんなに三島が好きではないので。
それに、読む時間もない。本は時間を食う。なので、一から十まで、1冊の本をしゃぶり尽くすことなんて、そうはないのだ。私は、摘み食いのニワカ野郎である。そうじゃなきゃ、人生渡っていけないのだ。
に、しても、生誕何年、っていうのは、没後何年よりも違和感がある。やっぱり、没後◯年、が好きだ、まぁ、没後、で好き、なんて、不謹慎かもしれないが。そういえば、今年は、夢爺こと、竹久夢二、生誕140周年なんだとか。
夢二、と、いえば、デッサンが狂っている、狂っているが、あの夢二、いや、無二な感じがいい。絵の真髄を感じさせる美しさだ。
で、話を戻すと、世の中には、俄にも信じられないほどにニワカな人間も存在している。例えば、死亡特需、なるものがあって、誰かが死ぬと、こぞって哀悼の意を表す、のだが、別に、哀悼の意を表すのはいいと思うが、然し、それを自らのファッションに変える人、昨日まで存在も忘れていたのに、急に語りだし、2週間もすれば忘れてしまう、そんな人。
無論、多くの人に影響を与えてきた人の死、それは、数多の人間に衝撃を与えるだろうし、それを共有して個人を偲ぶのは大切なことだが、然し、いや、その人のこと、お前の脳みそにここ10年間はカスリもしなかっただろ、的な人のコメントはもやもやする。
真のファンこそが語れる資格があると思うし、そこはまさに聖域である、そんな気がしている。
まぁ、私もニワカ野郎なので、人のことは言えない。然し、けれども、やはり、死んでから褒められるよりも、生きているうちに褒めてほしいじゃないか。
で、そんなタイトルの漫画だってあるのだ。
で、昨年、松岡正剛が亡くなったが、私はすごく衝撃を受けたが、然し、世間ではそんなに話題になっていない。松岡正剛特集のユリイカも出ていた。
松岡正剛、と、いえば、やはり、知の巨人、だとか言われているが、それよりも、めちゃくちゃにいっちょ噛み、才能のありそうな人間への嗅覚がすごいイメージ。
私は、松岡正剛の本は何冊か読んだけれども、読みにくいから嫌いなんだよね
で、ユリイカ、特集号等が出ると、まぁ、これを読んでいれば、大抵のことはわかるようになっている。而も、リーズナブルだ。何か、ハマるような作家が出た場合、まずはユリイカとか、別冊太陽を読む、そうすると、まぁ、半分くらいのことはわかるようになる。
あとは、もう狩猟、狩猟に次ぐ狩猟、様々な雑誌の論考、三文記事、新聞の記事、など、そういうものにまで手を伸ばす、雑誌、昔の雑誌、そういうものを購入して、わずか2ページ、いや1ページの記事のために万札を支払うようになれば、立派な信者である。
ネットは万能ではない。ネットには存在しない記事、写真、などは、古書に溢れかえっている。ネットで調べられる情報は薄いのである。表層がメインで、深い部分はなかなか存在しない。まぁ、諭吉乃至は栄一を出して手に入れた写真を、ネットの海の放流するのは勿体ないのである、から、きっと、なかなか出回らない、まぁ、需要がないだけ、かもしれない。が。
で、まぁ、デビッド・リンチの追悼号も出るだろうし、つーか、リンチの本は各所からいっぱい出そうだなぁ。
まぁ、生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言、でもないけれども、死んだら本当にそれまでよ。なので、なるべく、生きてるうちに推してやれってことなのだ。