みどりの守り神、『ロビンソンの庭』
以前から観たかった山本政志監督の『ロビンソンの庭』、ちょっと前からまさかのAmazonプライムで配信されていたようだ。同監督の『てなもんやコネクション』も。
確か、2010年くらいに、『てなもんやコネクション』のDVDで購入、その時は、10,000円くらいしたが、まぁ、今は手放した。
今は、サブスクで、予想外の邂逅をすることがある。これは少しさみしい。何分、昔は、ビデオ、DVD、それらが廃盤になって数が少ない場合、観ること自体が困難で、相応の対価を払ってようやくお目にかかる、ということが多かった。本も然り。
けれども、今は、運が良ければ、簡単に配信で観られてしまう。ま、私も、逆にそういう困難なハードルが同様に取り払われているから、偉そうなことは言えないんだけど、けれども、やはり、相応の対価が必要なもの、というのは、あって欲しいものだ。
山本政志監督の『闇のカーニバル』は配信はされていないようだった。これも観たいのだが……。
DVDも、高額でプレミアがついている。『てなもんやコネクション』は品切れで入手困難な感じだ。
で、『ロビンソンの庭』、うーん、やっぱり意味わかんねぇな〜。『てなもんやコネクション』もだけど、それ以上に意味わかんないな。
冒頭から、普通の夏の町中を切り取るんだけれども、ここでもう幻惑される。一緒に歩いていた友人が靴紐を結んで立ち上がる間にいなくなり、延々と彼女を探して町をウロウロ歩くシーン。ここでもう、映画の不可思議な世界に取り込まれていく。
物語はあるようでない、が、あるのだが、それを台詞で説明することなどはなく、繰り返されるダイアローグにも手がかりめいたことはない。ただ、全体の流れを感じるのみである。緑、廃墟、宗教、水、野菜、セックス、そして、それらと対象的な、人工物、街、ネオン、そうして喧騒。
主人公の家となる廃墟で、彼女は野菜(主にキャベツ)栽培に精を出し、レコードをかけて、カッポレを舞い、井戸から汲んだ水を飲む。
廃墟はだんだんと緑に侵食されていき、森とキャベツが彼女の精神も蝕んでいく、或いは浄化していく。
冒頭、水をかけられた植物の葉の、なんと色香のあることか。雨粒が伝う葉は、原初的なエロスに満ちている。そうして、ラストの、廃墟を飲み込む、廃墟と媾合するかのような植物、花々の美しさ、そこを舞う蝶、主人公の手のひらで羽ばたくアオスジアゲハ、緑がこれ以上無いほどに美しく撮影されている。
なんとも幻想的な、不思議な世界観がフィルムに刻印されている。脈絡のない夢のような、然し汚く、美しく、淡い淡い緑の感じ。
この緑、山本政志が撮ろうとして中絶してしまった、『KUMAGUSU』、この、『ロビンソンの庭』を観ると、やはり、緑の色、緑の神秘、緑の映画、という意味では、これ以上のない適正で、緑の神聖までも、この映画はフィルムに焼き付けていて、これは一つのフェティッシュであるし、緑が女性や男性の肉体よりも遥かに美しいものであることを、この作品は教えてくれる。
で、町田町蔵、つまりは町田康、この時、まだ25歳くらいか。この独特の佇まい、いいなぁ、すごくいいな。と、町田康、未来の芥川賞作家、本当には、南方熊楠を演じるはずだったけれども、この緑の神聖に、町田康の熊楠の佇まい、これは、まぁ、意味不明な物語の可能性は高くとも、傑作になったのではあるまいか。