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一九三四年冬ー乱歩 という小説


久世光彦の小説である。

久世光彦は、『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ』などの伝説的なドラマの演出家であり、小説家としてもたくさんの作品を著している。

この一九三四年冬ー乱歩は、江戸川乱歩を主人公とした作品で、40歳の江戸川乱歩がスランプに陥り、麻布にある張ホテルに缶詰になって、作品を書き始めるうちに、段々と怪異が現実にも侵食してきて…というような話である。

乱歩はこの作品の中で、『梔子姫』という幻想小説を書く。『梔子姫』は、架空の小説で、本当の乱歩の作品ではない。この作品が、作中作として、実際に幾度も登場する。

この作品は文章がとても美しい。読みやすく、格調高い。
且つ、この張ホテルという小さなホテルの雰囲気が素晴らしい。
ここには、翁(おう)青年という、ホテルのボーイが登場し、彼が乱歩の世話をするのだが、彼は乱歩のことを「ランプー」と言う。
彼からは、ほんのりとヘリオトロープの香りが漂う。
彼を形容する時の文章は、

首を傾げて笑った青年の口元からこぼれた歯が真っ白で、乱歩は美青年というものは歯まで美しいと感心したものだった。

この美青年のボーイが働くホテルで、乱歩は執筆に勤しむ。乱歩は、この美青年が気に入って、彼が部屋に来る度にドキドキしてしまうのである。
江戸川乱歩は同性愛の人なので、それも当然織り込み済みの描写だろう。

久世光彦本人の文体で大枠を書き、その中に江戸川乱歩の文体を模倣して作品をぶち込み、それを作劇として一つの小説にまとめるのは、相当の文章力がないと出来ない芸当ではある。

それでいて、この小説には、甘い世界観が醸成されている。

書き出しは、

微かに身じろぎすると、洋風のバスタブいっぱいに張ったお湯の表に、赤や黄の小波が立つ。西に面した浴室の高窓にはめこまれたステンド・グラスの模様が映っているのである。

この後、風呂上がりの乱歩は股間のチン毛の中に白髪を発見して落ち込む。
そういう冒頭である。

今作は、江戸川乱歩という人間を小説世界に落とし込むために、彼のトリビア的な情報、作品の情報も散りばめられていて、それが読者に納得感を与えている。

谷崎潤一郎は、大抵の作家は自分よりは下だと思っていたらしいが、自身の書いた『金色の死』に影響を受けた江戸川乱歩が『パノラマ島奇譚』を書いたのを見て、相当警戒したのだと、評論の本で読んだことがある。

丸尾末広版のパノラマ島奇譚は、ブックオフでの遭遇率が高い(他の本はあんまりない)。

大体の他の作家は谷崎の亜流かもしれないが、江戸川乱歩の実力だけには脅威を覚えていたのかもしれない。
大抵はそうで、怖いのは下からやってくると、倉田先生が言っていた。

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そして、自分より強い可能性のある奴は、早めに芽を摘んでしまおうと、実力者達は考えるわけだ。
自分の地位を脅かすものは叩き潰す。世の中、そんな話が溢れている。

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