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私の特別な推しについて

去年は推しの曲を聴くために、ついにレコードに手を出してしまったのだ。

レコードプレイヤー、なんてものは、なかなか購入までのハードルは高いのだけれども、然し、ものすごく悩んで、初心者にも優しいと評判のものを購入する。
レコードの状態などにも少しだけ詳しくなる。

で、推し、とは、私には美輪明宏なんである。いや、三輪様、丸山明宏様、である。

美輪明宏様の歌を識ったのは、野坂昭如からである。私は、尊敬する作家は稲垣足穂、だが、一番好きな小説家は野坂昭如、で、『火垂るの墓』、『エロ事師たち』は私にはあまりにも特別な小説だ。この話はそれぞれ今週中に書こうと思う。

で、まぁ、野坂昭如は歌も歌っていたから、と、いうか本当には歌手になりたかった人だから、で、私は彼の歌はすごく好きで、CDは結構持っている。と、いうか出ているCDはコンプリートしている、たぶん。
『鬱と躁』は死ぬほど聴き込んでいて、こう、CDの音源が武道館だったり、女子大だったりで、それぞれ録音環境も異なり、同じ曲でも歌い方が異なったりするので、どのCDもマストバイ、なのであるが、まぁ、有名な、『マリリン・モンロー・ノー・リターン』もいいが、私はやっぱり、『花ざかりの森』。

『花ざかりの森』、と、いえば、三島由紀夫、だけれども、この『花ざかりの森』は作曲、作詞は桜井順、やはり、歌詞がいい、土着的な匂い、その桜井氏の話の依れば、この曲は時代と寝た曲、60年代後半の安保闘争の影響があると言うけれども、それよりも普遍的な匂いも感じられる。

「春は夏に犯されて、夏は秋に殺される。秋は一人でおいぼれて、ああ、冬がみんなを埋める。桜の木の下に、桜の木の下に。」

なーんて歌詞、うーん、マンダム。

逆に、三島由紀夫の『花ざかりの森』は、

「かの女は森の花ざかりに死んでいつた、かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた」

と、シャルル・クロスの詩、堀口大學の訳から始まるが、野坂さん歌にはそういう耽美な感じはないのだが、やはり土の匂いがする。

はじめ、この歌詞は野坂さんが書いているのかと思ったが、歌に関しては彼は詞は書かずに、歌手に専念しているのである。クロード野坂として、エンターテイナーに徹している。
桜井順=能吉利人の歌詞は、野坂さんの世界を本当にうまく抽出し、咀嚼して、そして吐き出されたものは、本人が書いたとしか思えない匂い。

『花ざかりの森』において、その光景は野坂さんの小説、『骨餓身峠死人葛ほねがみとうげほとけかずら』を思わせる。
この小説は、野坂昭如的テーマの一つである、近親相姦をもろにぶち込んだ作品で、ある炭鉱とその村が舞台だが、そこには、人の死体で栄養を摂り美しい白い花を咲かせる葛にあって、それに魅入られた少女の一代記を書いた中編だが、噎せ返るほどのセックスの相関図、それも近親相姦、父と娘、兄と妹、母と娘、全てが絡み合い、最終的にそれらは次代に連鎖し、死がそのまま迫るようなクライマックスの描写につながる、圧倒的な小説である。

それを、野坂節で書くので、まぁ面白い。野坂さんは天才だ。そういえば、野坂昭如と、稲垣足穂は対談していて、この二人はキスしている。なぜか。で、写真も残っている。二人の推しが幸せなキスをしているなんて、私もまた幸せだ。

そして、今作の、方言と土着的な因習が全編渦巻く異常世界は、私の愛する『火垂るの墓』とも通底している。

で、野坂昭如はその喋りもまた最高で、『辻説法』、これはもう、本当に何度も何度も聴いている。車には常備セッティングだ。

『辻説法』は野坂昭如が1974年に参議院選挙に出馬した際の街頭演説(+応援演説)を40分ほど収録しているが、うーん、この演説が心地良いんだよね。まぁ、作家、が政治的なものに傾倒していく感覚、これは賛否両論あると思うけれども、野坂さんの言葉はいいねー、と思うね。まぁ、今の時代からすれば、え?という認識もあれども、言葉を尽くすということ、喋るということ、訴えるということ、それらが渾然一体となっていて、演説という表現が焼き付いている音源だ。

それに、結句、芸術はどこかで政治について、世のことについて訴えていくことから免れないもので、実は最低限の条件の一つであるし、いや、それ以前に、それだけあればいい。
そういうものを表出するのが詩人であったり、藝術家の役割であるのだけれども、皆御飯おまんまの為に、そこには手を出さずにお茶を濁すわけだ。或いは自己顕示欲。俺の話を聞け、という、俺のマスターベーションを堪能しろ、という、浅薄な希求の発露。
皆、金や称賛の方が大事なので。特に、作家は自己顕示欲が強いので、まぁ、権力志向で政治に向かう人もいるが。

で、『辻説法』は最高だが、もちろん曲も最高で、で、レコードでしか聞けない曲もあると識った。それは、『当世のぞきからくり おりん巡礼歌』なる曲で、まぁ、おりんちゃんのあまりにあまりな人生の悲劇のお歌、内容が内容なので、CDには未収録になっているのだが、然し、まぁ、YouTubeでは聞ける。いい時代だ。だが、私はそういうのはこう、なんか持っておきたくなる性分なのである。

で、『辻説法』には、小沢昭一の応援演説も入っていて、これもまたいいんだよねー。「つまり、接戦であります、つまり、激戦であります、一票を頂きたい、接戦であります。」なーんて、すごいすごい漫談師のしゃがれ声から来る聞き惚れるような口上、私、最近、小沢昭一のCDも買って、ずっと聴いてるしね。
やっぱり、文章藝術とともに、話芸、というのは、同等かそれ以上のパワーがあると思う。

で、まぁ、脱線話が長すぎる、ってなもんで、気づけばスブやん、小沢昭一になっているし、なので、戻すと、まぁ、その、野坂昭如さんのCDに『不浄理の歌』っていうアルバムがあって、これは美輪明宏様が野坂さんの前座を務めている、もともと、銀巴里時代、野坂さんは素人としてプロが歌う前に歌わせてもらっていたわけだが、然し、今度は、大勢の客を入れて、美輪明宏様を前座で使う、そこで歌われたその歌、その素晴らしさ、私は大変感動して、本当に本当に感動して、心を打たれた。え、こんなにすごい歌手、こんなにすごい藝術家なんだ……!って、もう心を鷲掴み。で、レコードを買うに至る。

レコードのジャケットは大きい、けれども、なんか部屋に格調を与えてくれる。まぁ、車ではCDがメインなので、CDの購入も欠かせないが。
デビュー・レコード。三島由紀夫も驚愕した腰の細さ。

で、やはり、個人的に最高のアルバムと言えるのが『白呪』、なわけだが、このアルバムは、パンチがありすぎてハードコアなあまりに、放送禁止、ってな感じの曲が多いのだが、然し、前述したように、真の詩人、藝術家、作家、表現者は、政治、とまでは言わないけれども、現実の困難、苦痛、苦悩にこそ声を上げる表現、それで人の心に灯りを照らすことこそが重要である、と、私は教えられたし、実際にそうだと思う。

『バガボンド』でも沢庵和尚が言うように、

「命に価値はない その通り 価値はない 
自分だけのものと考えているなら 命に価値はない」

という、生命、と、藝術、は限りなく他者の為にある。

稲垣足穂は、自殺、を考えるほどの境地に陥った時、そのような心理状態の人間には藝術など考えられるものではない、藝術では命は救えない、とそのようなことを言っていたが、それはその通り、然し、けれども、それを少しでも照らそうとすることが、藝術の役割のはずだ。報われるかはわからないが、然し、その決意こそが重要だ。
彼自身、一時期はセイント、キリスト、ジーザスに絆されて、その思いを文章に綴っている。藝術家を一等に考えていたが、然し、セイント、なる、その上の存在があることに気づく。聖なるもの、とは、それ自体が苦闘に身を置くことであり、その苦悩こそが藝術となって、燦然と輝く。

美輪様は名著『紫の履歴書』において、芸能界に賞を欲しがる人間が大勢いるが、私はそんなものは欲しくない、本当にいらない、それよりも、真っ当に生きて、神々からの言祝のほうが欲しい、的なことを語っていたが、これもタルホ的だ。
タルホもまた、藝術家の本分は見えざる的、神の見えざる的を狙うことであり、天上からの賛辞こそが大事だと言っている、つまりは、報われないことをこそ識りながら進むのが藝術家の道である、と、いうこと。

『白呪』はまさにそんなアルバムであり、1曲目の『祖国と女たち』は慰安婦の曲でこの曲は軍歌的な匂いを背景に組み立てられた反戦歌で凄いクオリティ、まさに、大日本帝國万歳という何よりのアンチ戦争的な怒りを爆発させる絶唱で完成度の高さに唸らされる。まさに、『絶唱』そのものの意味の歌詞と歌唱である。

戦に負けて帰れば 国の人たちに 勲章のかわりに 唾をかけられ
後ろ指さされて 陰口きかれて 祖国の為だと死んだ仲間の
幻だいて 今日も街に立つ
バンザイ バンザイ ニッポン バンザイ
大日本帝国 バンザイ

『祖国と女達』作詞・作曲 美輪明宏

2曲目の『悪魔』は人間という悪魔への怒りを歌うロック、人間という悪魔を呪った歌で、冒頭から三輪様の渾身の悪魔笑いから始まるが、まさに暗黒のモロの君、歌詞が攻撃的すぎていいなぁ。

世間の奴等は俺たちを 悪魔のなんのと言いやがるが
今では俺たち悪魔より 人間どもが恐ろしい
こんな危ない地球には 住んじゃ居られぬ オサラバだ

『悪魔』作詞・作曲 美輪明宏

冒頭から過激だが、後半はフルスピードで駆け抜けていく。

原爆 水爆大好きな 戦争亡者の親玉よ
お前の親や兄弟が 女房や子供が 恋人が
焼けて爛れて死ぬだろう 苦しみもがいて死ぬだろう

『悪魔』作詞・作曲 美輪明宏


3曲目の『ボタ山の星』、これは人間の業と哀しみを美しい童話、悲しい童話にまで昇華した謡曲のような歌、ある種、『ブレードランナー2049』や『よだかの星』にも通じるような仄暗いはしけき頃の童心に触れる歌、4曲目の『ヨイトマケの唄』は、まぁこれは有名、だけれども、こんな歌い方できる人はそうはいないだろうと、心を持っていかれる。

特に、私は『ボタ山の星』が大好きで大好きで、この曲が作られたエピソードなんかとても感動したね。自分を恥じることから、辛さの中にいる人のために曲を作ろうと考えて、数年かけて、この曲やアルバムが出来たのだから、それはもう、渾身の一作だろう。
筑前琵琶とピアノの伴奏に絞って作られたこの曲は日本人の琴線に触れるようだ。

まぁ、このアルバムは傑作。紛うことなき傑作だ。
皮肉と祈りの込められた曲たち、それを聴いて、その制作精神にこの言葉を思い出す。

「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど。」

このイデ隊員の言葉のように、いつだって歌詞だけは甘美的で偽善に満ち溢れたものが世の中に跋扈しているけれども、それは、小説も、詩も、藝術はそうだけれども、美しくない言葉こそが、人間の美しさを最も表す、そのような曲が、このアルバムには収められている。

で、つらつらと書いてしまったが、そんな感じでレコードは最高だ。
なんか、こう、なんも変わってないのだけれども、自分が少しオシャンティになった気もするし。

美輪明宏様は御年89歳、本当に素晴らしい歌手、作詞家、作曲家で、俳優、藝術家である。
今年は90歳で卒寿、ますますお元気で、ご活躍してほしい。











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