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月曜日のユカ、炎上

最近は邦画づいているのだ。

まず観たのは市川雷蔵主演の『炎上』である。1962年の映画だ。モノクロームの映画はいつ観ても幻想に満ちているが、今作は、まぁ、三島由紀夫の『金閣寺』が原作である。

金閣寺、と言えば、三島、と、水上勉、の二人が有名だが、水上勉は実際に少年時代にお寺に奉公していて、お寺での体験を憎しみを込めて、寺の嫌な部分などを『雁の寺』等で描いている。まぁ、私はその映画版の『雁の寺』は未見なので、なんとも言えないが、今作『炎上』では、やはり、二代目鴈治郎、『浮草』や『越前竹人形』での演技もいいし、歌舞伎俳優の中でも一等に好きだ。

で、『炎上』であるが、まぁ、放送禁止用語が飛び交う映画ではあるが、60年以上前なのだから仕方がない。むしろ、そういう表現をしてナンボであり、まぁ、今の時代の作品も、50年後には放送禁止用語になっている文言は山程出ているだろう。

監督は市川崑なので、映像美はもちろんのことだが、然し、その映像美の中でも一番輝くのは黒い瞳、その持ち主の仲代達矢の眼力にやられる。これ、ほとんど仲代達矢の映画ではないか?
仲代が演じる柏木(映画では戸狩)は、ポール・シュレイダーの『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』では、佐藤浩市が演じているが、然し、このキャラクターを演じる仲代の強烈さ、せのせいで、自虐心と自尊心のアンビバレントな感情の落差がすごいすごいことになっている。


まぁ、この他にも、鴈治郎演じる老師の、あの年代特有のムカつきと可愛さの同居した演技も、これは演技なのか?と言う感じでいいね。私は、こういう老師とか、『雁の寺』とか、そういう、世俗に塗れた和尚キャラが出てくると、いつも『人間交差点』の『追憶』という坊主を思い出してしまう。

とにかく、他のキャラクターのアクが強すぎて、雷蔵の頑張りも霧散してしまう、そんな映画だった。全員悪人、という惹句をつけておきたいところだ。
名作だなぁ。

で、その後に『月曜日のユカ』を観る。これは1964年の映画だが、『水曜日のダウンタウン』ではない。で、このタイトルといい、やはり、『5時から7時までのクレオ』を思い出さずにはいられない。クレオは1961年の映画である。なんとなーくアヴァンギャルティな作風も、影響を受けているのかしら?

まぁ、私はアニエス・ヴァルダが好きなので(『幸福』が大好き!)。

まぁ、とにかく、この『月曜日のユカ』は、加賀まりこを愛でる映画なのだろう。よく、ネットでも、若い頃の加賀まりこは美しすぎる、と話題になるが、まぁ、美人、というよりは可愛い系で、小悪魔系である。
私は緑魔子の方がその御名前も含めてより小悪魔であり幻想性があって好きだが、この、『月曜日のユカ』の主人公であるユカを演じるのは、やはり加賀まりこしかいないだろう。

ユカは誰とでも寝る18歳で、然し、キスは許さない。それには理由、というか、トラウマ的なものがあるのだが、彼女は様々な男を誑かして(然し、天然であるからOKなのだ!)、魂の崩壊や死へと向かわせる死の天使である。
ユカは、大好きなパパと(パパ活か)へ愛情を注ぐのだが、然し、パパは大人である。大人である、ということは、クズであり、結局は自分本位な男、ということである。
パパは家庭がある。日曜日は家族の日なんだ、と、ユカに恋する中尾彬は言うが、それなら私は月曜日でいいわ、とユカは言う。月曜日とは、本命じゃない人の日なのだ。

パパは、ユカに愛している、と言うが、結局は自分の欲望や利益の為にユカを利用する。ユカは、死の天使であると同時、彼女がいつも慕い続けて枕元に置いているマリア像のように、聖女も同居している。

舞台が横浜だからか、貿易の船がいっぱいついて、映画にはキリスト教的な匂いが満ち充ちている。それも相まって、洋風の香りがする。港町、神戸、横浜、その特有の外国の香りがする。

そして、その聖女と死の天使が共存する彼女は、タヴーである口づけを、自らを愛して、そして死んでいった悲しい男に捧げる。
口づけとは神聖なものである。セックスは生殖行為だが、口づけは死をも超越する愛の証しなのだから。

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