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『風立ちぬ』のプロペラ


昨日、8/27に金曜ロードショーで『風立ちぬ』が放送されていた。

私はプロフィールにも書いているが、『風立ちぬ』が大好きである。
ソフトも持っているが、TV放送していると、ついつい見てしまう。

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2013年に公開された『風立ちぬ』は宮崎駿監督の引退作になるはずだったが、2023年頃公開の『君たちはどう生きるか』にそれは変わってしまった。

異常な映画である。

堀越二郎の人生を素材として、そこに堀辰雄の要素を合致させ、ビジュアルまでフュージョンさせて(元々似ている)、庵野監督に声を当てさせる。そして、どこか自身のアニメ制作、ひいてはスタジオジブリ、若かりし頃のアニメーター時代のスタジオを飛行機づくりに重ねる。
まぁ、常人の理解を超えている。

堀辰雄と言えば、『風立ちぬ』や『菜穂子』などの小説を書いていて、サナトリウムが出てくる。私が一番好きなのは、『美しい村』で、堀辰雄は軽井沢文学である。だから、当然『風立ちぬ』は軽井沢が出てくるし、そこで菜穂子との恋が語られる。
けれど、堀越二郎は堀辰雄じゃねーし!って感じである。

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軽井沢には文人の別荘がいっぱいあって、私も数年前に見に行った。
堀辰雄の別荘である。

有島武郎が心中した場所も残っている。有島武郎は谷崎潤一郎もあった時に、手を出すと危険そうな女性だと感じていた女性編集者と心中したのである……。こいつもエロガッパである。

今作ではトーマス・マンの『魔の山』の要素も入れている。『魔の山』は
ドイツ教養小説の代表作で、糞分厚い。さぁ、読むぞ!と気合を入れた人間の7割位は完遂不可能ではないか。
これもまたスイスのアルプス山脈にあるサナトリウムに見舞いに行った青年が、自身も結核にかかっていることが発覚し、治そうと入院するところから始まる物語である。

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ちなみに、私は『魔の山』は中途で挫折した。長いし、好きではなかったのである…。
ちゃんと、登場人物に『魔の山』と語らせている。元ネタの目配せをしている。

然し、あくまでも物語は小説家の堀辰雄ではなく、零戦の開発者の堀越二郎の物語を描いている。宮崎駿は、原作あるものは全て俺流に混ぜ直し、違う料理を出してくるが、いつも旨すぎるのである……。

冒頭を久々に見たが、二郎が夢で飛行機の操縦士として町々の空や田園を飛ぶシーン、ここで見られる、無機物を有機物として描く感覚、また、その夢から目覚めて視力の悪い自分を悟るシーンを言葉を使わずに語りつくす演出力の凄さに感嘆とした。
また、夢の中、草原に立つ二郎少年の前に向かって飛行機が正面から向かってくるシーンのレイアウトは素晴らしい。映像の官能に溢れている。

この映画は様々な評論家の方が語り尽くしているため、今更語ることはないと思う。ゲーテの『ファウスト』やダンテ『神曲』などをベースに構築されているとも言われている。

私が思うに、この映画には+、稲垣足穂先生の要素も入っているのではなかろうか。足穂先生は、『飛行機物語』や『ヒコーキ野郎たち』、『ライト兄弟にはじまる』などの、飛行機随筆を山のように書いている。
飛行機、少年愛、月と星、キリスト教、が足穂先生の4大要素であるが、足穂先生は日本人の民間人初めての飛行家、武石浩玻に並々ならぬ関心を寄せていて、随筆でも触れている。武石浩玻は、飛行の際に、事故で28歳で亡くなった。飛行機を愛していた足穂少年はまだ12歳だった。

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足穂先生は、飛行機は墜落こそが美であり、その飛ぶような予感を感じさせるオブジェとしての飛行機こそが、それが持つ夢だと語っていた。
これは、『風立ちぬ』の堀越二郎とは別のベクトルではあるが、どちらも、飛行機に夢を見ていた。

美しい飛行機。
墜落の美学。

足穂先生も、飛行家になりたかったのである。けれども、なれなかった。
画家も目指していた。けれども、なれなかった。結果、魔術的な文章を書くことになる。

『風立ちぬ』では、飛行機の駆動音を、人が演じている。ブルルルルルというエンジン、プロペラの回転音。
そして、誰よりもその口真似を唐突に言い出すのが稲垣足穂その人で、様々な逸話でそのことが書かれている。
彼の弟子とも言えるあがた森魚は、その肉声をコラージュして、オブジェとしての曲『エアプレーン』を作った。ええなぁ…。

ブルルルル、ブゥーン!、そう、声を出して、プロペラを回して、少年がおもちゃの飛行機を手に走り回る。

墜落か、それとも飛翔か、いずれにせよ、魂が繋がっている。

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