バニシング、MOVIE。&メリエス
つい最近、シュトロハイムの『愚なる妻』をBlu-rayで観ていたら、あゝ、荒野、じゃなかった、ああ、消えてしまった、削除されたフィルムが観たいもんや……と、哀しくなる。
『愚なる妻』はシュトロハイムの三作目、今作は現行のバージョンでは2時間20分くらいなのだが、オリジナル版は6時間以上あるのだという。
こういう映画はよくある。まぁ、ディレクターズ・カットとかで未公開シーンが入っていたり、大量にジャンクされた、削除されたシーンがあったり。
『愚なる妻』は1922年の作品である。今から100年前の映画だが、フィルムは当然残っていない。シュトロハイムの2作目、『悪魔の合鍵』はフィルムが焼失したので、これはもう、完全に観ることが出来ない。そういう映画は山とある。現在では観ることのできない映画。それは伝説を纏って、実物以上に神々しい輝きを放つことだろう。
で、『愚なる妻』のフィルム、残り4時間、それってどんなものなのよ、となると思うのだが、まぁ、基本的には、『メリーウィドウ』などと同様に、乱交シーンや退廃の宴のシーンなど、そういうものだと資料や伝聞から察せられるが、うーん、是非とも観たいなぁ。でも、実際に見たら、そんなに大したもんじゃないからカットして正解だナってなるのだろうな。
シュトロハイム映画は1920年代〜30年代がメインなので、サイレントからトーキーに移行していく最中、あくまでもサイレントに拘ったシュトロハイム、最高傑作と名高い『グリード』完全版(9時間!)は聖杯と言われているがフィルムは見つからず、『結婚行進曲』は前編のみ存在しており、後編のハネムーン編は消失、『クイーン・ケリー』は後編のアフリカ編を少し撮影するがそれも動画は存在せず、等など、消えてしまった素材多すぎ問題な男である。
然し、やはり、ハリウッド黄金期、この空気感、昨年公開の、デミアン・チャゼルの『バビロン』で感じ取るしかない。
このように、消失してしまったもの、への思慕は尽きないものだ。
で、最近読み終えたのはジョルジュ・メリエスの伝記本。
この本は分厚くて、なかなか入り込めなくて、ようやく。
メリエスって、言えば、まぁ、伝説だよね。『月世界旅行』なわけで、誰でも識ってる。
然し、スコセッシが2011年くらいに撮った、『ヒューゴの不思議な発明』、当時、まるで『ハリー・ポッター』かよ、みたいな感じのファンタジー風味のある感じで宣伝されていたが、ガッツリ映画愛の話、無論、スコセッシであるから、それは当然のごとし、クロエ・グレース・モレッツがとてもとても人気のあった頃で、役者も豪華、3D全盛期だったので、3D映画でしたね。何か、こう、ナルニア、ライラ、それからこれとか、2000年代〜2010年代半ばに渡るファンタジー映画のデザインって、最早古臭い感じがするけれども、これも映画の正統進化。
この頃はねぇ、本当にクロエ・グレース・モレッツはめちゃくちゃ売れてて、『キック・アス』や『モールス』、『500日のサマー』とか色々出ていて、まぁ、今思えば売り出し、というよりもゴリ押し、的な感じも否めないが(この時期、異様に推されていたテイラー・キッチュのように)、『キャリー』リメイクとか『ロバート・マッコール』とかは良かったなぁ。マッコールさん、1のマッコールさんは最強ですね。2はぶっちゃっけ自分ルールが強くなるので、まぁ、ジグソウ的な感じで。
メリエスの映画も多くの作品が今では観ることのできないものが多い。その数は何十とあり、まぁ、本人が処分したりしているのだが、昔はフィルムの保管などに、それこそつい半世紀前までは普通に処分していたので、残っていないものが多く、フィルム、そこからビデオテープも再生機器が再生危機であり、DVDは今も健在だが、それもBlu-ray、そこから配信などへとメディアの移行で、流されていく存在になっていく。
書物だって例外ではない。今、書店に並ぶ文豪たちの本は、書店の椅子取り合戦に何度も打ち勝ち生き抜いてきた戦士たちなのであり、基本的にはそこから大抵はこぼれ落ちていく。それは古書店などに流れていくが、然し、それすらも散逸し、何時しか記憶の中でだけ存在するように変化してしまう。
いや、寧ろ、多くの物語、多くのものが、そちら側であって、形を成して生き続けているものは、本当にはマイノリティでしかないのだ。
まぁ、何が言いたいのかと言うと、まずは、『ガキ帝国 悪たれ戦争』を見せてちょんまげって、それだけの話。