ブレードランナー2099を想像する。
『ブレードランナー2049』は私の一番好きな映画作品だとnoteでも毎回書いていたが、来年、その続編の、『ブレードランナー2099』がAmazon Primeにてドラマとして配信される。
今年の6月に、スペインやプラハで撮影されており、どのような作品になるのかはまだわからないので、好きに妄想してみる。
本家の『ブレードランナー』は、ロサンゼルスで撮影されていて、アメリカの匂いが濃厚にする。
私は、作中と同年の2019年にIMAXで今作の『ファイナル・カット』を観られて最高に幸せだった。つまりは、オリジナルは100点満点、2049は120点満点である。
オリジナルは、フランク・ロイド・ライト建築のエニス・ブラウン邸など、デッカードのアパートに使われているが(『ブラック・レイン』の若山富三郎邸も!)、マッキントッシュのアーガイルチェア、その他のプロップもいちいち素晴らしく、舞台は2019年ではあるが、文化的には1920年代〜50年代の匂いも濃厚にする。
それをキラキラのネオンがサイバーに見せているだけであり、建物はあくまでもゴシックだ。
で、2049の方は、これはもうロシア、ソ連の映画、タルコフスキーの映画、詩的な流れのスローシネマの系譜で、撮影はハンガリーはブダペスト、東欧のブルータル建築などがメインで、その美術に私メロメロなのだが、この、ドゥニ・ヴィルヌーヴ的なアプローチは、他のフォロワー監督は出来なかっただろう。
大抵が、サイバーパンクに引っ張られて、オリジナルもどき(そういう意味では、『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』の町並みは、非常にブレランっぽかった)。
ヴィルヌーヴの如才ない目配せ、2時間43分もあるのに、まぁ、長いと言えば長いが、然し、一度あの世界にジャックインしちゃうと、もう抜けられない、遅さの魔薬の虜になる、で、そこでは、オリジナルのESPでの捜査をオマージュしたレイチェルの骨拡大シーンや、フォークト・カンプフ・テストを模したトラウマ・ベースラインテスト(ここは最高に蠱惑的で抑圧的だな〜)など、これはもう、100点満点の接待、と、なれば、当然、2099も、どちらか、或いはどちらも、発展した形で、作中に取り込んでくるだろう。
絶対に、新テスト、新操作方法は作中出してくるだろう。
ブレランのルック、それはサイバーパンク、そしてゴシックなダークロサンゼルスの摩天楼だが、それを、違和感なく進化させたブレラン2049は、後続のルックもそちらに寄せさせるほどに、静かなインパクトがあったのだ。2049の世界がスタンダードになりつつある。
ブレラン2049と同時に作られた、2022ブラックアウト、2036ネクサス・ドーン、2048ノーウェア・トゥ・ランの3本の短篇。
オリジナルは2019年、その後にレプリカントの叛乱テロルによって大停電が起きる2022、これが切っ掛けでレプリカントの製造が終わり、タイレル社が崩壊し、グレートリセットが起きる。
2036年に天才ニアンダー・ウォレスが再びレプリカントの新型を作り始めて、2048には、そのネクサス8(ロイ・バッティのネクサス6を上回る寿命を獲得)に追手が迫り、2049ではネクサス9のKがおそらくはネクサス7のデッカードと娘を再会させる。
で、大停電で汎ゆるデータが失われるが、2049の前に、2033年を舞台にした『ブレードランナー2033』が2025年か2026年くらいに、ゲームとして発売される。これも頗る愉しみだが、ブレランのゲームはもう1本、これは2019年が舞台、で、次の2033は大停電でレプリカントがいなくなった世界でのブレードランナーを描く作品で、このルックは、もう、完全に2049寄りである。寄りではあるが、まぁ、2022にも近いのかな。その点、やはり、クレバーにこのヴァースを組み立てていこうという意志も感じつつ、然し、けれども、やはり、ヴィルヌーヴテイストに寄っている気がする。
で、2099。2019から2049は30年の歳月が横たわっている。然し、今度は2049から2099なわけで半世紀、なわけである。
これは、もう、少し想像が出来ない。あの世界は2049で既に黄昏を迎えているが、技術は進歩している。『2001年宇宙の旅』とはいかないけれども、もう少しスマートになりそうだ。なにせ、『エイリアン』シリーズはブレランの未来なわけだから、『プロメテウス』的な、洗練された美術も出てくるだろう。ただ、この世界は、アナログ技術が闊歩しているし、どのような技術の変化があるのか。
スピナー、ブラスター、これらは絶対のマストアイテム、2049において、レプリカントと人間との闘いが示唆されていたが、デッカードの娘は間違いなくそのキーであり、Kはある種の殉教者であるわけだが、まぁ、私にとっては、2049できれいにきれいに、親子の再会で終わっていて、それでいいと思うのに、続編ができちゃうと、どうしても、そういうヒストリーを設定しなくちゃいけなくなり、逆にイマジネーションがスポイルされる。
2099は、ドラマなので5話〜8話くらいあるだろうし、5時間〜下手したら10時間のわけで、オリジナルや2049のように、単独主人公の物語、というよりは、複数名のキャラクターが絡み合う群像劇、無論、中心となる主人公はいるだろうが、キャラクターを深堀りしていく作りになるだろうし、あわよくばシーズン2も狙っているはずなので、まぁ、間違いなく、物語は続きを匂わせるため、末広がりで終わるだろう。
ネクサスは、どれほど進化しているのか。ネクサス6のロイ・バッティ、7はレイチェルとデッカード、8がサッパー・モートン、9がKだろうが、Appleばりの進化であるのならば、30くらいは言っていても可笑しくはなく、まず、人間との間に子供は出来る、という展開は絶対で、人間とレプリカントの戦争は一度は終わっており、冷戦状態休戦状態、ここでは人種、と書くが、人種間での差別などが当然起きている、異種婚礼譚がレギュラーな状況下においての、種族間の融和と対立を現代の多様性の時代と重なる形で書くのではないか。無論、舞台は汚染された場所を超えて、オフワールドになるだろう。
50年を経ているので、当然、前作のキャラクターはほぼ死んでいるだろうが、デッカードの娘のアナは出てくるかもしれない。まぁ、重要な語り部だろう。
で、ブレードランナーは、そもそもレプリカントを処分するのが仕事なわけで、そうすると、もしレプリカントと融和していたら、それはどういうことになるの、となるけれども、職業的には名称だけ活きていて、何らかの捜査官として動くのかもしれない。基本的に、シリーズの主人公はゲームなどを除けばレプリカント、乃至はレプリカントかもしれない、という位置づけなので、今作はレプリカントと人間のハーフ的な主人公の一人として登場するではないだろうか。両者感の境に立つ存在として、板挟みや橋渡しの役目になるのではないだろうか。また、Kの存在は、前作は救世主的な存在を生かしたわけだから、宗教的に崇め奉られている可能性もある気がする。
ミシェル・ヨーさんが主演なので、恐らくは2049の時は、幼子で、その時の記憶があると思われる。意外と、あの、トラッシュ・メサの孤児院にいた孤児の一人とかではないだろうか。
と、まぁ、このように、私は常に妄想し、恐らく、普通に全然外れるだろうが、楽しみでしょうがないのだ。やはり、ブレラン、最高の、最高の映画だ。