あんまりいっぱい出されると胃もたれするんだよ、FFも、マーベルも、スター・ウォーズもな!
マイケル・ケインの自叙伝的な本『わが人生。名優マイケル・ケインによる最上の人生指南書』。
この本は、齢80を迎えたマイケル・ケインが、自身の仕事、人生観をチャプターごとに人々に伝授していくタイプの本である。
マイケル・ケイン。
マイケル・ケイン、といえば、アルフレッドであり、初代アルフィーである。
『アルフィー』といえば、1966年の映画である。THE ALFEEではない。
アルフィーはプレイボーイで、モラルの欠片もない屑であり、友人の妻にすら手を出し孕ませ堕胎させる。テレビ放映時には、『華麗なる色事師』という、全然華麗ではないタイトルがつけられていたという。
そういう、変な映画のタイトルというものはある。私が好きな映画にルトガー・ハウアー主演、ポール・ヴァーホーヴェン監督の傑作『ルトガー・ハウアー/危険な愛』という、ヘンテコリンな恋愛映画があるが、これは前半と後半でテンションが異なる映画で、前衛芸術家であるルトガー・ハウアーが初めは野放図に女性を犯したり全裸になったりする映画であるが、この映画は純愛映画である。そして、この映画も『サディスト 愛欲の囁きは破滅の匂い』という、酷い邦題がつけられていた。『狼は天使の匂い』じゃないんだから。
仕事が雑なのか、そういうタイトルじゃないと汎ゆる層に見向きもされないのか……。
『危険な愛』は1973年の映画、今から50年も前の映画、だと考えると凄いことだ……。
『アルフィー』は1966年なので、これはもう57年前、大変に昔の映画である。
1960年代の映画はファッションがオシャレで、映画は年代ごとに顔つきを変える。
なので、2005年に公開された『アルフィー』のリメイクはジュード・ロウ主演で、これは現代的だが安っぽい映画だ。まだハリウッドに最後の力を持っていた時代だ。ジュード・ロウだって1作品1000万ドル(12億円くらい、当時)のスターだった。まぁ、今でもダンブルドアだが。
2010年代からハリウッドは完全に斜陽を迎える(まぁ、もっと前からかな)。
で、マイケル・ケイン演じるアルフィーは多くの女性と遊びながら彼女たちを傷つけ悪びれることもないが、然し孤独が迫ってくる。圧倒的な孤独である。
彼の半身とも言える息子、その息子が生まれると、アルフィーは初めは面倒くさそうにしていたが、実際には可愛くて仕方なくなる。
然し、アルフィーには息子を抱きしめる、愛される、愛する資格がないのである。
マイケル・ケインの自伝を読んでいると、彼ほどの名優でもスクリーンテストは嫌いなのだという。めちゃくちゃ緊張するのだと。まぁ、無論若い頃の話だが、やはり、翁、の話というのは聞いおいて損はないものだ。
1世紀近く生き抜く、というのは並大抵のことではないのだ。世の中にはあまりにも多くの理不尽と危険が渦巻いているのだから。
1960年代の映画はオシャンティーなものが多い。アメリカン・ニューシネマが1960年代後半に始まり1970年代でその最高潮まで達するとそのバブルは弾けて1980年代に資本主義映画に突入し、1990年代はインディーズメジャーが混じり合う世紀末を走り抜け、00年代にCG全盛のブロックバスター映像革命映画郡が『アバター』で佳境を迎えると、2010年代にハリウッドは衰退し、多様性が映画を席巻している。
多様性、と言いながらも2010年代はディズニーがウルトラに爆発していて、ある種、第三次ルネッサンス、それも実写化とCGプリンセス、という流れで、ここにマーベルもスターウォーズも取り込んで一大帝国を築き上げたが、どうやらそれは砂上の楼閣で、マーベルも、スター・ウォーズも迷走している。
然し、これは既に私はスクウェアが同じような道を辿っているのを見ているので、まぁ、結句栄枯盛衰なわけだが、スクウェアも1990年代後半から00年代初期は間違いなく家庭用ゲーム業界ではトップランナーだったが、様々な時代と媒体の進化だけではなく、『FF』地獄にハマって、FFを永久に作り続けていた。私は、FFシリーズが都合何本存在するのか、最早わからない。2005年くらいまでは覚えていられたが、1990年代は精々PS移植の4、5、6、それから7のインターナショナル、8のパソコン版、タクティクス、くらいだったのである。あと変なアニメーション。
これが2000年代に入り、特に2003年、FFタクティクスアドバンス、FFクリスタルクロニクルあたりが出て(他にもアニメのアンリミテッドとかあったな)、2005年〜2006年にはFF7がアドベントチルドレン(今ちょうど4K版が映画館で公開しているね)、クライシスコア、ダージュオブケルベロス、それからBCなど、まぁ、何を言っているのかわからないかと思うが、派生作品が山と出たのだ。
ここにFFⅪのジラートの幻影やプロマシアの呪縛などの追加パック、FFⅩ‐2、FFⅩ-2インターナショナル、FFタクティクスアドバンス2などもあり、さらには、ファヴラ・ノヴァ・クリスタルズという、謎のシリーズを始めると言い出して、FF13、FFヴェルサス13、FFアギト13を同時発表、全て同じ神話をベースにした全く異なる物語です、という、ポルナレフ的な思考状況になること請け合いの暴走を始めたのだ。
無論、移植作品は言わずもがなたっぷり同時に発売され続けて……。然し、肝心のナンバリングは4年に1回とか5年に1回になっていく……。
今のマーベルもスターウォーズも同じことで、もはや誰が観ているのかわからない(観ている人は真のファンだと思う)作品が多すぎて、お腹いっぱいなのである。
やはり渇望感、というものは大切だ。あまりにも多いと、あまりにも増えすぎると、人間は疲れてしまうし、作品は出涸らしになってしまう。
つまり、私が言いたいのは、アルフィーに言いたいのと同じで、あちこちに手をつけてんじゃないよ、ということである。