ボーはおそれているを観た
体調不良で文字通りへろへろくんの日々、久方ぶりに映画館へ。
アリ・アスターの新作、『ボーはおそれている』を観に行った。Tジョイ京都にて鑑賞。
ヨルゴス・ランティモスの『哀れなるものたち』は昨年から楽しみにしていた1本、然し、体調不良に加えて、なんか、こう、映画館で映画を1本観ることに対する労力がリターンに見合っていない気がしてきた今日このごろ、今作は流すことに。まぁ、3週間後に来る『DUNE:part2』、これに関しては鑑賞不可避であり、IMAXで観るつもり、あとは『オッペンハイマー』か……。
どうでもいいが、T・ジョイ京都、レイトショーでも1500円。他のところもかな、まぁ、なんか、昔はレイトショーとか1,000円とか1100円くらいだったけど、普通にたけぇ。しかも車で行ったけど、179分の映画に対して、3時間の駐車券はキツイなぁ……。昔は長い映画は5時間分つけてくれたのに……。結局4時間おらずで3時間無料で800円取られたからな!
で、肝心の映画であるが、アリ・アスター、といえば、2017年公開の『ヘレディタリー/継承』、あの1本目で映画ファンを唸らせて、2本目の『ミッドサマー』で世間一般に浸透した男であり、私も2017年はやはり『ブレードランナー2049』と、それと近い時期に公開した『ヘレディタリー/継承』にやられた口である。
『ヘレディタリー/継承』は作品の中盤にとんでもないインパクトシーンがあるが、その作劇、美術、アリ・アスターの作家性が既に今作で詰め込まれており、ぶっちゃけ完成形になっていて、無論、今作でも重要なファクターである毒親、母親と息子のあの忌まわしい関係性、つまりはアリ・アスターの個人史、それを1本目で作品に昇華していて、こいつはとんでもない作家だと、度肝を抜かれたわけである。
私は完全に『ヘレディタリー/継承』派で、『ミッドサマー』はより一般向けに特化していて、共感性の高い作品になっているなぁと感じた。然し、今作、『ボーはおそれている』は、完全に共感性を無視した作品であり、現実なのか幻想なのか、それが一切固着しない状態で物語が進んでいく、異様な作品である。
あらすじは面倒くさいから公式HPから調べて頂きたいのだが、まぁ、主人公であるボーが母親に会いに行く物語である。
このボーが完全に精神を病んでいる、何らかの病気かトラウマから来るものかで普通ではないのだが、彼の主観とも思える奇怪な出来事が画面では次々と起こる。彼が住んでいるアパートは貧民街と言うか歓楽街的な箇所にあり、アパートはボロボロで、周りには浮浪者が屯し、死体が転がっている。その上、殺人鬼まで出てくる。殺人鬼は全裸で、彼のおちんちんがプランプラン揺れているのだが、そういうやばい場所である。これがボーの強迫観念の具現なのか、それがわからない。通常の作劇ならば、ボー以外の人のリアクションや客観的なショットを入れて、妄想であるか、或いは妄想なのかもしれないと見せるわけだが、今作では、完全にその境界線をミックスして描いているため、全員おかしい人にも、ボーの妄想にも見えるし、どのようにも見える演出になっている。なので、途中から、そういう作劇なのだと切り替えて観たほうがいいだろう。論理よりもドライブ、感受性に重きを置いている。
さすがはアリ・アスター映画、美術は相変わらず美しいし、途中に出てくる野外舞台での演出などは、『ヘレディタリー/継承』のドールハウスや『ミッドサマー』の村に近しい色彩で、観ていて楽しいし、アニメ映画『オオカミの家』の監督が関わっているというシーンもここで出てくるが、なるほど、『オオカミの家』とはテイストが違うけれども、アリ・アスター作品の美的センスに非常にマッチした取り入れ方で、作品の品の良さが上がっている。
と、思いつつも、前述したおちんちんがプランプランしていたり、人のパソコンにゲロをぶち撒けたり、なぜかマライア・キャリーの曲を流してのボカシありセックスシーン、巨大なおちんちんの怪物など、品が良いのか悪いのか、と聞かれると、悪い映画である。
179分、地獄のような世界をボーが巡るわけだが、観客も合わない人には地獄だろう。私はそれなりに楽しんだが、もう2回目観ることはないだろう。
母親の呪縛という、ある種、これは完全にボーの精神世界の徘徊なのかもしれないが、ラスト20分くらいは、母親が本当に怖い。このあたりが1番アリ・アスター味を感じた。
然し、まぁ、基本的にはギャグも多いので、飽きることはない。冗長に感じる部分も多いが……。2時間以内でまとめていたら評価はもっと上だっただろう。
まぁ、大抵、監督は3作目でやらかすことが多いのだ。